あの日、そして明日へ

こころフォト

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田口恵子さん(たぐち・けいこ/当時37歳)
茨城県水戸市

風邪をひいて実家で休んでいたところ、家具などが倒れてきて亡くなりました。

父親の脊黒佑(せぐろ・ゆう)さん(68)より

娘の恵子は、読書が好きで、物静かな子供でした。
私と妻が、よく頼ってしまう、とても優しい親思いの娘でした。

震災の当日、恵子は、家の3階で風邪をひいて布団で休んでいました。その日の朝、そばを通り過ぎた恵子に、「熱はどうした?」と尋ねると、「まだ熱があるので、もう少し寝ています」と答えたので、「早くよくなれよ」と声をかけました。それが、最後の会話になってしまいました。
大きな揺れに見舞われたあと、妻に、「恵子を見てきて」と言われてハッと我に返り、急いで3階に駆け上がったところ、家具、本棚、そして、積んでいた本が、恵子を覆うように崩れ落ちていました。
「恵子!恵子!」と叫びながら、妻と無我夢中で本などをかき出し、やっと探し出しました。必死で人工呼吸やマッサージを続け、救急車の中でも救急隊員による懸命の蘇生が続けられ、祈るような思いでした。しかし、病院に着いた時には、恵子はもう息がなかったようで、医師から「お亡くなりになりました」と告げられた時には、悔しさで壁に拳を叩きつけていました。

恵子のことを夢に見たりすると、涙が出てどうしようもなくなることがあります。そういう時には、テレビをつけて、お茶を飲みながら、朝まで起きていることもあります。
今でも、「あの震災さえなければ」と思います。

あの日から5年が経ちましたが、私と妻にとっては、長くも短くも感じられません。
3月11日、そして、月命日の11日は、絶えずやってきます。
月命日の11日には、必ず妻と共に墓を訪れます。 次女の子供3人のうち、最も年下の孫は、外から花を摘んできては、「恵子おばちゃんのために」と声をかけながら、毎日、花に水をやっています。これからも、娘のことを思い出しながら、次女と3人の孫と共に、毎日を大切に妻と2人で生きていきたいと思います。

田口恵子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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