にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、スタッフの皆様、チャリオくん、いつも楽しい番組をありがとうございます。
今回、鹿児島に行かれるということで、母のかわりにお便りします。
母 中村禮子(83歳、東京都八王子市在住)のこころの風景は 鹿児島県知覧町塩屋の浜辺の風景です。
母は昭和9年生まれ、戦火の激しくなった昭和19年頃、学童疎開の縁故疎開で、父方の実家、塩屋に一人預けられることになりました。
東京の高井戸から、鹿児島の浜辺の村へ、
さぞカルチャーショックだったと思います。
まず、鹿児島弁が、外国語のようで、
何言ってるかさっぱりわかりません。
靴なんてはいてる人はいなくて、小学校
まで一里の道をはだしで通いました。
お風呂は庭でドラム缶にお湯をわかしてはいりました。
東京の子どもがめずらしくて、近所の
子らが見にきたそうです。
塩屋の村には、郵便局と銭湯しかありませんでした。
塩屋郵便局の前の道路を渡ると浜にでる細い道がいくつもあって 海に続いています。
遠浅のきれいな海でした。
岩場に真水のでるところがあり、
村の女の人たちが集まって 洗濯をしていました。
桶で海水をくんで大きな釜グラグラでわかし お塩を作っていました。
足元には小さなカニやフナムシがいっぱいいました。
おじいさんは気むずかしかったけど
やさしい叔母さんにたいそうかわいがってもらい、
さとうきびをなめさせてもらったりしました。
快活な母は地元の子供たちとすぐなかよくなり、海や自然に囲まれて思いっきり遊びました。
その後、母は母親(祖母)が迎えにきて、軍人だった父(祖父)のいる満州に渡りました。
満州で終戦を迎え、たいへんな苦労をして、以前 正平さんが、訪れた山口の仙崎港にやっとの思いで帰ってきました。
母の話を聞くたびに 平和な世の中が続くことを祈らずにはいられません。
戦時中、塩屋ですごした日々は母にとって宝物のような時間でした。
母は高齢で鹿児島にはなかなか行かれません。
正平さん、母のかわりに塩屋の海を
見に行って下されば幸いです。
こころ旅も鹿児島まできて、もうすぐ秋の旅も終わりますね。
こころがほっこりする番組をいつもありがとうございます。
来年も楽しみにしております。
電車やバスに乗ったり、クルマに乗ってもよいですから、どうぞお元気で楽しい旅を続けて下さい。
P.S. 母の写真をと思いましたが、満州から帰る時、とても写真どころではなく、祖父がアルバムから数枚はがしてもたせたものしかないそうです。
神奈川県座間市
若林綾子さん(59歳)からのお手紙