にっぽん縦断 こころ旅
拝啓
正平殿、チャリオ殿
毎日毎日、大変ですね。こちらも登りシーンではハーハーと楽しく見ております。 私がチャリオさんにお願いしたいのは、京都市にあったスキー場、花脊スキー場です。
今はもうなくなったと思います。
昭和30年1月15日(当時は成人の日)、高校1年生だった私は、友人と二人で親にも告げず 花脊スキー場に 始めたばかり(2度目)のスキーに出かけました。運動には少し自信はあったのですが、平均を操るのは下手で転んでばかりでした。午後2時頃、さあ最後の滑りと張り切って滑り降りる途中転んで右手を雪面についたところへ、上から滑って来た人のスキーに右手の甲の上を滑られてしまいました。私の手袋は毛糸作りで、そのスキーは、当時最新型で金属エッジがついていたため、血管5本と指の腱(筋)4本を切断されてしまいました。
血が吹き出て雪面を赤く染め、直ぐに診療室に行きましたが、当時ですからほとんど治療らいしものができず、ただ傷口を包帯で巻いて右手の肩の下のところを縛っての血止めの処置でした。
そこから市内の病院に入るまでが大変で、たまたまボーイスカウトの訓練チームが居て その隊長さんに、命と右手がなくなるのとどっちが大切かと脅され?完全に右手を縛って血を止め、鞍馬まで車で連れて行ってもらい、そこで救急車を呼んでもらい、救急病院に入ったのは午後5時を過ぎていました。お医者さんの顔を見たとたん私は、右手は切断ですかと聞きましたが、先生は、それは時間がたたないと分からないとおっしゃって、直ぐに、血管の結合と腱の結合治療に入り、およそ3時間かけて終了しました。切断は免れ、一週間入院し、6か月かけて指のリハビリに通い ようやく箸がもてるようになりました。
その間は、左手でご飯を食べ、字を書いていました。その後、昭和33年北海道の大学入学と共に京都を離れました。大学では雪の研究で山スキーを始め、今でもお正月にはニセコの山に入ってます。人生、失敗が苦難が新たな風景を与えてくれますね。
そこでチャリオさんと正平さんにお願いです。60年以上経っていますが、その花脊スキー場は、今どうなっているのでしょうか?花脊のどのあたりなんでしょうか?
京都へは同窓会などで何度も行っているのですが、トラウマで岩倉より北方面には、行く勇気がありません。山深くて良い所だと思いますが・・・。
訪ねていだければ幸いでございます。
よろしくお願い申し上げます。
敬具
横浜市 高橋時雄(79歳)
横浜市
高橋時雄さん(79歳)からのお手紙