にっぽん縦断 こころ旅
「父との思い出」
私の父は八幡製鐵所で、働いていました。
その頃感田の団地に住んでいて電車で帰ってくる父を電停まで迎えに行ったものです。
父は田舎の農家で育った寡黙な人で 真っ黒に汚れた顔で肩にかけたタオルも黒く、笑うと白い歯だけが光るような人で 黒い手で迎えに来た私の頭をよく撫でてくれました。幼稚園に上がる前の私は八幡製鉄所で働く父がとても誇らしかったです。
母は鹿児島の生まれで若い時から水商売しかしたことがないような人で 寡黙な父とはあまり気が合わないのは子供心に感じていました。
父はよく自分の仕事の話をしてくれて鉄を作る仕事に誇りを持ってるのがわかりました。
八幡の父の叔父の所の帰りに東田高炉に連れて行ってもらい 初めて見た時の要塞のような建物に子供ながら圧倒されたことを思い出します。
優しくて絵が上手くて指がながくて 笑うと白い歯が光る父が大好きでした。
私が小学校に上がる時に可愛いワンピースを買ってもらいました。
とても気に入った金色のワンピース。
それからまもなく、両親は離婚してしまい 私は母と姉と三人で隣の飯塚にうつります。荷物をトラックに乗せて家を出る時に父は寂しそうに私の頭を撫でて無言でした。
中学生になり知り合いから父が再婚して八幡にいる、退職して農家の婿養子になっていると聞き、父に会いたいのと こずかい欲しさに父に会いに行きました。再婚先の家族はとても温かく私を迎えてくれました。
大きな農家で 大きな鍋におでんをたくさん作ってくれていました。
息子さんに娘さんお孫さん、お爺さんお婆さんと大家族に囲まれて 父が頼りにされてよくしてもらっているのがわかります。
あ一もう昔の父ではないんだなと思いました。
帰りに近くの電停に送ってくれた父が1万円札を握らせ言いました。
もう来ないでくれ、俺にはもう今の家族がいるから おまえはおまえで頑張ってくれと、帰り道 東田高炉に行きました。
頭を優しく撫でてくれた父はもういないのだと泣きました。
あれから父には会っていません。
わたしも結婚して母になり 気がつけば笑顔が父に似てる主人がいます。
東田高炉 父との忘れられない心の風景
福岡県飯塚市 山下サツキ 50歳
北九州市
山下サツキさん(50歳)からのお手紙