あの日、そして明日へ

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阿部信也さん(あべ・しんや/当時36歳) 宮城県石巻市

仕事先から自転車で子どもを迎えに行こうとしたところ、津波に巻き込まれて亡くなりました。

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震災から11年を迎えて

父親の信さんより

あれから10年と9ヶ月と17日、長くて短かったです。

3月11日に慰霊碑の除幕式があり、信也の名前の刻印があり、名前をなぞって信也のことを思い浮かべながら、南無阿弥陀仏、合唱しました。

3月28日に石巻南浜津波伝承館も開館予定でしたが、コロナの影響で延期になり、6月6日に開館しました。
次の日に見学に行きました。
パネル展示が多く、被災の展示物が少なくて、ちょっとインパクトが足りなかったなぁーと思いました。

時々、ミライサポート石巻さんの語り部をしたり、視察旅行で陸前高田の伝承館、山元町の中浜小学校、福島の浪江の請戸小学校遺構を見学させてもらい、勉強になりました。

今現在、日和山に来る人は少なくなってきましたが、体力が続くかぎり日和山に通って語り部を続けていきたいと思っています。
信也もそれを望んでいると思います。

避難場所を決めていて、逃げる、戻らない、迎えに行かないと話をしています。

令和3年12月28日(火)

震災から10年を迎えて

父親の信さんより

あれからもう10年になります。早くて遅い感じです。
長男を亡くして10年になります。今でも月命日は妻と二人で墓参りを欠かさずにしております。

現在コロナ禍で日和山に来る人達も少なくなりました。でも運動がてら自転車で(片道30分)雨や雪のない日、通っております。話をする人もあまりいないので階段を昇ったり降りたり運動して帰って来ます。
妻と2人で静かに暮らしております。

平成23年11月から通いだして丸9年になりました。
よく続いたなあと、つくづく感心しています。

日和山で話をした人達に今でもメールや手紙で励ましてもらっています。ありがたいですね。皆様に感謝します。
そして、毎日だまって日和山へ行かせてくれた妻にも感謝で一杯です。ありがとう。

震災から9年を迎えて

父親の信さんより

あの日から8年9ヶ月になりました。新居に入居して少しは落ち着きました。
今でも、天気が良い日には日和山へ自転車で行って話をしています。来る人も大分少なくなりました。平日はまったく有りません。体の運動だと自分で納得しています。

今年の3月に日和幼稚園の慰霊碑が建立されました。孫は同じ幼稚園児だったので、とても喜んでいます。この悲劇を二度と起こさないように祈っております。

今でも、孫の事は一日も忘れてはいません。もう、中学二年生、元気にしているのかなー?
令和元年12月11日

震災から8年を迎えて

父親の信さんより

震災から、もう7年8か月。今年もあとわずか、今年も色々ありました。
大阪の地震、西日本豪雨災害、北海道地震、被害がある度に、またあの3月11日の事を思い出します。
テレビで自衛隊の皆様があったかいおにぎり等を配給している場面を見ると、3月11日は何も食う物が無くてうらやましく見ていました。それもあの大震災があったから、その体験が生かされて良かったなぁーとつくづく思いました。
平成28年に現在のあゆみ野に新居が出来て、引っ越しして2年3か月過ぎました。
今でも天気の良い日は、運動がてら自転車で片道30分漕いで日和山に行って、視察に来た人に震災の様子を話しています。
門脇町、南浜町の事や、門脇小学校の生徒の避難の様子等を、私の経験した事、長男を亡くした経験を他の人にはさせたく無いです。

とにかく逃げる、戻らない、迎えに行かない、てんでこ各自逃げる!!
生きていればどこかで会える、と、皆様に教えています。
そして、帰りに近くにあるお墓に手を合わせてから帰ります。

今は妻と二人、静かに暮らしております。二階には次男がいますから、安心しています。(二世帯住宅)。

平成30年12月30日

震災から7年を迎えて

父親の信さんより

震災から7年目、みなし仮設住宅より去年9月に新造成地の新蛇田地区に新居が完成し、ようやく5年6か月ぶりに新居に引っ越して、もう1年3か月になりました。

住宅の方は落ち着きましたが、なにか物足りない感じがします。
次男が二世帯住宅を建設して、大きな借金を背負わせてしまいました。いくらかは援助していますが・・・
ここに長男と孫がいれば、何も言うことはないのですが、かなわぬ夢です。

今でも、長男のことは1日たりとも忘れてはいません。
今でも、天気のよい日は自転車で(片道30分)運動がてら日和山に行って、散歩をして、日和山で見に来る人々に震災の状況の話をして皆様に喜ばれております。
私も「話を聞いてもらってありがとう」と言います。
何というか、気持ちが安らぐからです。
そして、ふもとにある長男の墓に寄って、手を合わせて帰って来る日々です。

先日、10月末にNPOみらいサポート石巻の行事で、新潟県の長岡、山古志村など、中越地震の被災地を視察してきました。
震災遺構のありかたや、語り部の話など色々参考になりました。
震災も色々あって、阪神、熊本、東北岩手の豪雨被害など色々あったけれど、風化されて、忘れ去られていくのがとてもつらいです。

これからも、何があるかわかりません。日和山で会った人たちには「とにかく逃げる、逃げる」と話をしています。
何事もない事を祈っています。

震災から6年を迎えて

父親の信(まこと)さんより

平成28年9月11日今日で震災から5年と6カ月になりました。
3月10日に造成地の土地の契約をして6月より家の建設工事が進み、6月3日に上棟式。9月5日に完成して9月10日に鍵の受け取りをしました。そして9月11日月命日に引っ越しました。
引っ越しと同時に仏壇も新しく、信也、先祖代々の位牌も新仏壇に入りました。大変喜んでいると思います。
今までの仏壇は葬儀社から借りた仮の仏壇だったので私達も安心しました。長い長い5年6カ月でした。

新居に引っ越して安心感、達成感が入り混じっています。引っ越しの片づけで暫くは考える余裕もなく暮らしているうちに正月になりました。自宅でのお正月は格別でした。でも何か落ち着きません。
まだ仮設で暮らしている他人を思うと手放しで喜んでばかりはいられないです。
そして次男に大きな借金をせおわせてしまったのでマイナスからの出発です。

これからも妻と二人で健康に気をつけて信也の供養、先祖の供養をしていきたいです。
今でも週に2-3回は日和山に自転車で行っています。(片道30分)
そして、いつもの人達と話をして帰って来ます。やっぱり今まで通った所は懐かしいです。
そして海を眺めて昔の事を思い出している今日この頃です。

震災から5年半を迎えて

父親の信(まこと)さんより

あの日から、5年半早いようで遅いです。
今、日本は東日本大震災の事等忘れたように選挙、アベノミクス、東京都知事選など色々な出来事で忘れ去られそうになっています。
そして熊本地震。何回も地震が有って大変でしょう。
津波と違って物もあるのに、自衛隊やボランティアの皆様が迅速に温かいおにぎりや食物を配給していたのに、石巻の被災者は1週間何も食べる物が無かったのに、おにぎりも冷たくなってぼろぼろのおにぎりでした。
自衛隊やボランティアの皆様に感謝の気持ちで頑張ってもらいたいです。

私達は、6年目になりますが、まだまだ。
仮設暮らしの不便な生活。被災した人の4割以上の人が、仮設住宅やみなし住宅でがまんして暮して居ります。
私は幸いに次男が造成地に家を新築する事になり、この秋に入居出来るようになりました。
息子に大きな借金を背負いこませてしまいました。
これからが大変です。出きる限り応援したいと思っております。
信也もお墓の中から応援してくれていると思います。まだまだ信也の事は忘れられません。
一生背負って生きる覚悟です。

毎日、散歩して日和山に行って話をして、お墓に寄ってお参りして帰ります。
日和山に来る人も少なくなってきました。土曜日、日曜日が少し多いくらいです。
日和山で逢って話をした人達がいまだに月命日や命日になると電話や手紙で励まして、もらっています。感謝の気持で一杯です。ありがたいです。自然に涙が出てきます。
これからも感謝の気持で頑張りたいと思います。

震災から5年を迎えて

父親の信(まこと)さんからのメッセージ

もうまもなく5年になります。
今年の春には待望の造成地の土地ができて、秋には新居ができる予定です。私が土地を借りて、次男が二世帯住宅を建設する予定です。
先が見えたので、いくらか落ち着きました。まだまだこれからですが、気持ちを楽にして頑張りたいと思います。
平成23年11月から日和山にて会う人に、私達みたいな思いをさせたくなくて、逃げる・戻らない・迎えに行かない・各自逃げる、と話をしています。
亡くなった人は、主に逃げない人・戻った人・迎えに行った人でしたから。子供を迎えに行くなというのはちょっと酷とは思いますが、無理でしょうか。
27年の8月に日和山で会った市内の人も、家や家族を失っても、ボランティアで、神戸の震災で亡くなったはるかちゃんの所から咲いたひまわりの種を配っていて、
私の話を聞いて、その思いが私もわかってもらえると思って、そのひまわりの種を配ってと頼まれました。神戸のはるかちゃんと言っただけでわかる人もいました(以前にテレビ、新聞で報道されたそうです)
日和山で見に来た人に、震災の状況やこれからの話をしていると、私も気が楽になり、話を聞いてもらってありがとうと言っています。
相手の方も話を聞いて、わからなかったので話を聞いてありがたがって帰ります。
今では何百通の感謝の手紙をもらっています。それを見て、話をして良かったなぁと1人喜んでいます。

震災から4年を迎えて

父親の信(まこと)さんからのメッセージ

あの震災、平成21年3月11日から、きょう(1月11日)で3年と10か月になります。

現在は相変わらず散歩して、日和山で話をし、「何かあったら高い所へ避難してください」と言っています。 だんだん訪れる人も少なくなってきています。

私たちは、次男が2世帯住宅を建てたいとの話で、私が集団移転団地内に土地を借りて建設予定です。 その団地は、28年の1月~3月に引き渡し予定なので、あと1年、土地が完成するのを待機中です。 それから家を建てるようになります。

父親の信(まこと)さんからのメッセージ

きょう3月11日は、お寺で信也の5回忌の法要でした。
4年前と同じく、雪降る寒い日でした。
そして、日和山でこれまで会って話した人たちからメールや電話をいただき、励ましていただき、
ありがたくて涙が止まりませんでした。
これからも元気で頑張ろうと思います。

父親の信(まこと)さん(65)からのメッセージ

信也は優しく、人づきあいが良くて、小さい頃から皆に好かれていました。
仕事も最初はホテル、次は車の営業、そして保険の営業マンでした。 あの日、平成23年3月11日、大地震が起きて、妻と私は津波が来ると直感して、近くにいる信也の嫁さんを迎えに行き、日和山の幼稚園に向かいました。
幼稚園に着き、孫を迎えて4人で石巻中学校の体育館に避難しました。
息子にはメールで知らせましたが、連絡はありませんでした。
毎日探しました。捜索願いを出したり、大変でした。 10日過ぎて新聞に名前が載ったので、行ってみると冷たくなった息子でした…。
悔しいけれど、良かったなぁと、そのとき思いました。
未だに行方不明の人がいるのに、帰って来て良かったと…。
平成23年の11月からきょうまで、用事がない限り、毎日散歩がてら日和山に行って、見に来た人たちに震災の前の状況や被害の状況を話しています。
(わからない人は、「ここは原っぱだったのかな?田畑かな?」と言って帰る人がいます)
悔しいです。
ここで生活をしていたのに…。がれきだって、皆の財産だったのに…。
息子のためにも、風化させたくない、忘れてほしくない。
心の中の片隅にでも、この震災のことを置いてほしいと、切に願っています。

阿部信也さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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