にっぽん縦断 こころ旅
拝啓
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様、はじめまして、おはようございます。いつも1日の終わりに、小学生の娘と「とうちゃこ版」を観て、ほっこりした気分にさせてもらっています。
さて、私の心の風景は、鳥取県東伯郡湯梨浜町(とうはくぐんゆりはまちょう)<旧泊村(とまりそん)>の、宇谷(うたに)という集落の、「
漁港のある小さな村の、漁師の家に生まれ育った私。水平線が見えることが当たり前で、幼い頃からこの海が遊び場であり、親の仕事場でもあり、癒やしの場所でもあり、生活の一部でした。
地元の人は、砂浜のことを「はま」と呼び、この砂浜の先にある岬の黒い岩場のことを「しま」と呼びます。
夏、はまで海水浴をしたり、しまで磯遊びをしていると、時にはサンダルや浮き輪をうっかり流されてしまったり。瓶に名前を書いて流すボトルメールをして、見知らぬ九州のおじさんから電話が来て、気まずい思いをしたこともありました。
私が小学生の頃、同居していた祖母と、大阪に暮らす叔父が、祖母の些細な勘違いから親子で大喧嘩をしました。電話口で涙を流しながら「二度と帰って来るな!」と怒鳴っていた祖母を、子供心によく覚えています。
帰って来るなとは言ったものの、可愛い息子への想いはどんどん膨らみ、祖母は私達が遊ぶ海水浴用のゴムボートに叔父の住所と名前、「早く帰って来い」と書き、海に流そうとして、大騒ぎしてみんなで止めたこともありました。
数年前に祖母が亡くなり、葬儀の後に叔父夫婦と談笑していた時、そういえばこんなこともあったなぁと私がその話をすると、叔父夫婦は初耳だったようで、笑いながらもボロボロ涙を流していました。
大人になって改めて考えたら、ここは日本海。九州に流れ着くことはあっても、大阪湾に流れ着くなんて普通に考えたらあり得ないのですが、そんなことは関係なく息子を想う祖母の親心だったことに、私も親になった今は よく理解できるようになりました。
娘を連れて帰省するたびに、必ず一度はまに出て しまに沈む夕日を見ています。
正平さん、是非宇谷のはまに行って しまに沈む夕日を見てください。
よろしくお願いします。
敬具
兵庫県 神戸市 前田 杉子
神戸市
前田杉子さん(35歳)からのお手紙