にっぽん縦断 こころ旅
太閤正平さま、スタッフの皆さま、チャリオさま、
いつも心温まる素敵な時間をお届けくださり ありがとうございます。
私が「もう一度あの頃に戻りたいと思う時に蘇る心の風景」は、北海道雨竜郡幌加内町政和第二の、むかし国鉄深名線の政和駅のあった辺りから、今は政和簡易郵便局の西側辺りにあった住居周辺の、当時はビート畑が広がっていた風景です。
私の父は、戦前、戦中は旧樺太庁の役人でしたが、終戦後のほんの些細な罪状で戦犯としてシベリアに抑留され、昭和二十九年になって漸く帰還し 北海道で営林署に勤めました。
政和には警察に例えると駐在所にあたる“担当区事務所”というものがあり、私は四歳から二年間そこで過ごしました。
父はとても子煩悩で物識りで、おまけに茶目っ気のたっぷりある人でした。その父がある時 至極まじめな顔で、「まだ湯気の立っている、ひったばかりでホヤホヤの馬糞を裸足で踏むと背が大きくなるんだヨ。」と教えてくれました。
父は同年代の中では長身でしたが、母は子供の目から見てもミニマムサイズでしたから、私は父のように大きくなりたいと常々思っていました。
昭和三十五年当時の北海道の田舎では、大量輸送手段としてまだ馬車や馬橇が活躍していました。
ある冬の日、政和駅前で旅館を営んでいて私をとても可愛がってくれていた“みっちゃんおばちゃん”の家に遊びに行こうとしていた私は、政和駅近くにあったビート工場から深川市方面に大きな麻袋を沢山運んでいた馬橇と出くわしました。
立派な脚の大きな馬のお尻から、これまた立派な糞がボトンボトンと落ちてくるのを見た純真な五歳の私は、「これを踏んだら大きくなれる!」と勇んで長靴と靴下を脱ぎ、冷たい雪の上で盛大に湯気を立てている馬糞を力一杯、何度も何度も踏み締めました。温かく湿り気のある糞はちっとも気色悪くはなく、繊維質の感じられるほっこりした質感は、靴下と長靴で防寒していても冷えていた足を包み込んで優しく温めてくれました。
その事実を真っ先に父と母に報告したくて大急ぎで家に帰ると、お気に入りの靴下と長靴は無残に捨てられ、母は父に対して「馬鹿なことを澄子に教えないで!」と怒鳴って夫婦喧嘩になりました。
馬糞の御利益があったのか 私は身長一六二cmになり、同級生の中ではまあまあの背丈になりました。
いたずらっぽい笑顔の優しかった父、小さいけれど迫力のあったしっかり者の母とのちょっと間抜けな想い出の地を、足軽正平さん 訪ねて戴けませんか?
十年程前、センチメンタルジャーニー訪れた幌加内は、日本一のそばの名産地になって 一面白い花が揺れていました。
北海道の大きさを存分に感じられる道を、チャリオくんと共に疾走してみてください。
旅の御無事をお祈りしております。
東京都千代田区
髙橋澄子
東京都千代田区
髙橋澄子さん(62歳)からのお手紙