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佐々木ヤス子さん(ささき・やすこ/当時84歳)福島県浪江町

原発事故による長引く避難生活で体調を崩し、1年3か月後に亡くなりました。

震災から6年半を迎えて

次男の茂さんより

思い出の場所とは、故郷・浪江の中山間に位置する自宅です。
四季を通じてそれぞれの営みがある中で、普通に暮らしておりました。
その中にいろいろな出来事もありましたが、それが普通の幸せを感じることではないかと考えております。私は震災と考えることはありません。目に見えぬ高線量の放射能に汚染された人的災害の頂点ともいわれる状況に対面しているのです。
解決方法は、どんなに人的手段を使っても解決するものではありません。
自然と時間が放射能災害は解決するものであることは周知の通りです。
その時間が、尺度が、見いだせないことから精神的ダメージ、物理的復興の見通しが立たないということになります。
あと何十年、何百年といった単位での想像は、故郷の破棄となってしまいます。個々のアイデンティティーも「ふるさと」の唱歌のようなもので、ただひたすら走馬燈のような認識に終始することになるのが、恐れることなのです。
営々と築かれてきた故郷の存在、維持が遮断され、世代交代が行われず失ってしまったということになります。
廃村棄民という言葉、どう考えるでしょうか。現実に私達を追い詰めようとしています。

(「思い出の場所」についてお聞きしました。)

震災から6年を迎えて

次男の茂さんより

原子力災害から5年9ヶ月、人生の第三段階のスタートは惨々たる状況となりました。
故郷を追われ、母を亡くし、生活や希望や夢まで断たれた現実に対して未だ道路のように先が見えてきておりません。
一歩前進の出来事が1つや2つはあります。まずは応急仮設住宅の厳しい生活を脱却できるということです。
近くに出来た災害公営住宅(名ばかりウソ)の県営住宅への転居です。
障害者の弟や子供3名を抱える身として、ようやく落ち着いた生活になるのかなと考えております。

2つは十年前に私が植林した杉木の手入れを高濃度の放射線の中で枝打ちやつる抜きの作業をほぼ終えたことです。
人に??にされようとも山は百年、仮に放射能に汚染されたまま放置しても雑木林に戻るだけで価値は0となります。
子孫に美林を残す事は責務です。又言えることは、百年経ても、この杉木は商品価値は0であることは当然だと思います。
百年後伐採しても放置され、さらに植木しても実質としても価値は2~3百年後となることは明白な事実となります。(そんなに生きれるかな?)

3つは旧津島村の住民と国や東電を相手に裁判を起こしていることです。世話人,幹事として結構忙しい日々を送っておりますので、気を紛らわせることで精神的に良いように考えています。
戦わずして負けるより、戦った上で結果を待つことが大切と考えています。(宝くじも買わなくては当たりません)

震災から5年半を迎えて

次男の茂さんより

常に言っていることですが、私たちは震災に依って避難しているのではありません。
原子力発電所の爆発事故による放射能災害に依って5年半もの間避難を続けていることを理解して欲しい。
自然災害であれば今頃故郷で復旧、復興を成し遂げていた相違ありません。
貧しくとも平和な日常を送っていたと想像しています。
移住を決めた人はとも角として、未だに仮設住宅、借上住宅から脱出できない人も多くいることも事実です。
住宅住居以外に資産をもたない方にとってはそうした決断は多分容易だったのかも知れません。
しかし、先祖伝来の土地や山、田、畑etc持っている人にとっては、なかなか故郷を後にして他の土地に移住するといった決断の難しさは人に言えない苦悩であり、分からないと思います。
そうした継承してきた財物を次の世代にどのようにして伝えて維持してもらうのか、今となっては高線量地区にある人にとっては本当に困っているのも事実なのです。
次の世代が育たないということが、この放射能災害の事の深さを物語っているのです。

今、私がショックを受けていることがあります。
人は死を迎えた時、極楽浄土や天の国に行くことを望みます。
が、この災害に依って故郷を追われ、終に帰還できなかった人達は異口同音に「故郷に帰りたい」「故郷の自宅のタタミの上で」といった悲痛な叫びで亡くなる方が非常に多くいたという事実です。
先日もある方の葬式の中で「ふるさと」の音楽、歌がずっと流れていました。
この方もあの世へ行く前にどうしても故郷へ帰りたかったのかなと思い考えてしまいました。
NHKの歌謡番組がありますが、夏とか冬になると大型番組を組んでいます。
提案ですが、東日本大震災後生まれた各地の故郷歌謡の大型番組の編成を願いたいものです。
それらしい歌番組をきいても、何等感動もありません。
いろいろ書きたいこともありますが、紙面の都合、そうも書けません。

最後に放射能災害を受けた人々に対して、戦後の広島、長崎の様に“被爆者手帳”のようなものを発行すべきです。
これに依って差別などあってはなりませんが。はっきりしていることは、これによって生涯病気になっても放射能を受けたことが大きな担保となって立ち向かうことが可能となり、しっかり生きることの目標となりえます。

震災から5年を迎えて

次男の茂さんより

早5年、いやもう5年も経つ。この事実は人生の一部ではありますが、あまりにも無駄な時と悩みや苦痛を味わう無化な時でありました。

我が町といっても5年間の眠りからやっと覚醒したばかり。個人的にはいまだに時が止まったままです。
誰彼と言っても、何が原因でこうなったのかの検証も、御用学者ばかりで的外れの議論が繰り返されている状況を鑑みて、日本人独特の責任逃れというか、だんまりを決めて人の噂も・・・と言った風潮に慣らされています。
ある時は武士道とはと叫んでも、空虚という他はなく、政治家が声高にがんばります。一生懸命やっていると言っても、何をどのようにどうすれば良いのかすらわからず、ただ選挙に勝ってバッジをつけているだけのボンクラに成り下がっているのが不思議です。国政において、堂々と戦う気持ちをもって事をなせば、少しは気も収まるのかとも思います。逃げるが為に今日まで数々の公害の解決がされない訳ですが。
公害の総決算をあえて行うべきであって、主権在民の姿でもあると考えます。
国家は借金だらけ、金は無いなどとのデマゴギーに慣らされている国民にとって、これほど不幸なことはありません。国家が投資している事業団、外部団体等に貸し付けている金はどこにいったのでしょうか。返済させるか利子を回収すべきではありませんか。実質的借金は200兆円とも言われています。
たかが原発が爆発した位で国家の屋台骨が揺らぐとも思えませんし、それくらいの補償賠償に応じられなければ、国家としての体をなさないのではないか。
1日も早く、国家の負の遺産を解消すべきと思っています。それは国民である、被災者に寄り添い、意見や要望、賠償をしっかり納得がいくように対処すべきとも思います。
できないことはやるな、自信のないものは民間主導で、と考えています。
喧騒ではなく、しっかり検証をして、とるべき対策とは何かを論じて欲しいと思います。

古里を離れて5年。蒸廃した家や田畑、山林を見るたびに心が折れそうになります。
誰が誰のためにこのような事故を起こし、その責任の所在は、との観点が重要と思います。
これが憲法違反であることは明確な事実。人生を返せ、古里を返せ、できないことはするな。
当たり前のことを“ならぬものはならぬ”であります。疲れました。

震災から4年半を迎えて

次男の茂さんより

東日本大震災と東京電力の事故により、苦しみや悲しみ、将来への展望、不安の月日を数えてきました。
国は私達をぜひ帰そうとしております。なぜかその根拠を示そうとはしません。科学的に理解を求めて支援は続けるが、金は出しません、と言っています。
現状と現実を直視しないいたずらな空論、空想と思います。期限を切りましたが、除染はやっと入札が終わり秋頃から始まりますが、残濃度(除染後の)がどれくらいになるかわからない中で、御用学者との話を根拠にしているようですが、放射能は動くという事実を無視していると思われます。
さて、振り返ってみますと、災害公営住宅は1割程度(目標の)。場所も悪く、買い物するにも不便、つまり交通弱者には厳しい内容のようです。
「クローズアップ現代」(NHK)で放送されたように、復興住宅はハードの面だけで、隣近所のコミュニティの破壊よる孤独や、助け合いができなくなるといった、高齢者の話があります。
行政やそこに住む人々の意見も聞かず、公共という権力が公平性を言うばかりで、避難所(仮設住宅)で仲良くしたり、肩寄せる生活者の「一緒の移動」についても耳を貸しません。犯罪です。
故郷には100年帰れませんので、2-3世代後の古郷の姿はどうなるか心配です。家に残してきた仏様や写真、その他、どうすればとも思い、考えています。墓もどうするか、なぜに悩み悲しみ苦しむのかわかりません。公共の福祉や利益を学んだ人達が1人も逮捕されないという現実があるものと思っています。故郷は線量が高く、母の納骨もできず、仮設住宅でいまだに一緒に生活しています。

震災から3年を迎えて

次男の茂さんより

東日本大震災及び東京電力の原子力災害から3年です。

地震であれば天災ということで、復興復旧で個人的なこと、住民や行政とともにがんばり続け充実した日々を送り、今頃は以前と同等の生活を送っていたと思います。
石の上にも3年、そう思ってはいても中々その喪失感から脱却できないのが現状です。
それは、言葉だけの空しい言葉の羅列で実感がないということです。

立ち上がろうという気持ちはあっても、今後の生活方法はどうなるのか、古里を捨てることや、地域の人々のつながり、取り巻く環境等、何もなくなってしまった悲しみから逃れられない現実をどう心の中で整理していくのか大きな課題です。
原発災害は人間生活の中で一番厳しい災害です。
そこに家があって、人々が生きていて、親しみ続けた野山等の自然が残っているからです。

“ふるさと”という歌がありますが、皆懐かしみながら歌っているようですが、私には残酷すぎて未だに歌うことができません。
走馬燈の如く、悲しみのみが浮かぶ、そんな心で一杯になるからです。
生活した時の全ての環境を運ぶことはできません。
新天地を求めるにしても机上の空論のみで、果たしてどこへやらという気持ちです。
人間生活に電気は必要です。

都会では貪るように消費をしておりますが、その生産地がどこなのか、分らない都会人が余りにも多いのが、国民性なのかどうか分りませんが、生産地の苦悩を共有するといったTV等で拝見しますが、依然として都会では電気を消費する生活を続けていることに対して、悲しみすら覚えます。

マスコミも行政も復興ということにトーンダウンしています。
そうではないと反論をしても進まぬ現状をどう捉えるかということです。
放射能がどの程度で半減するかなど、誰も知らないのです。
しっかり目標年度をメッシュ図で示し続けることです。

しかし、住民は年をとり続けていく訳ですので、しっかりした賠償とは何かを考えて頂きたいと思います。
しっかりした賠償とは元にもどすことです。
しかし、小出しの連続で将来生活など考えられないと思っています。

東京電力も国も原価滅却という魔法の考を導入したことが進まぬ賠償の一因です。 同等のものを現実的に求めたらということが大切です。
今さら過去を振り返ってもどうしようもないことだからです。

次男の茂さんからのメッセージ

東京電力の原発事故により、故郷をやむなく離れることになりました。
母とは別々に逃げましたが、4月から7月まで岳温泉のホテルで一緒に過ごせたことが懐かしい思い出となりました。
一昨年9月、母が末期のがんになっていることがわかりました。
それでも母は生きたいという希望で、入退院を繰り返していましたが、昨年6月に帰らぬ人となりました。
母は生前手記を書いておりまして、それに高校生が絵を描き、紙芝居として今日に至っています。
さらにラジオドラマ化やテレビの番組でも紹介され、何やら貢献したのかなと思っています。多忙な母でした。

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