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こころフォト

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菅野誠さん(かんの・まこと/当時50歳)岩手県陸前高田市

陸前高田市役所の職員だった誠さんは勤務中に津波に巻き込まれたとみられます。

震災から10年PHOTO






震災から4年半PHOTO

「こころフォト」ニュースリポート

  • 3月2日放送

    お父さんが助けてくれる

    (ニュースウォッチ9)

震災から13年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

誠お父さんへ

あの日から13年。
当時の記憶は鮮明なのに、それからの時の流れは曖昧な感じがします。
お父さんはそのままなのに私はすっかり孫達のばぁばになってしまいました。孫達は元気いっぱいで昨年末は転居先から愛海と戻ってきて40日間一緒に過ごしました。

孫達との倖せを心から感じる時、やはりあなたがいたらもっともっとみんな楽しく倖せなのにと思えました。
クリスマスの大きなケーキを囲んだ孫達に「高田のじいじからだよ」と話しても、1才と3才はまだ幼くケーキに夢中でした。
でも12月の私の誕生日に、愛海から「まことじいじ、かよこばぁばいつもありがとう」のメッセージと孫達の写真が何枚もプリントされたクッションは二人へのプレゼントのようで嬉しく泣きそうになりました。

そして今の私の心配事は、娘と孫の転居先が海も川も近い場所で近くに高台もないので、大きな地震と津波がおきたらとの拭えない強い不安感です。
毎日お父さんにお願いしているとおり、どうぞ愛海と孫達を守って下さいね。
私はまた夢で会えることを楽しみに待っています。

佳代子お母さんより

震災から12年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

お父さん、また3月がやってきますね。
でも、私の記憶時計は12年前のあの日で一度止まり、その後も思うように動きません。

私たちの結婚記念日に生まれた初孫の漣も2才になりました。
誕生会には愛海(娘)が私達の結婚記念日用のケーキも用意していて嬉しくて泣きそうになりました。

お父さんはいつも私に「不器用だなぁ~」と笑っていましたが、
確かにあなたは何でも器用にこなし、
子供をあやすことも とても上手でしたね。
漸も生まれて
かわいい2人の孫達の仕草や笑顔は何よりの癒やしですが
お父さんがいれば、もっともっとたくさんの笑顔が広がっただろうと思うといつも切なくなってしまいます。

退職してからは家にこもり自然体で生活していますが、お父さんや一昨年そちらに行ってしまったワンコを想い、こうしていつも穏やかに側にいられることが何よりも私の役目で倖せだと思えます。

毎朝家族やワンコ達を守ってほしいと唱えていることをあきれているかもしれませんが、どうぞ見守っていて下さいね。

いつも一緒にいてね。 また会えたらたくさん話をしようね。

震災から10年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

お父さんへ

この1年はお父さんが隣に前のようにいてくれたらとずっと思っていました。

お父さんの溺愛していた娘が家に彼氏をつれてきて、驚きがさめないうちに妊娠、そして出産と全く予期していなかった日々でした。
お父さんがいたら彼氏に色々たずねて娘を不幸にしたら許さないと普段は怒ることのないお父さんが彼氏につめ寄る姿が目にうかびます。

結婚式はしていないけれど、行っていれば嬉しさと寂しさでずっと泣いていたことでしょう。孫が生まれる時も一番オロオロして、そして狂喜乱舞した姿が私もそして娘もあざやかに思い描くことができました。
嬉しいことばかりとは言え、お父さんがいてくれたらとの思いは常に私の心の奥深くにあって、喜びでいくらかまざりあい薄らぐことはあってもすぐにまた分離して沈んでいきます。

でもお父さん私達をいつもそばで見守っているのはわかっているので安心して下さい。孫も結局帝王切開で私達の結婚記念日に生まれましたね。
私はひそかに願ってはいましたが、まさかの展開で娘も驚いていました。
男子系は元気一杯で、お父さんの面影もあり、これからの成長が楽しみですね。

やはり私はお父さんが側にいないとダメなようなので、またいつものように夢に出て私に力をくださいね。時々喋ってくれたらもっと嬉しいですよ。

今年は2人で定年をむかえて、また新しい生活を2人でむかえたかった。
一緒にいろいろな所にも出かけたかったね。
私はいつもあなたを思いあなたが隣にいることを感じながらあなたが迎えにくるまで。家や家族を守っていきますね。

本当にありがとう。もっとちゃんとお父さんに伝えたかった。

震災から9年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

お父さん。私だけどんどん年をとっていきます。
いつも私の方が年下に見られて、くやしがっていましたね。
今年は還暦、いつもは必ずまとめ役、笑わせ役でしたね。

年祝いの集まりにも誘われています。行けば昔にもどり楽しく過ごせるかもしれませんが、やはりあなたのいない場所は自分を保てる自信はなく、あなたをおいて行けません。

あなたをさがし、会えて、泣き続けた日々、たくさんの大切な人達、昨日のことのように私の中にあります。
平穏な日々の倖せの大きさ、時間がたっても変わる悲しみの深さをしりました。

お父さんがたくさんのものを残してくれたので、いつもあなたを感じる家にいる時が淋しいけどやすらげます。
あなたの代わりにはなれないけど、もう少しこっちで頑張ります。
お父さん、いつも夢に出てきてくれてありがとうございます。
時々感じる温かさ、私を助けてくれていますよ。

一緒にいたかった。会いたいです。

震災から7年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

(時薬でも癒えない悲しみがあることを知りました)
お父さんへ
先日、おがみ様に行った時、すぐに(お父さんが)「泣いている」と言われて驚きましたが、
聞くと「自分の思いが伝えられなくて泣いている。そばにいて(私から)悪い物を追い払っている」と言われ、お父さんらしいなと思えました。

昨年末、娘と、新婚旅行に行った長崎を旅してきましたね。
2人で確かに眺めた景色があり、あのときを思い出せました。
稲佐山の夜景を見ていた時は、あなたの写真があたたかくなり、そばにいると思えました。
おがみ様には「そばにいる時はあたたかい。ムリするな、そのままでいいと言っている。また会ったら話をしようと言っている」と言われ、
泣いていたが、笑顔になったとも言われましたね。
時は流れても、その時々に感じる、あなたのいない悲しさがありますよ。
夢にはよく出てくれて、あなたのあたたかさも感じるけど、あんなに喋っていたから、やっぱり話したいです。

いつもそばにいて、私や子ども達を守っていてね。
時々でいいから、声を聞かせてね。ありがとうね。

震災から6年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

誠お父さん。先日7回忌の法要をお願いして来ましたが、自分の時間軸はずれていて、あの日から6年の実感はありません。

今年、12年ぶりに高田高校の同窓会がありますよ。お父さんがいつも幹事だったので、私達の地区の確認がとれていないとの事で、私の方に頼まれました。
12年前の同窓会はいつものように、会では夫婦でなく他人でとそれぞれ友人達と楽しい時間を過ごし、そのまま2人で高田松原の花火を見ましたね。
砂浜で並んで見た花火、口には出せなかったけど幸せだなあ…と思っていたんですよ。

災害公営住宅の仕事場では、それぞれが沢山の理不尽を抱えながらそれに負けないよう頑張っていて、逆に自分が力をもらっている感じもします。
時々、お父さんの話をしてくれる方もおり、改めて誠お父さんの大きさと自分たちを守っていてくれる事を実感しています。
私があまりにもひどく泣きすぎて、きっと泣けなかった子供達も最近やっと自然にお父さんの事を話してきましたね。
本当は、2人で並んで子供達をそっと見ていたかったのにね。

今度会った時は自分だけ年をとっていたら嫌ですね。
あなたはいつも自分が年上だろうと思われていると言っていたから、喜ぶかな?たくさん話をしてたくさん褒められるよう、私を助けてくださいね。本当にいつも一緒だから。

震災から5年半を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

誠お父さんへ
お父さん、私、とうとう仕事を辞めました。
お父さんのかわりにとも思っていましたが、お父さんと同じ33年間勤めたし、不器用な私が今すべき事は新しい私達の家を守り、子供達を見守る事こそが自分の役目と思えたからです。
ただ以前のような穏やかな生活に慣れてくる程に、あなたのいない寂しさをしみじみ感じていましたが、あなたの笑顔の絵が来てからは、お父さんがいつも傍にいるようで、とても安心できています。
そして、震災でいなくなったワンコのかわりに新しい保護犬のワンコをもらってお父さんと同じように散歩をして、風音や鳥のさえずりを一緒に聴き、野の花から倖せを感じています。

今月からちょっとの時間だけ災害公営住宅のお手伝いをさせてもらう事になり、心配でもありますが、またいつものように夢にもでてきて私を助けて安心させて下さいね。 いつも一緒だから。

震災から5年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

お父さん。またこの季節がめぐってきました。
あなたの代わりにと思い、仕事はどうにか続けてはいますが、あなたのいない生活や寂しさにはなかなか慣れません。

あなたはあの頃、「自分はやることをやったし幸せだったし、明日死んでも悔いはない。何か、そう思う」と何度も言っていました。
今も私を支えているのは、あなたが残してくれた家族やたくさんの思い出、あなたがつないでくれた方々からの力です。
私はあなたに、やさしい言葉も愛しい言葉も、あまりに近くて甘えてばかりで素直に言えなかったことをとても後悔しています。
前の夜、遅い帰宅の私を、夕食の用意をして待っていて、食事の前に少しだけ隣に座ってお気に入りのドラマをみようと言われたのに断ってしまった私をとても後悔しています。
あの夜にもどって、隣に座り、いつものように夕食は2人で、1日の話をしながら笑いたいです。

あなたはいつも笑顔で私の話を聴いて、そしてさとしてくれました。
前の家に似せて造った家はやすらぎますが、あなたの写真を何枚も置いてもこの寂しさはつのるばかりです。
この間いつものように夢に出てきてくれて、初めて話ができて嬉しかったです。

相変わらず頼りない私ですみません。いつもそばにいてください。
今度あなたに会ったら隣にずっと座り、たくさんの話をしましょうね。
ほめられるよう、もう少し、ひとりだけどあなたのかわりにやってみます。

震災から4年半を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

お父さん。我が家にやっと引っ越しました。
お父さんが平成3年に建てた家の手書きの設計図が、震災後、私の手元に届けられましたね。
今度の家も、もちろんお父さんの思いを受け継いで造ったので、とても安心できる家となりました。
庭も、前の庭と似ているでしょう?バラの花のアーチも、また作りましたよ。

休日にお父さんと一緒の庭仕事は、とても幸せな時間でした。
これからは、庭仕事はひとりだけど、お父さんはちゃんとそばにいて、私を助けてください。無理するなと言われるかな。
毎日あわただしく、自分は何をすべきなのか考えることもありますが、こうしてやすらげる我が家ができたので、我が家をまず守りながら、あなたやたくさんの亡くなった方たちのために、
私ができることを見つけていきたいと思っています。

また夢に出てきてくださいね。

震災から4年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

誠お父さんへ
あなたへの思いは何年たっても変わらないと思います。でもこの頃は、以前のようにあなたの笑い話もできるようになりました。
私の周りには、あなたのことを知っている仲間がたくさんいて、いつも私の話を聴いてくれて私を助けてくれています。

とうとう前の家の場所もわからなくなってきました。あなたがいない家を建てることに、気持ちがついていかない感じがしていましたが、そうではなく、あなたのために前の家を建て替えて、また前のように花を植えようと思うと、やっと建てる気持ちが動き出しました。

あなたが続けてほしいと私に伝えた仕事も、マイペースながら続けています。忙しいからと理由をつけて、まだ写真も整理していませんが、私達の友達に渡していくことは私にしかできないので、写真を見るのはつらいこともありますが、あなたのため、友人達のために続けます。

あなたがこの世にいないことはわかっていますが、時々玄関のドアをあけて帰ってきそうな気がします。
「ただいま。ウソついててゴメン」と笑いながら言ってくれそうで、そう思うだけで涙が流れ出します。

時々こわいくらいのさびしさも感じますが、あなたに今度会ったら、いっぱいほめられるよう1日1日を過ごします。
いつもそばにいて下さいね。

震災から3年を迎えて

妻の菅野佳代子さんより

誠お父さんへ
いつの間にか3年といっても、あなたの姿はなくても、私とあなたの間は同じですよね。
いえ、むしろ、いつもあなたのことを考えています。

どうして、あんなにいつも笑って、私たちを笑わせ、私のわがままを聞いてくれていたんでしょう。
どうしてあんなに優しかったんでしょう。
どうして頼りない私を残して、消えてしまったんでしょう。
そして、どうやってこんなにも私を助けてくれているんでしょう。

きっと、神様に頭を下げながら、私のそばにとどまり、守ってくれているんでしょうね。
どうにか残っていた、あなたが設計した我が家の跡地もなくなったようです。

花が咲き、犬がいて、よくバーベキューもしましたね。
新しい高田の家を考えようとしても、どうしても気持ちが動きません。私にとっては、まだあの家が我が家です。

夜中、布団にもぐりこむとホッとします。
闇の中だけが前と同じで、あなたが隣にいた時の、あの安らぎを感じます。 姿はなくても、あなたがいたから、今も私を守ってくれているから、どうにかこうして生きています。

いつも一緒だから、私を、子供たちを、守っていてくださいね。
今度会ったら、絶対、離れないからね。
ずっと一緒にいようね。
平成26年2月9日 佳代子お母さんより

妻の佳代子(かよこ)さんからのメッセージ

いつも明るく、家でも地区でもPTAでも職場でも人にいやな顔を見せることもなく、何でも引き受け、大変でも冗談を言って笑い飛ばしていました。
とりわけ私には、いつも隣にいて笑っていて何でも許して、私を支えてくれていました。
夫がいなくなり、私達家族は夫の存在がどんなに大きく大事なものであったかを知りました。残された私達は、いえ、特に私は、生きていくことすら辛く、明日が見えませんでした。
夫はよほど私達が心配だったのか、たくさんの思い出のものや大事な書類、そしてたくさんの写真を残してくれました。
1枚の写真は、その時の音、ざわめき、温かさ、さらには夫の笑顔や声をよみがえらせ、それらは少しずつ私達家族の力になってくれました。
夫は確かに家族を守り、そして市民の方々を最後まで守ろうと精一杯やってくれていたと思います。
今、姿はなくなってもそばにいるということ、守ってくれていることを確かに感じます。
これからも一緒に笑って、泣いて、生きていきたいと思います。
今度会ったら、もういいと言われるまで、心からの感謝と愛しい思いを話したいと思います。
毎日散歩していた我が家のワンコ、ラピと待っていてほしいと思います。

菅野誠さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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