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五十嵐聡子さん(いがらし・さとこ/当時33歳)岩手県山田町

勤め先の高齢者施設で、お年寄りの避難誘導をしていた際に、津波に巻き込まれ亡くなりました。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 2022年3月4日

    震災から11年メッセージ

震災から11年を迎えて

弟の敦さんより

姉ちゃんへ

元気にしていますか?
天国では、どんな生活をしていますか。
姉ちゃんは明るい性格だから、
みんなを元気にしているんでしょうね。

俺ももう33です。
姉ちゃんが亡くなった年と一緒になりました。
縁があって、今は盛岡市役所で働いています。
市役所で相撲部を作ってもらって、最高の仲間と相撲に取り組んでいます。
仕事も相撲も充実していて、
令和元年には、日本代表として世界選手権に出て、
重量級の世界チャンピオンになったんだよ。
自分でも驚く結果でびっくりしているけど、
やっぱりその相撲の原動力は、
あの震災の影響があったからだと思う。

働いている施設で寒そうに亡くなっていた姉ちゃん。
施設のお年寄りを助けようと亡くなった姉ちゃん。
天国にいった姉ちゃんを元気に出来ることは何かと考えたとき、
自分には相撲しかないと思った。

11歳年上の姉ちゃんは、
俺がちっちゃい頃から相撲の応援に来てくれたし、
いつも支えてくれた。
そんな姉ちゃんの喜ぶ顔が見たいと思い、今まで頑張ってきた。
その結果が世界選手権の優勝につながったんだと思う。

でも、姉ちゃんは「あんまり調子に乗るなよ」って言うと思う。
「人の支えがあってあんたはがんばっていけるんだから、
常に感謝を忘れないで過ごしなさい」と言ってくれると思う。

だから、その事を忘れず、これからも頑張っていくよ。

それから、結婚したんだよ。
子供も一人います。男の子です。
もう一歳なんだ。すっげえ可愛い男の子。
そうだね。生きていれば抱かせてあげたかったって思うかな。

そう言えば姉ちゃん、夢に出て来てくれるよね。
いつも夢の中の姉ちゃんは笑顔で接してくれるから、
楽しい夢なんだ。
たまに兄弟3人で飲みに行った時の夢を見るな。
また飲みたいよね。

姉ちゃんの笑顔を見れていつも嬉しく思うんだけど、
夢が覚めるとなんか寂しくなって、涙が出てくる時もある。
でも、遠慮なく夢で逢いに来てね。
やっぱり会えると嬉しいから。

これからも、姉(ねえ)の分も生きていきたいと思うから、
天国で見守っててくれると嬉しいです。

そっちでも元気でね。

ホームページをご覧になった聡子さんの友人の篠原沙也香さんより

聡子ちゃんへ

聡子ちゃんと会えなくなって11年が経ちますね。
当時小学生だった私に聡子ちゃんの大好きなSMAPのコンサートに連れて行ってもらったことを今でも鮮明に覚えています。香取くんの水しぶきがかかって嬉しくてキャーってなった!聡子ちゃんがファンクラブに入ってくれたおかげでめちゃくちゃいい席だったよね!
それから3月11日は私の中でSMAPを聴く日になりました。
北海道で料理人を目指していた聡子ちゃん。
家族ぐるみで仲良くしてくれて帯広にドライブ行ってコテージに泊まったよね。洞爺湖でボートに乗ったりたくさん楽しいことしたよね。
母は聡子ちゃんとディスコに行ったことを嬉しそうに話していたよ

弟さんが「相撲すごいんだわ〜!」っていつも言っていたから祖母と相撲を見るようになりました。
その度に聡子ちゃんの話しを祖母としています

小学生だった私は33歳になって結婚したけど離婚して笑
子供も5歳になったよ!

聡子ちゃんの笑顔ずっと忘れないから見守っててね。

五十嵐聡子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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