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遠藤花さん(えんどう・はな/当時13歳) 侃太くん(かんた/当時10歳)奏ちゃん(かな/当時8歳)
宮城県石巻市

3人は、自宅の隣りの祖母の家に避難している時に津波に巻き込まれました。父親の伸一さんは木工作家で、3人とも伸一さんの仕事や作品が大好きでした。

震災から6年半PHOTO




「こころフォト」ニュースリポート

  • 12月11日放送

    忘れえぬ子どもたちと

    (ニュースウオッチ9)

震災から6年半を迎えて

父親の伸一さんより

あの日から、6年半という時間が過ぎようとしています。

あの日まで、子どもたちと幸せに一緒に生きてきた思い出の場所、自宅。
その場所は、ごく一般の家族の幸せな日常があった場所でした。
東日本大震災の大津波によって、その幸せな日常が失われてしまって、淋しい場所になってしまいました。
一番幸せだった場所が、一番哀しい場所になってしまいました。
そんな場面から、寄り添ってくださる人の想いがつながってくれて、今を生かされ、その幸せがあった場所を淋しい場所にならないようにと、人の想いで、この場所から笑顔が戻り、笑顔がはじまる場所にしていただきました。
関わって支えてくれたたくさんの人の想い。その中で生かされている自分。人が生きるということは、あの大津波から生かされた人間として感じたことは、多くの奇跡が重なり、人は生かされているということ。それから、人が背負っているものは、顔には書いてはなく、さまざまなことを背負って生きていること。生きるということは、決して楽ではないけど、その中で人は小さな幸せをつなぎ、その幸せを感じることで生きていけると感じさせていただきました。

NHKメディアテクノロジーが制作してくれた8K人形アニメーション「あの日まで」で、子ども達と過ごした幸せな日常を、かわいいお人形さんが再現してくれています。
宝物の思い出です。どこにでもある、大きな幸せです。
制作にあたり、この動画もいろいろな人の想いが込められています。ひとつの作品が多くのことを築かせてくれました。3人の子どもがつないでくれた人の想い、その中で3人の子どもの思い出と共に今は生きていけていると思っています。

あの日から6年半。階段に例えたら何段目ぐらいですか?という質問をされました。一歩ものぼれていない階段もあります。あとは、エスカレーターでのぼらせてもらったような階段もありますと答えました。いろんな意味があります。
のぼれていない階段があっても、それでもいいと思えるようになりました。
たくさんの人との出会いの中、たくさんの想いの中で多くのことを学ばせていただいています。
花、侃太、奏の父さんとして、精一杯生きようと思います。

(「思い出の場所」についてお聞きしました)

震災から4年半を迎えて

3人の父親の伸一さんより

あの日から4年半の時が経とうとしています。
あの日までの子供たちに頂いてきた、私にとっての一番幸せな時間。今は思い出として、私を支えてくれています。

思い出しては、ほほえましい光景、ほっぺを撫でた感触、抱き上げたぬくもり、ひとりひとりの個性、感じさせてくれた想い。今も私の宝物として、こころの中に深く刻まれています。
いっぱい幸せをもらいました。
花、侃太、奏の父さんであることが、今でも父さんの誇りです。
今は、花、侃太、奏が喜んでくれそうな事をいっぱいしたいと思っています。
そんな父さんに、人の想いが、あたたかくつながってくれています。そんな人の想いの中で、父さんは今、生かされています。

もう「幸せ」という言葉など、使うときなんか無いと思っていました。
そんな父さんに、寄り添ってくれた人の想いが、もしかしたら、花、侃太、奏が、逢わせてくれた人の想いが、感じさせてくれたこと。それは「虹」。
あの日、絶望と後悔に潰され、生きがいを無くし、流したこれほどまでかというぐらいの泪、泪雨。その泪雨の後に出てくれた人と人の想いをつないでくれた「虹」。「虹の架け橋」。

虹はつかむことができない。花、侃太、奏と過ごした幸せも、もうつかめない。
つかむことは、できない虹。でも、感じることはできる。みんな奇跡のような美しさは、感じることはできる。
つかむ幸せだけではなく、感じられる幸せもある、感じる幸せを感じられる生き方もあることに、気づかせてくれた「虹の架け橋」。
その虹の架け橋で人と人の想いがつながり、花、侃太、奏の想いと思い出と一緒に生きていこうと父さんは強く思います。

一番幸せだった場所を淋しい場所にならないようにと、人の想いでモニュメント「虹の架け橋」を父さんは作らせて頂きました。父さんが感じた人の想いを形にさせて頂きました。
そこには、花、侃太、奏の想いも入れさせてもらいました。そばで一緒にいてくれたよね。

UNITETOGETHERつながる、人と人は想いでつながる、独りじゃない、そんな活動を想いでしてくださっている方々もいます。
想いの形を詩にして、この被災地に想いを伝えてくれる人もいます。「大丈夫」作詞 夏原美智子 作曲 佐々木清次
震災後生きてて地獄の場面から人と人との想いがつながり、あきらめず生きていく勇気を感じさせてくれました。震災から4年半経ちますが、こうしてつながってくださる想いがあります。
詩で伝える想い、この詩を震災から5年を迎える年の年末、紅白で聞きたいです。

震災で亡くした命が、生きた私たちに教えてくれたこと。人間捨てたもんじゃない。
今、こころからそう思います。

3人の父親の伸一(しんいち)(44)さんからのメッセージ

父さんの宝、花、侃太、奏。父さんの子供になってくれてありがとう。
幸せをいっぱい作ってくれてありがとう。
今、花、侃太、奏の思い出が父さんを支えてくれています。
震災の時の地獄から救ってくれたのは、人間の想いだけでした。
このことは、亡くした命が教えてくれた事として、生きた父さんが伝えていこうと思います。父さんにお前達が教えてくれたんだね。
父さんは、花、侃太、奏が生きた証を作っていこうと思います。
喜んでくれていた仕事なので、仕事もがんばります。
父さんと一緒にいつまでもそばに居てくれな。

ご両親の友人で、東京都港区のボランティア団体「フェニックス救援隊」の古川千春(ふるかわ・ちはる)さんより

花さん、侃太くん、奏ちゃんへ。
こんにちは。
2011年の3月にお父さんとお母さんとお友達になった古川です。
お父さんもお母さんも、皆、元気ですよー☆ 昨日、ニュースウォッチ9にお父さんがテレビに出たんだよ。
そして君たちへの想いを読み上げていました。僕も仲間もジーンときました。
知ってはいたけど、いいお父さんだよね。
12月21日に渡波で餅つき大会があるので、田舎の新潟のもち米をおくりました。
お母さんから「とびっきり美味しいお餅をつきます!!」というメールが来ました。
お母さん、張り切っているよ。
お二人とも頼りになる大勢の仲間がいるから安心してください。
僕も、いつも「ガッツ!!」と言いいながら応援していますから。

NW9のリポートをご覧になった、富山県高岡市の丸山博(まるやま・ひろし)さんより

花ちゃん、侃くん、奏ちゃん。
震災時、辛かったでしょ、苦しかったでしょ、そして寒かったことと思います。
今天国で幸せに居ることと信じてます。
だってあなたたちのお父さんが、目一杯あなたたちのことを、こんなにも愛しているのですから。
あなたたちはお父さんの子として生を受け、周囲の人に愛を与え、かけがえのない記憶という宝物を残して下さいました。
短くともとてつもなく大きな宝物を残して下さいました。
生まれてきてありがとう。生きてくれてありがとう。
そしてあなた方のお父さんを愛してくれてありがとうね。

父親の伸一さんの友人、静岡県袋井市の守屋伸子(もりや・のぶこ)さんより

花さん、侃太くん、奏ちゃん、はじめまして。今日、お父さんと電話でお話をしました。
年末の餅つき会で、私のお友だちが作っているイチゴを送りたいという話をしていたところ、花さんたちとイチゴ狩りに行った時のお話をしてくれました。
お父さん、とても楽しそうに話してくれました。
すぐにイチゴを送るので、花さん侃太くん奏ちゃんも食べてね。
甘くてとってもおいしいイチゴです。

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