にっぽん縦断 こころ旅
私のこころの風景は、国立療養所山陽荘病院裏の丘から見た海です。
福岡県行橋市に住んでいた私は、大分県中津市の扇城(せんじょう)高校の看護科卒業後、一九九二年、国立療養所山陽荘病院附属看護学校へ進学しました。
母子家庭の為、学費の心配をして国公立の学校をと選んだ進学先でした。
しかし、周囲に店もなく、お金もなく、電車は単線で無人駅、なんの娯楽もない全寮制の生活。食事も病院食で(食缶に
慣れない寮生活とホームシックで苦しむ中、入学早々、山看連(山口県看護学校連盟)の球技大会の為、朝五時起きで 病院裏の丘で応援合戦の練習をしました。球技はほぼ一回戦負けながら、代々応援合戦だけは優勝していたということで、やけに気合が入っていたように思います。
あの時は辛いだけだったけど、朝日を浴びてキラキラした岐波の海は、とってもキレイで、今でも思い出す、こころの風景です。
観光地でもない、実家とも遠い場所なので、もう行くことは無いかもしれません。大好きな正平さんと、チャリオくんが代わりに見てきてくれると、とっても嬉しいです。
追伸
あの年も応援合戦は優勝しました。
埼玉県所沢市
萩原理英子
埼玉県所沢市
萩原理英子さん(45歳)からのお手紙