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戸川壮一郎さん(とがわ・そういちろう/当時26歳) 福島県浪江町

当時、ダウン症、クラインフェルター症候群、合併症の併発で、南相馬市の病院に入院していましたが、別の病院に搬送されたあと、容態が悪化し、3月23日に亡くなりました。その後、関連死として認定されました。とても優しい子で、周囲の人たちにとても愛されていたといいます。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 5月6日放送

    息子の願い かなえるために

    (ニュースウオッチ9)

震災から10年を迎えて

姉の秋山真貴子さんからのメッセージ

10年があっという間にきてしまいました。
最近では壮くんのことたくさん思い出しては家族でこうだってね~、そうくんのくせを話したり今度中学生になる娘に一生懸命めんどうをみようとしてお世話してくれたんだよと言ってみたり。会いたいなぁとふと思うことも以前より増してきたようにも感じる今日この頃。

10年?本当に10年かと信じられない歳月が経って
周りが変わっていっても生きていれば時間が少しずつ心を癒やしてくれたのだと感じています。
心の中にあの笑い声もくったくのない笑顔も生きていて今も私を支え続けてくれてる存在。
私はこの先も大切に持ち続け、初心を忘れず頑張ります。
私の弟よ。会える日まで元気でいてね。

大好き壮くんへ マキより

震災から5年を迎えて

姉の秋山真貴子さんからのメッセージ

5年という月日は、5年が過ぎてしまったという現実。

生活の中では、ただ毎日を過ごすこと。震災から生活自体を奪われ、すべて失った中から生活を再開しなければならない。
でも以前とは全くちがった生活を送っていかなければならない現実。
仕事、健康、心から笑うこと。以前の生活に戻ることができないまま時間だけが過ぎていきました。
暗いトンネルの中をただ歩いているだけで、光は見えてこないのです。

しかし時間というのはただ過ぎていくだけではなく、私たち家族にとっては、傷を癒すことはできたのかなとは思います。
また、私は、弟がいてくれたから自分の夢を叶えることができ、看護師として働くことができていたのですが、震災でたくさん心が傷つきました。
そんな体験をしてから、職場に戻ろうとは思わなくなってしまったのですが、震災での経験や、自分が病気になり患者さんの気持ちが理解できるようになり、また、弟と過ごし、弟の看護を経て、現場へ戻ることはまだ難しいですが、看護や介護を目指す人たちに看護とは何なのか、いっしょに学びながら体験、経験を伝えていく仕事へつけるよう努力しています。

そうすることで暗闇から脱出することができ、私の中の弟がずっと生かされていくのではないかと希望を持ち始めたことが以前と変わったことです。

震災から3年を迎えて

姉の秋山真貴子(あきやま・まきこ)さん(32)より

そうくんへ

私が、3歳の時にあなたは生まれました。 私にも弟ができるのだと、幼いながらに喜んでいたことが、今でも焼き付いています。

しかし、生まれてから母とあなたは、入退院の繰り返しでした。
嬉しい気持ちとは裏腹に、障害があること、余命が一年と言うことに家族全員が、どん底に落とされた気持ちでした。

しかし、病気と闘いながら、必死に生きようといつも、奇跡が起きた!!と医師が口にする程の生命力。
ひまわりのように温かい笑顔は、家族が一番元気になれました。
その笑顔はまた、沢山の人に元気と癒しをもたらし、沢山の人に愛されていた事を忘れないで下さい。
そして、何よりも大きな宝物をそうくんから、もらったね。

お姉ちゃんは、そうくんが、いたから、看護師という夢を諦めませんでした。 しかし、せっかく、つかんだ夢をそうくんに尽くしてあげられず、悔いが残りました。

震災から、ちょうど1週間前に酸素ボンベを持ち、家族みんなで、海を見ながらお弁当を食べ、とても、幸せな時間を過ごしました…
しかし、その夜、いつもの、合併症の併発で、入院をしました。
普段なら1週間で、退院ですが、震災がおきてしまいました。

原発が爆発したとき、病院が尋常じゃない状況に危機を感じた父は、「そうくんは動かせない、おれは、そうくんと残るから、お前らだけは逃げろ」と言い、私は、一度も母から離れた事がない弟の手を握り、「絶対戻るから!!」と告げ、ただ、黙って私を見て、うなずいた、そうくん。
本当は、「置いていかないで」と言いたかったはず…。

しかし私は、母の手をとり避難してしまった。
私は、取り返しのつかない事をしてしまいました。

そうくんは尋常じゃないあの状況の恐怖。
酸素がまともに取り込めず、呼吸もままならず苦しい時にお母さんがいない不安を与えてしまって本当にごめんなさい。

そして、そうくんとやっと再会できたのもつかの間…。
3日間、お家に帰りたい…と酸素マスクをしながら、ご飯を食べれば元気になり帰れると思い、息をするのも苦しそうに水のような粥を啜る姿を思い出すと、涙がとまりません。

「お家に帰りたい」
いまだにその願いも叶えてあげられず、ごめんね。
早く、休ませてあげたいのに、お墓にも入れてあげられず、ごめんね。 いつか、家族みんなで、お家に帰ろうね。

姉の秋山真貴子(あきやま・まきこ)さん(32)からのメッセージ

生まれつきダウン症、クラインフェルター症候群、合併症の併発で、大きくなっても3歳くらいの知能しかありませんでした。
ひまわりのように、周りを明るくさせる子。
わたしが3歳のときに弟は生まれ、入退院の繰り返しでしたが、医師から「奇跡」と常に言われるほど、彼は26歳まで生き抜きました。
(2枚目の)写真は20歳までの奇跡を祝い、親戚や彼と出会った人たちが集まり、家で盛大に祝いました。
まさか津波と原発事故で弟を失うことになるとは思いませんでした。
あの震災の日は、弟は母の付き添いで南相馬市に入院していました。
私と夫、娘、父は原発事故で浪江から弟のいる病院の駐車場に避難しました。
しかし、父は2回目の水素爆発で、「俺はいつ死んでも構わない。そうくんも逃げることはできないからお前らは逃げろ」と言い、私は、生まれてから一度も母と離れたことがない弟に、「すぐ戻る」と手を握りしめ、泣く泣く母を連れ出し、避難しました。
私は娘と夫を新潟へ避難させ、母と会津でとどまりました。
そして、19日、南相馬市も国から避難要請があり、動かせる状態ではない時に違う福島医大へヘリで搬送されました。
家族がやっと一緒になれましたが、弟は地震の恐怖、周囲の緊迫感の不安に絡まれ、容態が悪化。
母から離された不安感が一番の原因だったのかもしれません。
しかし、呼吸も苦しい中、「お家に帰りたい」と医師から許可が出たものを必死に食べました。帰れることを希望に。
「お家に帰りたい」「アイスクリーム食べたい」。
最期の言葉となり、23日に息を引き取りました。
アイスクリーム、食べさせてあげることもできませんでした。
震災で食べ物がありませんでした。
死んでも家に帰らせてあげられません。
弟にとって思い出のある家。弟が生きてきた町には入れません。
葬儀も火葬も何も準備ができず、ただ、焼かれ、骨になった暖かいお骨を膝にのせ、また避難。
避難所にお骨を持ち入れず、寒い車の中で母はお骨を抱き、何日も過ごしました。
もう3年も経ちますが、お骨はまだ家にあります。
あんなに愛された弟の死期に誰にも見送られずに「帰りたい」と言い残し、死んでいった弟を、少しでもいろんな人に知って欲しく、津波だけでなく原発事故が引き起こした死を知っていただきたいと投稿しました。

こころフォトのページをご覧になった、東京都世田谷区の小坂晃一(こさか・こういち)さんより

秋山さんのご家族へ
メッセージをみて大変感動しました。
ご家族のご子息を想う溢れんばかりの愛情を感じることができました。
きっと天国でこれからも皆様を温かく見守ってくれていると思います。
温かいメッセージ本当にありがとうございました。

ニュースウオッチ9のリポートをご覧になった、神奈川県のほたるさんより

戸川壮一郎さんへ。
たまたまテレビのチャンネルをまわした時に震災関連の特集で壮一郎さんのことを知りました。
震災直後、離れた関東でさえ、物資がなく、乳児がいた私もとても苦労しました。
まして福島や宮城など震源に近い方たちはどんなに過酷な状況にあっただろうかと、どうやって乗り越えていこうと、折れそうな心を必死に支えてやっていたのかと思うと本当に心が痛み言葉もありません。
その時に、あのさなかに壮一郎さんという人がいて、どんな最後を遂げたかと思うと…悲しくて仕方ありません。
一時的ですがお骨をお家に帰れて良かったですね。
アイスクリーム食べさせてあげたかったですね。
それでも原発という政府は信じられません。
そして私は純粋な壮一郎さんのことを絶対に忘れません。

ニュースウオッチ9のリポートをご覧になった、福島県二本松市のハシモトさんより

戸川壮一郎さん お姉さま ご家族の皆さまへ。
NHKの放送、お姉さまのメッセージ拝見しました。
私勝手ながら、ご家族の皆さまの色々な思いにただただ号泣してしまいました。
私にも年歳離れた身体の弱いダウン症の弟がおりますので特に他人事には思えませんでした。
私はあの日、仕事で県外に住んでおり大切な家族が大変な時に何も出来なかった後悔もあり、今は実家の福島に戻り生活しています。
震災から3年経ち、まだまだ忘れ去られている、知られていない福島の現状というものを身近に感じています。
正直、この地で生活していなかったら私自身気に掛けなかったことも多いと思います。
原発の影響などは特にそうかもしれません。
そんな中、お姉さまがきっと大変辛い思い出でもあろうなか壮一郎さんとご家族の皆さまがあの日あった家族の真実を語り今現在も現状と向き合い、前に進む姿を見せて頂けた事に感謝しております。
上手に言えませんが、想いが伝わった方は私の他にも沢山いると思います。
長文失礼しました。

ニュースウオッチ9のリポートをご覧になった、戸川律子さんの知人で東京都町田市の腰越明美(こしごえ・あけみ)さんより

壮一郎君(戸川律子様)へ
先ほどNHKを拝見しておりましたら息が止まる思いでした。
驚く事に、あの震災以降ずっと安否を心配していた戸川さんが目に飛び込んできたからです。
真貴子さんのメッセージ...
壮一郎君に涙が止まりません。

ニュースウオッチ9のリポートをご覧になった、兵庫県多可町の市位葉子(いちい・ようこ)さんより

戸川壮一郎さんへ
私は養護学校の教師をしています。
ニュースで壮くんのこと、知りました。3年たって、おうちにやっと帰れたんですね。良かった・・。
家族の皆さんへ
皆さんのお気持ちを思うと、胸が詰まって涙が止まりません。
大事な命を大切に大切に育ててこられた皆さんをこんな目に遭わせた原発が許せないです。
どうか、また心安らかな日が戻りますようにと祈ります。

戸川壮一郎さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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