にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆さん、毎日朝夕を楽しみにしています。
わたくしの心に残る風景は、和歌山県橋本市高野口町の紀ノ川の河原です。
70年あまり前の父との思いでの一コマです。父と2人の兄と私の4人で紀ノ川にじゃこ釣りに出かけました。川じゃこは、当時の我が家の貴重なタンパク源だったようです。父、2人の兄はそれぞれの釣竿をもち、釣っていました。私は、ただ3人の釣っている様子を見ているだけ、河原で遊んでいたのだと思います。昼ごろになり、河原に座り、弁当を食べることになりました。 3人の竿は、餌を付けたまま斜めに立てかけ、置き竿にしていました。当時の事ですから、弁当と云っても白米などは望むべくもなく、ただ空腹を満たすだけのものだったと思いますが、のどかな楽しい気分だったのではないでしょうか。
そのうち父が「“とき” ひいてる、上げてこい」と私をうながしました(“とき”とは、私をよぶ時の名です)。父の置き竿です。川の小魚を釣る竿で、穂先は細くしなやかで、大きく曲がっていたように思います。かなりの手ごたえを感じながら、結構苦労して釣り上げました。大きく感じました。手のひら大の、鮒でした。これが、おそらく生涯で初めて釣りあげた魚と思います。その時は大きく感じたのですが、実際は小さな鮒だったでしょう。
その父は、若くして亡くなりました。私の2歳2か月の時に召集令状が来て、3歳9か月の時に復員してきました。そして、6歳5か月の時に亡くなりました。私にとり、復員から亡くなるまで約2年半の間の、数少ない父の思い出の一コマです。
その河原の対岸は九度山町、うろ覚えですが向こう岸には渡し船の船着き場があり、小舟が泊まっていたように思います。高野口側の船着き場の記憶はありません。九度山側の船着き場の数百メーター先に、慈尊院があります。世界遺産“紀伊山地の霊場と参詣道”の和歌山県の最北端に当たり、高野山への参詣道“町石道”の出発地点です。
空海が高野山を開創して1200年、慈尊院や高野山を参詣する多くの人が、その河原を通って行ったことと思います。
正平さん、天気が良ければ、ゆったりとした紀ノ川の流れを見ながら、スタッフの皆さんと河原でお弁当を如何でしょうか。
大阪府豊能町 丹生 時秀(にう ときひで)
大阪府豊能町
丹生時秀さん(75歳)からのお手紙