にっぽん縦断 こころ旅
火野正平様 チャリオくん スタッフの皆様 いつもすてきな番組を届けていただき、ありがとうございます。
私の心の風景は、盛岡市の岩山、そして岩山パークランドへ向かう道です。
私の実家は青森県七戸町で当時は酪農を営んでおりました。家族でどこかへ出かけるということは殆ど無かったのですが、私が10歳ぐらいだったでしょうか、こどもの日にお隣の岩手県盛岡市の遊園地 岩山パークランドに連れて行くと珍しく父が言うのです。私と妹二人は大喜びでその日を心待ちにし、当日はお天気もよく、絶好の行楽日和でした。
国道4号線をそのまま南下し、盛岡に近づくにつれて道路もますます混み合ってきました。渋滞など関係なく、後部座席で我々3姉妹は大はしゃぎ。やっと岩山パークランドの案内が見えてきて、姉妹3人とも顔を見合わせワクワクが止まりません。国道から左に入ると、パークランドへ続く坂道は、ますます渋滞。少しずつ進み、緑の木々の隙間から観覧車のカラフルな色が見えました。大きく目を見開き、「わあー!!よし、あと少し!!」ウンウンとうなずいたその瞬間、
「頭さきた(頭にきた)。わがね(だめだ)帰る!!」
と渋滞にしびれを切らした父が、いきなりハンドルを切り返し、反対車線の下りの道を一気に降りていきました。我が家で言う「岩山Uターン事件」です。ゴール目前の出来事に何が起こったかもわからず、呆気にとられる母と3姉妹。こうなったらもう父は誰の声も入ってきません。怒り、悔しさ、何ともいえない感情になったことを覚えています。帰りの車内がどんな雰囲気だったかさえ記憶がありません。後に岩山パ―クランド行きは、3姉妹のために母が父に懇願し、実現したものだったこともわかり、母も同じくらい悔しかったに違いありません。
社会人になり、何の縁か、知り合いも誰もいない盛岡が赴任先となりました。土地勘がなく、不動産会社に言われるがまま決めた住まいは、岩山のふもと周辺。地元出身の同僚に盛岡を案内してもらっている時に訪れたのが岩山。
「ここなのか」 あの時は、長い道のりのせいか、高い山のような気がしていましたが、大人になって初めて行ってみると、小高い丘ぐらいに感じ、なんだか笑ってしまいます。
その後、盛岡では主人と知り合い結婚。岩山はいつでも行ける場所になり、もう一度家族5人でリベンジと考えておりました。しかし、母ががんになり闘病生活が始まり、10年前に他界しました。いつでも行けたはずなのに実現できなかったことを悔やんでいます。後回しにせず、思い立った時に行動するのが一番ですね。
今は主人の転勤で各地を転々とし、なかなか帰省できずにいますが、盛岡に帰り、岩山を見ると、天国から地獄のような、あのワンシーンが一気によみがえります。また青森の実家では事あるごとに岩山Uターン事件の話で盛り上がり、今ではだいぶ穏やかになった父も「死ぬまで言われるな」と苦笑いしています。私と盛岡を繋いだ岩山。正平さんに行っていただけたら嬉しいです。
岩山展望台からみる、姿美しい岩手山と盛岡の景色もすてきです。四季、朝夕夜さまざまな表情を見せてくれます。
岩山へは国道4号線の岩山入口の交差点から向かうことができます。
北海道旭川市
山口文子さん(46歳)からのお手紙