にっぽん縦断 こころ旅
思い出の場所
私の思い出の場所は「水島港」です。
昭和59年、香川県善通寺市の大学に入学が決まりました。初めての一人暮らしで、心細さでいっぱいだった私。まだ瀬戸大橋ができていなかったので、帰省は水島港と丸亀港を結ぶフェリーでした。家族が恋しい私は、度々帰省していました。家に帰るときはうれしいけれど、休みがすんで下宿に戻らないといけないときの気持ちといったら…。
水島港までは父が車で送ってくれました。車を降りて、フェリーに乗って、席に座る前に岸を見ると、決まって父が岸壁に車を止めて、私に向かって手を振ってくれていました。新幹線と違ってフェリーは進むのが遅いので、父の姿が見えなくなるまでの長いこと。ますます淋しさが増して涙が出ました。
お恥ずかしい話ですが、4年間ずっとそうでした。
ある日、淋しがる私を心配した母が、当時は車の免許がなかったので自転車に乗って善通寺の私の寮まで来てくれたのです。後ろに私の好きな食べ物をたくさん積んで。その時は寮だったので部屋に入ってもらうことができず、外のベンチに座って話しました。話したといっても、びっくりしたのとうれしいのと別れる淋しさを考えると、言葉はぽつぽつしか出なかったことを覚えています。そして30分もしないうちに、母は何度も振り返りながら自転車に乗って来た道を帰って行きました。
父と母のこの姿を思い出すと、30年以上の前のことですが、いまだに涙が出てきます。大学を卒業した昭和63年に瀬戸大橋ができたので、水島港からのフェリーはなくなってしまいましたが、近くを通った時に「水島港」の表示を見るとあの頃を思い出して切なくなってしまいます。
結局4年間、なかなか一人暮らしに慣れずに淋しい思いをしましたが、今は子供の時からの夢だった小学校の先生をしています。両親の支えがあったからがんばれました。両親には本当に感謝しています。
岡山県 倉敷市 神谷 美穂 51歳
岡山県倉敷市
神谷美穂さん(51歳)からのお手紙