あの日、そして明日へ

こころフォト

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鈴木久太郎さん(すずき・きゅうたろう/当時69歳)洋子さん(ようこ/当時70歳)福島県いわき市

自宅から車で避難する途中で津波に巻き込まれたと見られています。

震災から10年PHOTO




震災から3年PHOTO

「こころフォト」ニュースリポート

  • 3月2日放送

    ばあとじいの分まで生きる

    (ニュースウォッチ9)

  • 10月10日放送

    きっかけは"亡くなった家族の言葉"

    (ニュースウオッチ9)

震災から10年を迎えて

2人の孫の高村早苗さんより

10年という長いようで私にはあっという間でした

こんなにも当時の町、家を覚えている自分がいます
今は悲しい辛い苦しいよりも
料理をしててフライのにおいがすると民宿で出してた料理等
思いだし、ばあがよく作ってたなとか
ひぐらしの声が夏の夕方聞こえるとあそこで寝ながら聞こえて
きたなあとか、山に子供と散歩しに行くとじいと一緒に
きて色々教えてもらったなあとか本当にたくさん一つ一つの事が
鮮明に思い出す。それは悲しいとかではなく
天国にいる2人に対して頑張ってやってるよって言い切れるし
前を見て歩んで行けてるって思います。

まだばあは行方不明だから実感がないし会いたいなあって
会えるかもしれないなあって思いはあるけど
忘れず心の風化だけはさせないようこれからも
ばあ、じいに心配かけないよう子供たちをしっかり育て
20年30年って生きていきたい。

私は強いはず

震災から4年を迎えて

2人の孫の高村早苗さんより

大好きなじいとばあ

結婚式を挙げることができました。じいとばあの席を作り、一緒に私を祝福してくれているようでした。
直接は伝える事ができなかったけど、じいとばあに手紙を読み、感謝の気持ちを伝えられた事、きっと天国へと届いてくれた事でしょう。
いや、もしかしたら会場にいてくれたかもしれない。
もし、もしも本当にこの場所にいたら、いてくれたのならと思うと・・・・。

私がこうして晴れ舞台に立てたのも、愛情かけ育ててくれた2人がいたからこそです。
2014年11月12日(水)PM17:40、体重3194g、身長51.5cmの男の子を出産することができました。
生まれてきた時は「無事産んだよ!じいばあ」と心で2人に語りかけました。母子同室になり、我が子を見るたびに、2人のうでの中に抱かせてあげたかった、喜んだ姿を見たかった。
我が子を育てる大変さを知ると同時に、じいばあが私を育ててくれた大変さを知りました。やはり感謝の気持ちしかないんです。

もう4年・・・
何も変わらないもんなんです。周りの人が思うより、日を重ねるたびに悲しみは増すものなのです。
私は何か幸せな事があれば、つらさ悲しみを味わうということ、これは一生、私の中でくりかえしあること。
じいとばあと心の中で、一生共に生きてくことなんだと思うのでした。

震災から3年を迎えて

2人の孫の高村早苗さんより※結婚して姓が変わりました

早いもので3年です。
あっという間でした。

今では地域再建のため、少しずつ家の基礎などがなくなってきました。もともとあった家に行くと、だんだん住み慣れた町、生まれ育った町がなくなっていく悲しさ。
小さな町だけどいろんな地域の人が作り上げてきた町が、たったこの数年で変わっていく光景を目の前で見るのは辛いものがあります。

去年10月8日、無事、ばあとじいの夢、「私の結婚」を叶えることができ、お墓、ばあとじいが守ってきた家に行き、報告ができ、本当に良かったし、2人が私よりも喜んでいると思うと本当に幸せです。
また、それとは逆に、辛さも味わうことになるとは、思ってもみませんでした。

いつも困ったり、悩んだりしていると、相談していたばあ、
思いつめたりして、落ち込んでくると、山の空気を吸わせに連れて行ってくれたじいがもういないということ。
たとえば料理にしても、近くにいたときはすぐに聞けたのに、もう絶対聞けない。
私の気分を見て、気分転換に連れて行ってくれたじいがいない…結婚式に呼べない。

結婚して、妻としてわからないことがあっても、いつも頼っていた人がいないという現実を知る辛さは、独身のころより計り知れないです。

でも、どんな時でも、ばあとじいも乗り越えてきたことを私は知っています。
だから、そういう姿を見てきたから、負けずに私も少しずつでいいから、乗り越えていこうと、言い聞かせています。

3年の今は、妻としての大変さを感じて生活していますが、何年経とうと、ばあとじいへの想いを忘れず、がんばっていきたいです。
新居も、薄磯に戻ります。

自分の実家が林になるのを見て、生活するのは辛いけど、ばあ、じいの方が辛いに決まっています。

だから、ばあがまだ見つかっていないのに、離れる訳にはいきません。
ばあが帰ってくるのはもう無理に近いけど、せめてお彼岸とか、少しでも近くに帰ってくる居場所を作っていてあげたいです。

今はそう強く思うし、これからも、5年、7年、11年…
ずっとずっと、同じことを書き続けると思います。

孫の鈴木早苗(すずき・さなえ)さんからのメッセージ

ばあちゃん、じいちゃんには生まれた時からずっと一緒で育ててもらい、私にとっては親と同じだと思っていました。
2人とは、山に行ったり、海で釣りをしたり、本当にたくさんの思い出があります。3月11日、本当に世界で一番失いたくない人を失い、前に進むこともできませんでした。でも、ばあちゃんとじいちゃんの一番の夢は、私をちゃんと嫁に出すことでした。
だから今は、その2人の想いを叶え、幸せになりたいと思っています。
そして、ばあちゃん、じいちゃんみたいな幸せを築きたいです。
まだまだ辛い時もあるけど、今の家族としっかり前を見て、歩んでいきたいです。天国にいる、ばあちゃんとじいちゃんの為にも。私たち家族にとってかけがえのない人だから。

ニュースウオッチ9のリポートを見た叔母の滝幸恵(たき・ゆきえ)さんより

早苗ちゃんへ
夕べの放送涙流しながら見ました。
特にばあちゃんは,とっても喜んで居るね。素晴らしい人に出会えて良かったね。幸せになるんだよ!

おばちゃんは,いつも早苗ちゃんの側に居るからね。
来年6月だね・・・おめでとう!

ニュースウオッチ9のリポートを見た、栃木県那須塩原市の室井剛(むろい・つよし)さんより

昨夜のニュース番組を視聴しまして、励ましの言葉を送りたく投稿しました。
私はすぐ隣の栃木県・那須塩原市に住んでいるのですが、震災前は良く小名浜や久ノ浜には釣りに、豊間海水浴場、塩屋岬の灯台や平薄磯の海水浴場へ毎年行っていました。
いわきの方達にはとても暖かく優しくして頂いた恩があります。
震災後、現実と悲しみを少しでも目に焼き付けようと豊間、塩屋岬、平薄磯に行きました。
あまりの光景に私はその場に泣き崩れてしまいました。同じ日本人として何が出来るか、幾度と考えました。
出来る事は、買い物や外食、観光など福島に積極的に出向き、消費者になってお金を少しでも多く落としてあげる事と、東北の食材を美味しく食べてあげる事。
あるいは近くに避難生活をしている方達に優しくしてあげる事が、支援になると考え、動いています。

また震災後毎年、塩屋岬地区に行き合掌させて頂いてます。
平穏な日々と沢山の幸せが来るように。
早苗さんにも、いっぱいいっぱい幸せが来るように陰ながら応援しています。

ニュースウオッチ9のリポートを見た、福島県郡山市の黒森晴美(くろもり・はるみ)さんより

10月10日「ニュースウオッチ9」拝見しました。
おじいさんとおばあさん、きっと喜んでいらっしゃると思います。
本当におめでとうございます。
お二人のようなご夫婦になれますよう、心からお祈り申し上げます。末永くお幸せに!

鈴木久太郎さん、洋子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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