自宅から車で避難する途中で津波に巻き込まれたと見られています。
毎年この時期の海の景色は胸が苦しくなる。
11年経とうが、やっぱり辛い時は辛い。
確かに自分自身、海が見えない場にいたりすれば、子育て、仕事、家事に追われ、悲しいとか辛いとか思う日が少なくなりました。
ただ、毎日海が目に入る環境にいるので、海を見たとき、この時期の冷たい空気の独特なにおい、3.11当時の環境を体で感じてしまうと自分自身だけではなく、子供に対しても心配で過保護になりすぎるくらいになります。
(留守番をさせたくない、1人で公園に行かせたくない等)
ばあの遺骨の一部でも私のところに戻ってきてくれれば
行方不明という現実を私は自分の最後の日まで背負うのか
いつかばあの一部が私のところに戻ってきてくれるのかと・・・
10年という長いようで私にはあっという間でした
こんなにも当時の町、家を覚えている自分がいます
今は悲しい辛い苦しいよりも
料理をしててフライのにおいがすると民宿で出してた料理等
思いだし、ばあがよく作ってたなとか
ひぐらしの声が夏の夕方聞こえるとあそこで寝ながら聞こえて
きたなあとか、山に子供と散歩しに行くとじいと一緒に
きて色々教えてもらったなあとか本当にたくさん一つ一つの事が
鮮明に思い出す。それは悲しいとかではなく
天国にいる2人に対して頑張ってやってるよって言い切れるし
前を見て歩んで行けてるって思います。
まだばあは行方不明だから実感がないし会いたいなあって
会えるかもしれないなあって思いはあるけど
忘れず心の風化だけはさせないようこれからも
ばあ、じいに心配かけないよう子供たちをしっかり育て
20年30年って生きていきたい。
私は強いはず
大好きなじいとばあ
結婚式を挙げることができました。じいとばあの席を作り、一緒に私を祝福してくれているようでした。
直接は伝える事ができなかったけど、じいとばあに手紙を読み、感謝の気持ちを伝えられた事、きっと天国へと届いてくれた事でしょう。
いや、もしかしたら会場にいてくれたかもしれない。
もし、もしも本当にこの場所にいたら、いてくれたのならと思うと・・・・。
私がこうして晴れ舞台に立てたのも、愛情かけ育ててくれた2人がいたからこそです。
2014年11月12日(水)PM17:40、体重3194g、身長51.5cmの男の子を出産することができました。
生まれてきた時は「無事産んだよ!じいばあ」と心で2人に語りかけました。母子同室になり、我が子を見るたびに、2人のうでの中に抱かせてあげたかった、喜んだ姿を見たかった。
我が子を育てる大変さを知ると同時に、じいばあが私を育ててくれた大変さを知りました。やはり感謝の気持ちしかないんです。
もう4年・・・
何も変わらないもんなんです。周りの人が思うより、日を重ねるたびに悲しみは増すものなのです。
私は何か幸せな事があれば、つらさ悲しみを味わうということ、これは一生、私の中でくりかえしあること。
じいとばあと心の中で、一生共に生きてくことなんだと思うのでした。
早いもので3年です。
あっという間でした。
今では地域再建のため、少しずつ家の基礎などがなくなってきました。もともとあった家に行くと、だんだん住み慣れた町、生まれ育った町がなくなっていく悲しさ。
小さな町だけどいろんな地域の人が作り上げてきた町が、たったこの数年で変わっていく光景を目の前で見るのは辛いものがあります。
去年10月8日、無事、ばあとじいの夢、「私の結婚」を叶えることができ、お墓、ばあとじいが守ってきた家に行き、報告ができ、本当に良かったし、2人が私よりも喜んでいると思うと本当に幸せです。
また、それとは逆に、辛さも味わうことになるとは、思ってもみませんでした。
いつも困ったり、悩んだりしていると、相談していたばあ、
思いつめたりして、落ち込んでくると、山の空気を吸わせに連れて行ってくれたじいがもういないということ。
たとえば料理にしても、近くにいたときはすぐに聞けたのに、もう絶対聞けない。
私の気分を見て、気分転換に連れて行ってくれたじいがいない…結婚式に呼べない。
結婚して、妻としてわからないことがあっても、いつも頼っていた人がいないという現実を知る辛さは、独身のころより計り知れないです。
でも、どんな時でも、ばあとじいも乗り越えてきたことを私は知っています。
だから、そういう姿を見てきたから、負けずに私も少しずつでいいから、乗り越えていこうと、言い聞かせています。
3年の今は、妻としての大変さを感じて生活していますが、何年経とうと、ばあとじいへの想いを忘れず、がんばっていきたいです。
新居も、薄磯に戻ります。
自分の実家が林になるのを見て、生活するのは辛いけど、ばあ、じいの方が辛いに決まっています。
だから、ばあがまだ見つかっていないのに、離れる訳にはいきません。
ばあが帰ってくるのはもう無理に近いけど、せめてお彼岸とか、少しでも近くに帰ってくる居場所を作っていてあげたいです。
今はそう強く思うし、これからも、5年、7年、11年…
ずっとずっと、同じことを書き続けると思います。