にっぽん縦断 こころ旅
前略
毎回、録画して、じっくり拝見するの楽しみにしています。
さて、私のこころの風景は、南蒲原郡田上町(たがみまち)の2箇所の町営テニスコートです。
今から27年前、私は田上町在住の女性と遠距離交際中でした。当時、彼女は田上町民でしたので 私と付き合う以前からよく 町役場に電話予約して、友人達とテニスを楽しんでいた様です。
当時、私の勤務地は東京都下でしたが、実家は田上町からほど近い新津(現在は新潟市秋葉区)にあり、週末は出来るだけ実家に戻り一緒にドライブという事になっていました。そんな中で お互いの実家
に近い、そのテニスコートを予約してもらってテニスを楽しむ、機会が結構ありました。町営コートは2箇所あり両コートは車で10分位の距離、どちらも彼女の実家にも近く、その時々で予約できた方に向かって車を走らせました。
ところで私はテニスは正式に習ったことは無く、彼女も確かスクールに通って習ったことがあると言っていましたが 元来あまり運動神経がよいとは言えない腕前、二人共なかなかラリーが続かない、というレベルでしたが それでもそれなりに楽しんでいました。
また彼女の友人やそのだんな様が来ることもあり、さらにだんなのほうが、その友人を連れて来たり と結構にぎやかな日もありました。
そうそう、そこで私達と一緒にテニスをするうちに、そこで出会ったカップルが結婚することとなり、そんな「テニスコートの恋」のめでたい結婚式の司会を 私がおおせつかった、という事もありました。
遠距離交際を始めてから1年余、私と彼女、田上の千賀(ちか)ちゃんは、結婚しました。彼女は永年住み慣れた新潟を離れ東京で暮らすこととなりました。結婚後も幾度かは一緒にテニスをする機会がありましたが、なかなか出来なかった子どもにようやく恵まれ、その後私の仕事の関係で茨城、小田原と転勤する間に、二人のテニスラケットは私の実家の押し入れの中に しまい込んだままとなりました。
「子ども達も もう一緒に楽しめそうだし、実家に泊まって田上でテニス合宿というのも有りかねえ」「でもあのラケットはガット張り替えだね」、・・・結婚して20年以上が過ぎ、そんな事を話し合っていた事もあったように思います。
―あのテニスコートの思い出から24年経った平成26年の10月、
彼女は、私と、当時高校生の息子と中学生になったばかりの娘を残し逝ってしまいました。大腸がんが全身に転移してしまって、発見がもっと早ければ、と悔やまれた 51歳での 早過ぎる旅立ちでした。
家族4人揃ってのテニス合宿は もはや夢の話となってしまいましたが、でもいつかまたあのテニスコートで子ども達とプレーしてみたい、という気もします。ガットは張り替えですね。
名湯湯田上(ゆたがみ)温泉にもほど近い、旧田上小学校のコート、信越本線羽生田(はにゅうだ)駅の東側の羽生田のコート、あの2つの町営テニスコートは今 どんな様子なのでしょうか。
正平さんに確かめていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
神奈川県小田原市
金子 浩之(55歳)
神奈川県小田原市
金子浩之さん(55歳)からのお手紙