にっぽん縦断 こころ旅
前略ごめん下さい。
正平さんのユーモアとスタッフの皆様のやさしい心くばりをたのしく拝見している八十五歳のバアちゃんです。
私の思い出は女学校一年(今の中学一年)つらい悲しい戦争が終わった夏休み中の出来ごとです。
サイレンと灯火管制から解放され子供心にほっとしたのでしょう。誰からとなく庄川へ行こうと 五、六人で・・・。
庄川の堤防を下ると本流からはずれて三十メートル程の水溜まりが遊び場でした。泳いだり甲羅干し、石積み
その内三人が中州へ移り石積みをしているとふと、水の音が変わったことに気付き、急いで戻ろうとしたのですが 膝丈位の水かさでしたが流れが強く断念、中州はだんだん小さくなり向こう岸へ渡ることに。みどり色をした比較的流れがゆっくりとした所を六年生のマリちゃんを真ん中に手をつなぎ胸まである水の中をソロソロと体中(からだじゅう)に水圧を感じながら どうにか向こう岸に辿り着きました。更に洋服を脱いだ場所に戻るには土手を歩き中田の大橋(当時は木造)を渡らねばなりません。水着のない私たちはブルマー姿。当時は食糧難時代 発育不良、胸などありませんが体を小さくしてダーと走って。
ところが向こうから中学生の一団が!三人は咄嗟に川の方へ向き欄干にはりつきやり過ごしました。
人が来るたび欄干にはりつきやり過ごし「お前ら何しとるや」の声を聞きながら渡り切りました。
お日様は西に、おなかもすいて、木苺を食べながら堤防を歩き洋服の所に。しかし私の洋服だけがありません。二人は洋服を着て、私は草履だけはき家路に。幸い人に会うこともなく シゲ子ちゃんマリちゃんと別れ、幼い時祖母に「暗くなるまで遊んでいると毘沙門(びしゃもん)杉の天狗にさらわれる」と脅かされていた毘沙門杉を通り抜け 光證寺さんの門の前に私の洋服を持った祖母が立っているのが見えました。“叱られる”と思ったのですが祖母は私を見てヘナヘナと座り込み 私のふくらはぎを叩き続けました。ごめんなさいも云わずに抱き合っていました。
洋服は親友のヒデ子ちゃんが 私がいなくなったと目に涙をためて届けてくれたのでした。光證寺さんには当時大きな桜が二本あってヒデ子ちゃんと花蕊(かずい)を拾って飯事(ままごと)遊びをしていました。そこでお願いがあります。
正平さん 橋がお好きでないことはよくよく存じ上げて居りますが 三人が命がけで渡った橋です。どうか中田橋の欄干にはりつき庄川の流れは今どうなっているかを見て来て下さい。次に毘沙門杉(樹齢千年 今は枯れて大きな根っこが赤い堂の中に保存)を見て 光證寺さんの門(今は石柱だけ)にとうちゃこして下さい。
よろしくお願い致します。
尚 私は両親を亡くし祖母と暮らしていました。
もし運が良かったら立山連峰が見えることがあります。
石川県七尾市
龍澤麗子さん(85歳)からのお手紙