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こころフォト

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佐々木みき子さん(みきこ・当時57歳)仁也さん(じんや・当時28歳)岩手県陸前高田市

みき子さんは長男と避難の途中に津波に巻き込まれ、仁也さんは自宅にいて津波で家ごと流されて亡くなりました。

震災から11年PHOTO

「こころフォト」ニュースリポート

震災から11年を迎えて

佐々木善仁さんより

逝ってしまった最愛の妻と愛しい次男仁也へ

早いものであれから11年が経とうとしています。
私たち二人にも大きな変化がありました。
あなたがたに一番に教えたいことは、何とあの陽一が結婚をしたことです。
今は幸せな家庭を築いています。
一緒に暮らしていて全く女っ気を感じさせなかった陽一が驚くなかれ結婚をして埼玉県秩父市で暮らしています。
結婚すると言われた時、あまりにも思いもしなかった言葉に本当に驚きました。
そして家を離れるとも言いました。親は何よりも子どもの幸せを望みます。
ですから声には出さなかったけど、万歳したい気持ちでした。
今では週に1回は連絡をくれます。
一人になった私を気遣ってくれているからです。奥さんの計らいのようです。
気立ての良いお嬢さんが嫁に来てもらって陽一は幸せに暮らしています。
2頭のワンちゃん(ミニチュアダックスフンド)の動画が送られてきますが、これがまた可愛いんです。
陽一と同様、私もとても幸せです。

二つ目は私の病気のことです。あなたがいたときは、健康管理は全くあなた任せでしたね。
ちょっとしたことでぎっくり腰になる身体をあなたの管理で起こらなくなりましたね。
陽一と暮らしてからも年に1,2度病院に行く程度で至って健康だったものですから、
加齢により体が弱ってきていることを自覚しないまま過ごしていました。
健康に対して過信していたわけでなかったけれども、
高血圧が引き金となって「脳内出血」を起こして4か月余り入院しました。
その後遺症で左半身が麻痺状態だったのですが、懸命にリハビリをして現在はだいぶスムーズに歩けるようになりました。
車も運転できるようになり、買い物も不自由なくスーパーや店に出かけています。
無理な運転はしないようにお医者さんにも陽一にも言われているので、遠出はしないようにしています。
病気前よりもスピードも出さなくなったし、安全運転を心がけて乗っています。
健康管理もしっかりやっています。
食事は具だくさんのおつゆ、週一回のリハビリ施設でのリハビリ、
1万歩のウォーキング、水中ウォーキング教室などばっちりです。
どうぞ安心してください。

三つ目はあなたが主宰していた不登校・ひきこもりの親の会を引き継ぐ形で今も月1回のペースで行っています。
不登校やひきこもりで苦しみ悩んでいる家族の方々のお話を聴く中で、
今更ながらあの時のあなたや仁也の苦しみや辛さがわかるようになりました。
あの頃は自分のことしか頭になく、真摯に取り組んでこなかった私にはあなたや仁也の苦悩を知る由もありませんでした。
現在は気仙地区だけでなく盛岡にも毎月出かけてひきこもりで悩んでいる家族へのお手伝いをしています。
それから、あなたが以前に話していた「居場所」については、まだ構想中ですが、少しずつ陽一と話を進めています。
私は、不登校やひきこもりの方に限らず、生きづらさを感じている方々のための居場所づくりと思っています。
実現まではまだ先ですが、必ずやり遂げます。
私はあなたの行動力や実行力には足元にも及ばないけれど、自分なりにできることをします。
あなたが関わってきた人や活動を財産にして、たくさんの方に関わらせていただきます。

東日本大震災で多くの光り輝く命を失ってしまいました。
その犠牲の上に、特に人々とのつながりは大きな財産になりました。
陽一夫婦、私の兄弟、あなたのお姉さんや家族・親類、同級生、教え子たち、
友人・知人、近所の方、支援いただいた沢山の方々・・・等々。
支えていただいたみなさんに感謝しかありません。
力強い生命への躍動が歩み始めたのです。経験は宝物になります。
入院して初めて体の不自由な方へのいたわりの気持ちを持つことができます。
そして不自由な体を少しでも元に戻そうとする理学療法士さん、作業療法士さんの懸命な努力が初めてわかります。
ですから、私の経験が生かしてできる私のなすべきことがあるのです。
結局、関わっていただいた方々からたくさんのことを学ばせていただいているのです。

今までの不甲斐ない私と一緒に暮らしてくれてありがとう。
私たちは、あなたたちの分までいただいた命を大切に精いっぱい生きます。
どうぞ最期まで見守ってください。
最愛なるみき子、愛しい仁也、ありがとう。

佐々木みき子さん、仁也さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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