2013年05月18日 (土)狩尾神社へのみち & お天気晴朗なれど・・・
213日目
お手紙の美恵子さんが暮らす橋本の住宅地は・・・
山肌に家々が並び、
急な坂道が続きます。
「美恵子ちゃん、83歳でこの坂上ってる・・・!?
えらいとこ紹介してくれたで・・・、
チャリオじゃ無理や(;´Д`)」
「この先、まだまだ坂です!!」と教えてくれた、こころ旅ファンのおばあちゃん。
お元気です!!
「最後の最後にこの階段?
急過ぎるやろ・・・」
手すりがなかったら、怖いくらい
急な階段でした。
そして、
たどり着いた風景は・・・。
214日目
輪行のためにやって来た山崎駅は・・・
なんと、半分大阪府でした!
「ヤダよオレ、京都にいたいよ」
と言って後ずさる正平さん。
お天気晴朗なれど、風冷たし。
「半ズボン、間違えちゃったよ!!」
舞鶴の町中で、
珍しい地図を発見!
小樽や、ナホトカへ行けることに
ビックリ!!
投稿者:担当ディレクター | 投稿時間:12:00
舞鶴港は行きたいところです。亡き父母は、父は昭和13年に満州に開拓に行きました。母とは昭和20年の実家に月に結婚し満州に行きました。昭和20年8月に敗戦になり、父はシベリアに抑留されました。母は21年に父はシベリアから昭和22年に戻りましたが、抑留の日本に戻りましたが、男装の服装で頭はぼうずで埼玉の実家にやっとの思いで帰りました。父は昭和22年にシベリアから戻りましたが、抑留の場所が炭鉱であったので、凍死しませんでした。
日本に戻ってきた舞鶴でどのうな思いを思ったのでしょうか?私も一度舞鶴港にいって見たいです。
投稿日時:2013年05月18日 23:15 | 夏の星
火野様 スタッフの皆様
こんばんは 舞鶴引揚桟橋拡大版有難うございます。
京都駅から山陰線に乗られてしばらくしましたら東映の撮影所大きいですね、説明有難うございます。記念会館は拡大版での放送ですね。
当時の写真色々考えさせられました、その頃小学生でした。
お手紙お書きの福島の方桟橋は色々と在ってと説明なさっていましたね、観ています自分も心が痛みました。
そして引揚桟橋に会館で写真を観ましたので今は短い桟橋ですが
当時の様子が目に浮かびました。
引揚げてこられた皆様大変ご苦労なさった事と思います。
明日の日曜版も楽しみにしています。
投稿日時:2013年05月18日 21:01 | さんぽ
火野様 スタッフの皆様
土曜拡大版録画をしておりまして観ました。
河川敷ではグループの若者大喜びされていましたね。
火野様の笑顔最高です
自転車のお方も大喜び出会いは良いですね。
橋本駅からの坂道を進まれて途中でご婦人に
この方も大喜び嬉しいですよね。
恵美子さんお元気で、神社の階段を急ですね
眺めは最高でした。大山崎のウイスキー工場
手前に淀川正面の山は天王山。
神社は人々の心の癒す場所お正月は賑わうのでしょうね。
最後に足腰鍛えてこれからも元気に生活をして下さいと心に栄養を
有難うございました。
投稿日時:2013年05月18日 20:52 | さんぽ
土曜版を見て、、、。
「人に歴史あり」、正平さんが読んでくださるお手紙は、その方の人生を垣間見るもので、いろいろ考えさせられます。
私たちのひと世代前は、戦争を経験した。
戦争を知らない私たちも、戦争のことを知らなければいけないと思う。
亡父も、インドネシアに出兵し、終戦後、捕虜になったと聞いた。「引き揚げ船」で、どこの港に着いたのか??
もっと、ちゃんと聞いておけば良かった!と、今、反省している。
「こころ旅」、深いです!!
投稿日時:2013年05月18日 19:06 | REIKO
ボクの老母と同じ83才の美恵子ちゃんが暮らす橋本というこの坂の町は、きっと時間の流れ方が違うのだと思う。「もっと年を重ねても少しでも長くこの風景を楽しめるように~」繰り言ばかりの母に聞かせたい言葉でした。正平さん、そんな町で見かけた妙齢のご婦人を掴まえて「二百歳の井戸端会議」とは失礼な!
舞鶴港引上桟橋…。68年前の、この国の「終わり」と「新たな出発」の象徴の一つであるべきものが、立派な記念館の一方で、すぐにそれと分からぬほど隅に追いやられていて驚きです。水に流して良いことと決して忘れてはいけないことがあるはずです。
[余談]記念館の写真につい思い入れして、込み上げて来るもののあったたボクの耳に、次の瞬間聞こえてきた正平さんの鼻歌。「~しんみりした歌はイヤだわ~」というブルース調のあの歌は何という曲ですか?絶妙の選曲と正平さんの間の取れた立ち位置に感服です。
投稿日時:2013年05月18日 18:32 | 酔いどれオヤジ
今日の土曜版見たところです。
穏やかで、お天気も良く、気持ちよさそうに河川敷を走っている5レンジャーのみなさんを見たら私も外に出たくなりました。
これから買い物に行ってまいります。
たまにはお寿司にしてみましょうか。(うふっ)
投稿日時:2013年05月18日 15:29 | つぼみな
今日の放送を拝見しました。
狩尾神社
人生まだまだというエネルギーを感じました。天王山、ウィスキー工場もご紹介いただき、ありがとうございました。白髪の女性がTVで観て、生で見てと感動し、道を尋ねた兄妹の所では、キャッチボールでエラーしたら、下まで転がるだろうなぁ・・・と思いました。
舞鶴港引き揚げ桟橋
お父様は苦労の連続、「こころの風景」を拝見させていただきました。飲んでいたお酒は、日本酒でしょうか?行ってみたい場所が、また一つ増えました。
投稿日時:2013年05月18日 14:40 | チロ
土曜日版、見たよ。
213日目:
楽しそうに自己紹介しあう若者達、
60代の私には経験ない世界でした。
今回の階段は上りもさることながらを
降り方が難しそうで、
私ならへっぴり腰になりそうでした。
214日目:
酒を飲むと戦争の話をしだすのは
大正生まれの私の亡父も一緒でした。
投稿日時:2013年05月18日 14:15 | ももの爺
土曜日に放送を拝見させていただきました。
83歳のお元気なお母さんのお手紙に反省させられました。
今日から私もウォ-キング頑張らなければ・・
40年も前には坂道に並ぶ家並みもまばらだったとの事。
坂道の多い所でも人が人を呼んで素晴らしい町となるのでしょうね。
時代の流れは色々と変わりざるものです。
西舞鶴から東舞鶴そして港町も40年前は賑やかな活気ある町でした
永い船旅から日本の山並みが見えたとき引揚げ者の方はどんなお気持ちで眺められていたのでしょうね。
お母さんが待つ、家族が待つ日本へ。
大事な事を思い出させて頂きました。
道中お気をつけて。
投稿日時:2013年05月18日 12:38 | カッコばあ
火野さん、スタッフさん、こんにちは!
213日目の「狩尾神社」美恵子さんのお手紙には大いに励まされました。(78歳の私より遙かに先輩)
並大抵じゃない坂道に沿って住宅が並ぶ街。美恵子さんは唯でさえハードな生活道に暮らし、尚かつ高所の「狩尾神社」さんからの展望を楽しみ希望の源にされてる!ステキです。皆さんはホンとにご苦労様でした。
214日目:「舞鶴港引揚桟橋」舞鶴港は風も波も荒い日本海、火野さんご一行は青空の許軽快なる走りで着いた桟橋は余りに小さかった!
訳は“引揚記念館”で分かりました。
終戦直後、日本中の商船を動員しての引揚げ・・“はしけ”が大型船から往復し桟橋は人々で一杯だった・・日本の悲劇が其処に在った。
今、何事も無かったかの様な木製の桟橋・・此処を通られた方達に感謝の誠を捧げます。
火野さん、皆さんにも有難う。
投稿日時:2013年05月18日 12:34 | 千美子