明日へ つなげよう

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髙橋琢子さん(たかはし・たくこ/当時43歳)岩手県宮古市

こどもを迎えに行き、避難する途中で津波に巻き込まれて亡くなりました。

震災から6年PHOTO






子どもたちからの手紙PHOTO



震災から3年PHOTO

震災から6年を迎えて

夫の琢弥さんより

この前のお正月は、敢太(長男)が遠路はるばる帰省してきてくれて、また、部活動やいわて国体、そして勉強と、大忙しだった銀児(次男)も、つかの間の休日となり、久しぶりに息子三人が揃いました。

その時、気づいたこと、その時、気づいたこと、虹彦(三男)の背丈が、二人の兄ちゃんに、もうほとんど追いつきそうなくらいです! 6年前は、お母さんの腰にまとわりつくぐらいの背丈だったのに、、、(もちろんお母さんは追い越してるよ) 当たり前のことだけど、子どもたちは成長し続けています。
時の流れをあまり感じることもない日々が続いていますが、子どもたちの姿を見ていると感じるのは、、、「やっぱり時間は進んでいるんだなあ、、、」ということ。
子どもたちのおかげで、自分もどうにか、立ち止まることなく頑張れてます。

春から今度は、銀児(次男)も、新しいステージへ進むために、客を離れます。
一人、また一人と順番に巣立っていくのは寂しいよ?とよく言われますが、不思議と”寂しい”というよりも、むしろ”誇らしい”という気持ちになっています。

”止まったまま”だと思っていた時間を先へ、先へ進めてくれている子どもだちが、これから出会っていくもの、持ち帰ってきてくれるものは、、、もちろん子どもたち自身のものだけれど、私自身にとっての”出会い”にもなるのかな、、、と考えると、何だか楽しみでもあり、、、大丈夫、まだまだ頑張れるから!これからも見守ってください、、、、

震災から5年を迎えて

夫の琢弥さんより

5年目を迎えます。
町の様子が大きく変わり始めています。
新しい道路や、新しい建物が、次々と見られるようになってきました。

一方で、町から少し離れたところにある我が家の周りには、ほとんど建物がなくなりました・・・。高速道路(三陸道のIC・トンネル)の建設により、ご近所さんはみな他所に引っ越しています。
そしてこの冬、いよいよ工事が本格化・・・。家のすぐ隣では、昼夜を問わず重機が音をたてて、土埃をあげて作業しています。
“深夜”でさえ、“発破”が地響きをあげています。信じられないかもしれないけど本当です。「まさかまた、地震か!?」と不安な夜もあります・・・。

そんな中、変わらないのが我が家。“あの日”貼り付けてあった、あなたの書いたメモ書きも、そのままの場所にまだ貼ってあります。
だいぶ色は褪せてきたけれど・・・。あちこち痛みや汚れも目立ってきたけれど・・・。

家の中にいると、5年の歳月を全く感じません。ひたすら日々の“日常”をこなしています。
子どもたちも、それぞれ、仕事・学校・部活動・・・。日々の日常に一生懸命。

敢太 極寒の大地で、日々、電力供給の仕事がんばってます!
銀児 高校ラグビーの夢を叶えるため、日々がんばって、ご飯食べてます!
虹彦 「もの作り」に興味を持ち始め、自分でPC1台組み立てました。

そして自分、思い切って、新しい車を買いました。車の運転って、いいね!顔を上げて、前を向いていられるから。
“復興”という名を借りた周りの変わりように、なぜかちょっぴり淋しくなることもあるけれど・・・。先のことを考えても仕方ないので・・・。

前を向いて、今日もまた、そしてこれからもまた、
“その日その日を”走ってます!

震災から4年を迎えて

夫の琢弥さんより

また「その日」がやってきます。毎年、その日をどう“やり過ごそうかな”・・・と、なんとなく悩ましい季節が、また、やってきました。
4回目となる今度の「その日」を、私はどんなふうに迎えたらいいのでしょう?

昨年2014年3月11日(3年目の日)には、我が家に1冊の冊子が届きました。
ピンク色のカバーできれいに装丁された、手作りなのだけれども“書籍”と言ってもいいくらいの、それは立派な仕上がりのものでした。表紙に題名等は何も書かれていません。
その中に綴られていたのは、県内県外の小中学校でお仕事をされている、たくさんの“養護教諭”の方々からお寄せいただいた“故・高橋琢子との思い出集”でした。
しかもそれは、何冊も印刷して大勢で共有するようなものではなく、それぞれの皆さんがお書きになった「原本」をそのまま冊子にした、この世に1冊だけのものでした。

故・高橋琢子は、生前、小学校の養護教諭をしていました。震災後、児童生徒の心身のケアに尽力されている養護教諭の先生方が、故人のことも忘れず、今なお“仲間”として思いを寄せ続けていてくださることに、言葉にならない感謝の気持ちと、悲しみとは全然違う涙があふれてきて・・・。読み終えてからすぐに仏前に供え、それぞれの皆さんのお気持ちを込めて、線香を上げた昨年の3月11日でした。
“たった1冊だけ”のものなのに、私はさらに無理なお願いをしてしまいました。「できれば、3人の息子たちの分も1冊ずつほしい・・・。子どもたちがそれぞれ、家を巣立つときがきたら持たせてあげたい・・・」と。
それから、半年ほどたったある日、ある方のお声がけにより、一旦その冊子はお返しすることになり(何せ、原本ですものね・・・)、
それから4か月ほどたったクリスマスの日に、新たに3冊増えて“帰って”きました。カラースキャナ等々を駆使して作ったのでしょうか?オリジナルと見分けがつかないほどの、素敵なピンク色の冊子があわせて4冊、これ以上ないクリスマスプレゼントになりました!

この“思い出集”の作成に携わった先生方には、とんでもないご苦労をかけてしまいました。労力はもちろんですが、“果たして、家族に伝えていいものかどうか?かえって家族の心の負担にはならないものか?”などなど、私の方から言うのも変ですが、相当お悩みになったことだろうと・・・。そうしたご心労の方も推察されます。
でも、しっかりと受け取った今、素直に思います。“本当によかった!”と・・・。

私たち親子の心の中に、妻であり母である琢子はいつまでも変わらずにいる人です。
でも、いただいたメッセージの数々をあらためて読み返すと、そこには「おかあさん」ではなく、3人の子どもたちはきっと知らないであろう「養護教諭・高橋琢子」の姿があります。
家庭人としてだけでなく、職業人として、教育者として、一生懸命に前向きに仕事を続けていた姿があります。生きていた姿があります。
こうした「姿」を、子どもたちには、話としてだけでなく、「見える形」として伝えたいと強く思っていました。

すでに社会人として家を出ている長男は、この1月に成人式を迎えました。成人祝いとして、まず1冊をその手に渡しました。次男にも、三男にも、今はまず、今の自分のことに一生懸命でいいから・・・、
でも、やがて巣立つときに、母の存在感をその手に持たせてあげようと思っています。きっと、大人になってからこそ、彼らの支えになる1冊であることを信じて・・・。

さて4年目の“3月11日”を迎えるために、私のやるべき“宿題”ができましたね。
原稿をお寄せいただいた皆さん、素敵な装丁をして下さった方、お一人お一人に、やっぱりお礼の気持ちを伝えなきゃあね!!

子どもたちからの手紙

次男の髙橋銀児(たかはし・ぎんじ)さん(16)より

感謝の手紙
父さん、母さんへ。
今日まで、僕のことを支えてくれて、本当にありがとうございます。僕は小学校の時から、宿題をしっかりやらない、提出物を忘れるなど、たくさんの迷惑をかけてきました。
それだけではなく、小学校に入って、いろいろ怪我をして、母さんに泣き付いたり、風邪をひいて、病院につれていってもらったりしました。
父さんには、小さい頃から釣りやスキー、スケートなど、他にもたくさんの所へ連れて行ってくれました。小学校3年生になり、ラグビーにも行くようになり、日々の練習や試合、大会などで、朝早く起きて、送って行ってくれました。
6年生の時には、右腕がひどい関節炎になり、盛岡の病院まで毎日のように通ってくれました。
中学に入り、母さんが亡くなってから、男4人の家族になりました。それだけでも大変なのに、兄は陸上、僕は野球とラグビー、弟はラグビーなど、自分たちのやりたい事をやらせてくれました。
おかげで野球ではレフトとして、ラグビーでは岩手県選抜として、僕は自分のやりたい事をいっぱいやることが出来て、僕は幸せ者だと思いました。
もうすぐ高校生です。これまで以上に迷惑をかけると思います。僕は、高校での自分の目標にむかって日々努力します。
いろいろな大会などで、いそがしくなると思いますが、これからもよろしくお願いします。
※2014年3月の中学校卒業式の日、銀児さんが両親あてに書いたものを送ってくれました。

震災から3年を迎えて

夫の琢弥さん(50)より

この前、いつものように台所に立って夕飯の支度をしていたら、5年生になった三男が、「手伝う」と言うので、野菜を切ってもらいました。

そうしたら三男は、「この包丁切れない!」と言って、砥石を取り出し、包丁を研ぎ始めました!
その手際がとてもいいので、「誰に教わった?兄ちゃんか?」と聞いてみたら…、「いや、母さんだよ!」との返事…。
小学校2年生までの間に、いつの間にか教わっていたのでしょうか?

私はこの3年の間、彼が包丁を研いでいる姿を見たのはその時が初めてです。(体が覚えていた…?)

いや、「あなたが、今、ここ(台所)にきてくれているんだなぁ…」って思った瞬間でした。
そんな形でもいいから、また、時々、帰ってきてくださいね。

夫の琢弥さんからのメッセージ

もし、メッセージが届くものなら、伝えたいことは山ほどあります。
この2年間に3人の子供たちが見せてくれた小さな“輝き”や“晴れ舞台”の数々・・・。
自分も新しい分野の仕事に携わるようになり、たくさんの発見があったこと・・・。
そして、今夜の夕飯もうまくできたぞ!?などなど・・・。
どれもこれも、一番あなたに喜んでもらえそうなことばかりです。
書き出したらきっときりがないので、生きている間に伝えられなかった一言だけ伝えます。
『ボクの奥さんになってくれて、子供たちのお母さんでいてくれて、本当にありがとう。』

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