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こころフォト

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古谷正彦さん(ふるや・まさひこ/当時79歳) 節子さん(せつこ/当時78歳)栃木県宇都宮市

那須烏山市の畑で農作業中に、地震による土砂崩れに巻き込まれ、亡くなりました。

震災から6年PHOTO




震災から6年を迎えて

長女の石井圭子さんより

写真のお正月は、昭和62年のこと。
幸ちゃんと滝男さんと、私のお腹に2月に生まれる命と、新しい家族が始まった年。
みんなで初詣に行ってお祈りをしました。
門松を立て、着物を着てとても幸せなお正月を迎えました。

あれから毎年お正月は、家族全員で過ごすことを続けています。
今年、平成29年(2017年)は、30回目のお正月で、お父さん、お母さんのいないお正月は6回目です。
今年も、大叔母2人を迎え、子供達も帰省してにぎやかなお正月を過ごしました。

にぎやかに人が集まることが大好きなお父さんは、大好きなお風呂に入って、大好きなお酒を飲んで、いつも上機嫌でした。
市場に買い物に行って、珍しい食材を購入し、自ら調理して、自慢げに振る舞うことも好きでした。
毎年、年末年始は、大勢の人が集まって、母さんと、幸ちゃんはくるくると大忙しでしたね。

母さんは、わがままな父さんのリクエストに陰で文句を言いつつ、いつもみんなのことを考えて、料理や掃除など正月の準備に追われていました。
家の真ん中においしい料理と、父さんと母さんがあって、大勢で過ごすお正月は当たり前のことでした。

二人が残してくれたもの、
「大晦日や正月は、みんなで集まって一緒に過ごす。お正月を、家族みんなで祝う。」二人が望んだ幸せな家族の形。

皆で集まって過ごすお正月は、家族が皆で集う場となり、家族をつなぐ役目を果たし、家族の絆を深めてきたのだと思います。
二人が突然いなくなってからも俊ちゃんと幸ちゃんが頑張って、みんなで過ごすお正月を整えてくれています。

今年は、幸ちゃんの手作りのおせちと大人になった孫たちが持ち寄った珍しい食材が、心とお腹を満たし、楽しいお正月にしてくれました。 …5年経っても、そこには、まだ二人がいるような気がしています。今まで30年続けてきた家族のそろうお正月は、二人が残してくれた大きな遺産です。

一年一年年を取り、一人一人の思いや都合があり、日常とお正月との差異も小さくなって、これから先も同じように続けていくのが難しいと感じることもあるのだけれど、周りの変化に惑うことなく、集う場や機会を整えること、家族で過ごすことを続けることは、とてもステキなことだと思います。
今年、私は写真の母の年です。元旦に初詣に行かなかったけれど、これから神社に行ってお礼とお願いをしてこようかと思います。

「父さん母さん、家族をつなげてくれてありがとう。
これからも見守ってください。」

「今年一年、家族みんなが健康で、思いの叶う、素敵な一年になりますように!!」

長女の石井圭子さんからのメッセージ

お父さん、お母さん
旅行好きの2人は、いろいろな所に行きましたね。
今度は、ずいぶん遠くへ行ってしまいました。
あまりに突然で、今でも『ただいま!』と言って、たくさんのお土産を抱えて帰ってきそうな気がします。
お父さん、お母さんは
家族のために、子どものために、孫のために、
たくさんの愛情を注いでくれました。
大きな優しさや、思いやりの心で、家族みんなを支えてくれました。
そんな、穏やかで、温かいぬくもりのある毎日が当たり前だと思っていました。
これからも、ずっと、ずっと、続いていくものだと思っていました。
ちゃんと感謝の言葉を伝えなくても、いつまでもそばにいてくれるのだと思っていました。
お父さん、お母さん
2人のおかげで、今の私たちがあります。
2人のおかげで、家族みんな仲良しです。
だからちゃんと言います。
『今まで、ありがとう!!』『いつまでも、2人、仲良くね!!』
そしていつまでも私たちのことを見守ってください。

古谷正彦さん、節子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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