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渡辺正雄さん(わたなべ・まさお/当時67歳)茨城県北茨城市

自宅から逃げる途中、津波に巻き込まれて亡くなりました。

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「こころフォト」ニュースリポート

  • 3月21日放送

    残された父の絵 支えに

    (首都圏ネットワーク)

震災から5年を迎えて

長男の修さんより

どんな言葉で今の気持ちを伝えればいいんだろう?
「辛くない」と言えば嘘になるけど、もっと話がしたかった。もう一度、父と一緒にカメラを構えたかった。

あの日から5年。泣きたいわけじゃないけど涙は溢れてくるし、どうして生きているんだろう?って考える。
答えは見つからないけど、独りになると考えずにはいられない。
「お前らしく生きればいい」父さんなら、こう言うのかな?
答えは見つからなくても、「愛する人を守るために生きていくよ」そう言い聞かせ、もうちょっと頑張ってみるね!

心の荷物はあの時のままだけど、今日も生まれたての朝日をいっぱい浴びて、新しい一歩を踏み出すよ!

震災から4年半を迎えて

長男の修さんより

忘れない。言うことを聞かず叱られた時のことを。運動会で精一杯送ってくれた声援を。それからあの日、目の当たりにした無言の父の姿も。
辛いとは言いたくはない、だけど、やっぱり辛い。
いつも笑顔でいなくてもいい、いつも元気でいることもない。泣きたい時は涙すればいい。
そう思ったら、なんだか力が抜けた。
だからかな、今なら素直に父の死を受けいれられる。
最期に言いたかったことはわからないけれど、ただ、「自分らしく生きろ」そんな一言が聞こえてきそうな感じです。
そして今日からは、前を向いてこう言えるよ。
「ありがとう」って、愛する人の幸せを祈りながら。

震災から4年を迎えて

長男の修さんより

お父さん、今頃何してますか?母との二人暮らしが始まって5回目の春を迎えようとしています。
幼い頃から病弱で、いつも心配ばかりかけていましたね。
それに、あの日の出来事は、正直、今でも辛いです。でも悔し涙を流すことはやめました。いつまでたっても安らげないですもんね。
消すことはできない記憶だけど、津波にのみ込まれた町が新しく生まれ変わろうとしているように、私も新しい道へ、その一歩を踏み出せましたよ。
復興住宅へ入居できましたし、北茨城市の職員として働くこともできました。

そしていつの日か、一緒にカメラを構えた思い出の場所で写真を撮りたいと思えるようになりました。
だからもう大丈夫!今まで心配かけた分、必ず幸せになりますから。

長男の修さんからのメッセージ

長年、料理屋を営んでいた父の指導を受け、高校生の時から板前の修業をし、板前になりました。
いつも隣で、父と一緒にやっていたので、震災後、包丁を握ってもう一度板場に立つのがすごく辛く、魚をさばくことができなくなりました。
がれきの中から見つかった妹が描いた油絵には、包丁をさばく父と、それを見つめる私が描かれています。
師としても誇りだったし、早く技を盗もうと、それだけを考えて父の包丁さばきを見ていました。
この絵を見ると、父のようになりたいと思っていたこと、ひたむきだった父の姿があるので頑張れるんだと、再確認することができます。
3回忌の日、ひとつのけじめとして、包丁を握って2年ぶりに魚をさばきました。
いつかまた母親のために刺身をさばいたり、料理を作ってあげられる日が来ると信じています。
母と元気にやっているから、何の心配もしないで安らかに眠ってください。

渡辺正雄さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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