明日へ つなげよう

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金野亨さん(きんの・とおる/当時75歳)岩手県陸前高田市

亨さんと妻のセツ子さんは自宅の2階に避難している時に津波に流され、2人は離ればなれになり、亨さんが亡くなりました。2人で薬局を営んでいました。

震災から6年半を迎えて

妻のセツ子さんより

高田町字荒町の家から4キロ流されました。竹駒町の滝の里でした。

あの3.11午後2時49分、長い地震4分、まさかと思う大地震。主人は商売中にて店にいました。
私は居間にて動くことできずに、やっと主人をむかえにお店へと行き声をかけたら、今3メートルの津波と、すぐ逃げようと思いましたが、もう水は流れ込み、2人で2階に上がり、主人は奥上へ、私は2階に座っていました。ところが5分後にはドンと屋根が飛び、すぐに引き波に家ごと水の中に、もう松原へ行って終わりと覚悟をしました。
ところが運良く大町通り、竹駒の方向へと流され、やっと止まった時には、私は水が首に。ガレキをよけながらやっと木にすがり、その上へと上がりました。
そして見たら主人が、30メートル先の所、指2本、動いていました。が、私も、寒さと、誰もいないし、ヘリコプターが1機飛んで行きました。その後に男の声があったけれども、そのまま私は気を失いました。気がついた所は、大船渡病院のベッドの上、なんと涙も出ない、あの恐ろしい水の中、助けていただいたことに感謝でした。
主人は、その場にて死亡と、ひと言話なしの別れでした。
そして近くに、私の姉(長女)1人暮らしの当時88歳が住んでいましたが、津波に流され、その日に死亡したとのことでしたが、骨体がわからず、10月末までかかりました。そして姉(次女)当時85歳は私を心配して病気で4月24日死亡。また、主人のお兄さんも(盛岡)5月25日、私たちを心配、高田の家が全部ないことに驚き、脳梗塞にて死亡(86歳)。金野家が失われてしまったこと、私1人でお仏様を守ることです。
6年5か月たっても、何年経っても、あの恐ろしい出来事は忘れることなき毎日です。
高田市の復興は、少しは進んでいるのでしょうが、まだまだ何年先のことかと思っています。
道路は今度、市役所もいつのことか?人間関係も、どこに住んでいることやら、知ることもできないことです。
子どもは2人、長男、妻と孫3人。次男、妻と孫1人。日頃はなんの連絡なし、親として1人でさびしい毎日の生活を送っています。

震災6年5か月たち、嬉しかったこと。ことしの6月21日、私の誕生日を息子夫婦、孫達8人でお祝いをしていただきました。みんなで食事会は本当にうれしく、ありがたいことです。家族あってのことでしょうね。
「今、思ったこと」震災後の高田町の商店街の跡地へ2度行きましたが、悲しいことです。何百年と住んだ跡地の上に、かさ上げ12メートルと土を上げ、その上を歩くということは、本当に心の痛む気持ちでいっぱいでした。自分の土地も同じ、泣いてきました。嬉しいことではありません。

長年住んだ町、700本の松、高田松原砂浜、海水浴場、500人と賑わった高田の海でした。どんなに考えても、二度と戻ることのできないことです。今、木を切り、山を崩し、土地を作り、民家が建てられてきたようです。高田病院、小学校も2年後、まだまだ遠い先のことです。私も生きていて見られますかと思っています。これからの工事はいっぱいあり、一番道路が何度と変わり、町へ行くことも大変です。また工事で働いている方々には本当にご苦労様です。暑い中、寒い時と、一歩一歩と復興に向かっていることなのでしょうね。一番かわいそうなのは子ども達です。体力が落ちる、勉学にしても大変と思っています。
早く、安心した、明るい生活、活動、送ることを願い、毎日の生活を送っています。 

震災から6年を迎えて

妻のセツ子さんより

あの東日本大震災から早くも6年目が立ち過ぎる来年の3月11日を迎えます。
こんなに早い月日のたつ事に、毎日心が痛みます。
毎朝、お仏様にお参りをします。ご先祖様、ご主人の亡き写真を見て涙が出ます。あの、3.11の夕暮れの大津波に、家ごと、私と主人と3キロも流され、私は何とか生きようと水が首のところを立ちのぼり、30メートル位流れて主人の手が見られ、動いていましたこと、今も目に見え、助ける事のできなかったことが心に残ります。

平成25年に独自で土地を見て歩き、26年の10月16日に新しい家へと住みました。
近所の付き合いはなし会話もない毎日の生活です。
元は同じ町の人達です。あの大津波がなかったならと悲しい毎日を一人で送り続けることではなかったのに?
復興は進んでいるようですが今は公営住宅が3ヶ所に建てられて入居者と個人で高台に建築中と29年30年となりますことかと、29年には元、宮田町・商店街が予定通り土地に計画中のようです。
また、公営住宅に入所して良いのですが、老人の方には大変らしい戸が重く開かず近所の会話がなく、買物も遠くて大変らしい。
交通が不便にて毎日の生活、食事などは変わりはないと思います。ただ、変わり崩れた町土地は30年また何十年経っても、元には戻りかねる事でしょう。

今年は(故)主人がライオンズに入会していました。北は北海道、南は大分豊後高田市の方々に、たくさんの力を頂きました。現在も続いています。また、秋田・大阪、全国から助けて頂きました。お便り・電話での会話・お送り物などたくさん親戚・甥・姪・いろいろ知人と助けて頂いています。今生きていて良かったと本当に思います。有り難うの気持ちいっぱいです。
後は自分が何年生きられますか?元気で自分の目で復興を見たい気持ちです。
息子2人いますけど、それぞれの家庭生活があります。
子供達を育て中にて、別家庭にて、近くに住んでいますが会う事もなかなか、電話さえない毎日、孫も顔を見たいけれども忙しい、お盆と年越にお会いします。

孫達は誕生日とお年玉はいつも差し上げます。修学旅行とおみやげを頂きます。嬉しいです。

震災から5年半を迎えて

妻のセツ子さんより

あの東日本大震災、思ってもいない出来ごとでした。
初めてのことにはあまりにも大き過ぎました。
月日の立つ早さ、5年6か月と過ぎて行きます。
いまだ私の気持に変りなし、昨日の様な心の中にしみ込んでいます。

2階に上り、15mの波に飲み込まれ、流された時は、死ぬ覚悟、主人と3kmも流れ、私は何とか、ガレキを取りわけして頭だけを外に出し、ああっ生きたい…木の上に力いっぱい飛び上りつきました。ところが、夕暮、雲、風ふき、寒くて立っていること出来ず。気を失った様です。
気がついた時は大船渡病院のベット上。
主人は、その場所にて亡くなったとか、何がどうしたことも知ることなし。
主人は毎日、元気で店にて働いていて、早く休みたい、旅行でもと、話していましたのに、本当にもう2度と逢うことが出来ない。
毎月、お仏様にお参りをすることしか、月1回はお墓参りをして会って来ます。
会話なく別れ、2度と逢うことのない淋しさ。
私の心の中は、誰とも話すことのない毎日。あの震災がこなかったらと心痛みます。
今は皆様と会っても、震災の話もなく、皆様が前向きに、一歩一歩と進んでいる様と思われます。
公営住宅も出来て住む人、個人の家、アパート、考え方がいろいろと思われます。
また、子供さんのある方は、内陸へと住み、現在の高田町の人達は、どこかへと知る事もない。
近所の方々にも毎日会話することさえないです。
時に買い物に行って会いますか、また病院内にて会いますかです。
高田町の昔の人たちはどこへ、淋しい事ばかりです。

高田町の復興は進んでいないと思う。第一町全部が海の水、どう変わりますか。
また家族としても、親として息子を思う気持はいっぱいありますが、息子たちも孫のことにて、生活もあり、仕事もあり、親1人を見ることも無理。
せめて私は孫達との電話での声も聞きたくても、忙しく電話もなく、震災前には一諸に会話が出来たことに腹が立ち、まあ、1人で生活出来るまでは生きましょうと(クスリ飲み)。
私は皆様に助けられ、お友達(大分県九州、北海道、東海、大坂の方にお世話様になっていつも元気を頂いています。これが忙しくても私の生きがいです。
老化して生きることの辛さ身にしみます(時に夢に見る主人の姿かな)。

震災から5年を迎えて

妻のセツ子さんより

①現在の気持ち
あの大震災から5年目の月日をむかえます。早い。
亡くなった主人ですが、なんとか生きて「ただいま」と玄関に入ってくるような気持ちです。
津波さえなかったなら、主人もいまだ生きていたことと思い、毎朝、仏様に向かいお参りをしています。
最大の津波15メートルと、どんな思いと、寒さ、絶えきれずだったこと、私も一緒に流された。私も海の中、死の覚悟はしたが、運が良く、奇跡的に助けていただいた。
だが、家も、財産、全部が流されて、何にもない世界。どうして生活をするのかと思い、悔やみ続きます。何年何十年、一生忘れることがないでしょう。

②変わったこと
仮設生活を3年半過ごしましたが、30年までは待ちきれずに、自分1人で土地を探し歩き、やっと見当たり、思い切って建てました。
平成26年10月16日に引っ越しをし、1人で生活の始まりでした。ところが近所づきあい、隣との会話なし。
私はあの大震災後から、遠い大分県の方々から色々と助けをいただき、生きる力をいっぱいいただきました。頑張ろう・・・今でも続いています。遠くの方々の方がありがたいです。

③家族とはなんでしょう?昔と今の違い
今、私には、わからないことがいっぱいあります。親として子供を思う気持ちには変わりないことです。
だが、子供も大きくなり、結婚し、子供を持ち、生活が始まりです。親のことは外におき、まずは息子達の家族になることでしょう。でも親は、いつまでも孫達を思いお小遣いをあげる。
これが家族のつながりでしょうか?私は知りたい。
今、私は、息子・嫁よりも、甥・姪に助けていただき、震災後、ご馳走を運んでいただき食べています。本当にお礼のしようもない、助けていただいています。

④復興
陸前高田の場合は、一番大きい被害、高田町全部が破壊され、いくら盛り土をしたところで何年後かが心配されます(くずれなければいいですね)。

震災から4年半を迎えて

妻のセツ子さんより

早い月日の流れ。あの日から、4年半になります。
毎朝、主人にお参り。75歳にて早かったこと、もし津波さえなかったら今も生きたいたことと思う。
今は亡き人、私を見守って下さいと、ご先祖様と共にお参りしています。
あの時に、波に飲まれ流されたことは、どんな年数が経とうと、私の気持ちには一生忘れることはないです。
私の目の前にて主人の指が動いていたこと、生きている主人をなんとか助けたい気持ち、それができなかった私の思い、風に雪、自分もわからず気を失ったこと。
気がついて病院のベッドの上、驚きです。声も出ない。ただ寒さだけだった。1枚の服だけ、赤ん坊と同じ。生まれて初めてのこと、お金は1円もなく、ティッシュもなし・・・
注射の終わったガーゼを除き、鼻をかむ。1週間、過ごす。あと1週間の入院は一般室にて。
いまだに思うことは、あの日、私を助けて、海から運び上げていただいた人、一度でいい、お礼をしたい気持ちだけが、いつも心の中に残っています。できることなら会いたいと。
仮設生活で3年半過ごし、思い切って土地を探し、やっと平成26年10月16日に新築をして入所。1人で生活しています。
自分も体が血圧、心臓と弱いもので心配はあります。その時はその時と、いろいろと病院へ。でも車があります、1人で行きます。
今は詩吟に入り3年目、難しいけれどやっています。月に2回です。
また、仮設にいた時の「まけないぞう」をいただいて作っています。少し肩がこり、疲れます。
あとの心配は老後生活、明日のことはわからず、その時はその時と思い、1日を過ごすことでしょうね。
市町村はいまだ復興には遠いこと、どんなに皆様が大変な生活をしていますことでしょうね。
せめて私は、オリンピックだけは欲しくなかったことです。もう少し震災の人たちのことを考えて、もっと早く仮設生活から出られること、また、学校で子供達が校庭で運動ができることを望みます。

震災から4年を迎えて

妻のセツ子さんより

仮設生活4年、月日のたつこと早いです。
あの恐ろしい日がやってくることも、考えることも嫌です。
仮設生活の1人の1室で暮らすことの悲しい毎日、泣いてばかりいました。
毎朝、仏様をお参りしながら、亡き夫の顔を見ることが1番の辛い気持ちです。

また、ご先祖様に対しても申し訳なく、心の痛むことでした(早く仏壇をかざりたい)。
歩き回り、やっと小さいけれども土地を見つけました。
だが、働く人達もなし、材料もあまりないとかで心配しました。

やっぱり、前の町の家が恋しい。1年以上は夢見ていました。
今、買い物に行き、いろいろとお話をしていると、すぐに津波のことになり、涙が出ます。
顔で笑っても、心の中は恐ろしいことばかりです。何年経っても忘れることがないです。

家族、子どもを亡くした親の方々は本当にどんな思いでしょうね。私の姉たちもみんな亡くなりました。
でもやっと家を建て、10月16日に新しい家へと住んでいます。
1人でね。

私も何年生きられるかわかりませんが、ご先祖様にお墓参りはします。 守っていきたいです。今年はやっと年越しを私の家で、息子、孫家族9人でやります。
主人だけには申し訳なく思います。

妻のセツ子さんからのメッセージ

まさか、あんなに大きい津波が来ることは誰もが知らなかったと思う。
私も津波に流されましたが、はりにつかまってなんとか助かり、気がつくと病院でした。
水、電気、ガソリン・・・。自衛隊の人たちに助けていただきました。本当にありがとうございます。
人間、生きるということは大変なことです。
震災前は、朝から晩まで薬局の店頭に立ち、お客さんと話をする機会も多かったのですが、今は仮設住宅の一室での生活です。
がんこで気ままな主人でしたが、事業家でした。ありがとう。

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