にっぽん縦断 こころ旅
「忘れられない人たちがいた場所」
2017年秋の旅、「待ってました。」
正平さん、スタッフの皆さん、6年半ほんとうにお疲れさまです。
日ごろ電動自転車を愛用する身からすると正平チームさんは眩い存在です。
さて、わたしの「こころの場所」は、別府市の紙屋温泉です。
昭和30年代の別府は、新婚旅行の定番と言われ、団体客も多く桟橋に船が着くと観光客が溢れるように降りてきました。
昼間は地獄めぐり、陽が沈みネオンが灯ると雑多な人たちが温泉街を行き交い、それは賑やかでした。
そんな町中から一歩外れた路地裏に紙屋温泉があります。
共同浴場で元湯は飲むと胃腸に良いと言われ、入場料はたしか30回の回数券が300円でした。洗面器に手拭と石鹸で番台のおばちゃんに声をかけます。シャンプーなんて気の利いた物はありませんでした。
早朝は常連さんが朝湯、午後は夜の仕事人たちが出勤前の準備で一風呂浴びに、夕方からは仕事を終えた人たちで溢れ賑やかで芋の子を洗うようでした。男湯と女湯の間で声を掛けあい石鹸が行き交います。
男湯と女湯の間は腰から上が すりガラスでした。
中学生になったある日、女湯から聞きなれた同級生の声がします。
ふと見ると彼女が影絵のようにガラスに写っていました。
土地柄、入浴客には倶利伽羅紋々のお兄さんや、湯上りにさらしをきつく巻くおじさんがいて、その格好良さに見とれました。
わけも分がらずに大人たちの世間話を聞き、老人の弛んだ皮膚を見て人はこうして歳をとるのだと子供なりに妙に悟ったりしました。
一人っ子で両親と三人家族だった少年を温泉町の大人たちが育ててくれました。いわば紙屋温泉が青春の門でした。
温泉の二階が公民館、近くには映画館、青空市場、食堂、米屋、荒物屋 病院があり、まさに昭和の温泉町そのものでした。紙屋温泉は高校卒業までです。まだ戦後といわれ高度成長前のセピア色の記憶ですが、いまでもお湯の肌さわり、匂い、人々の声が甦ります。
あの頃お世話になった皆さん、父ちゃん、母ちゃん、ちょっと気弱な坊主は67歳になりました。 有難うございました。
正平さん、長い旅の途中気が向かれたら町の小さな共同浴場に寄ってみて下さい。
愛媛県 松山市 藤田純一郎 67歳
愛媛県松山市
藤田純一郎さん(67歳)からのお手紙