にっぽん縦断 こころ旅
ずっと残したい、ふるさとの風景
しょうへいさん、ちゃりおくん、こんにちは。
私の心の風景は、青森県外ヶ浜町平舘の「松前街道から見る海」です。
平舘は私の父の生まれた村で、青森市内に住んでいた私たち家族は、小さい頃はお盆やお正月の度に平舘のおばあちゃん(私は海のおばあちゃんとよんでいました)の家に遊びに行っていました。
父は7人兄弟だったので、叔父叔母いとこが小さな家にたくさん集まり、それはにぎやかでした。みんなでおはぎを作ったり、近所の商店にアイスを買いに行ったり、そんな小さな一つ一つがとても楽しかったことを覚えています。
海のおばあちゃんの家の目の前は、道路一本隔ててすぐ海で、窓からはいつもきれいな海が見えていました。父のお父さんは漁師をしていて、父が小学生の頃に海の事故で亡くなりました。幼い子供たちを海のおばあちゃんは、女手一つで大変苦労しながら育てたそうです。毎日食べるのにも苦労したそうで、父が中学生だったときのある日、お昼に弁当を開けたら、はいっていたのはごはんと納豆。においも強烈で、父は恥ずかしくて友達に隠れて食べたそうです。
父は中学卒業後、定時制高校に入り、働きながら高校を卒業しました。
7人の子供たちを何とか育て上げたおばあちゃん。
これから少し楽ができるかなというときに、病に倒れました。私が小学2年生の時、授業中に職員室から呼び出しがあり、おばあちゃんが危篤だからすぐ家に帰るようにと母から電話があったと聞かされ、一つ下の弟と急いで帰ったことを今でもはっきりと覚えています。それから車で平舘の病院に急いで向かいました。途中、海のすぐわきを通っている松前街道から見る海が、いつにも増してキラキラ輝いていました。何度も見ていた平舘の海だったけど、あの日の海は今でも忘れることはできません。
私たちが病院についてまもなく、海のおばあちゃんは息を引き取りました。
大好きだった海のおばあちゃん、大好きだった平舘の海、磯の香、潮風。
ふるさとを愛してやまない父は、それからもことあるごとに平舘に通っていましたが、最近は心臓病を患い、なかなかあの海の風景を見に行けないようです。
私自身も仙台に嫁ぎ、あまり帰れません。
しょうへいさん、私たちのかわりにあの海を見に行ってもらえませんか。
きっと30年前と変わらず、きれいな海だと思います。
今はありませんが、海のおばあちゃんの家は平舘小学校の近くにあったと思います。
宮城県 仙台市 澤崎 典子 42歳
宮城県仙台市
澤崎典子さん(42歳)からのお手紙