明日へ つなげよう

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笹谷舟一さん(ささや・しゅういち/当時20歳) 要司さん(ようじ/当時19歳)宮城県仙台市

大学2年生だった舟一さんと、同じ大学の1年生だった弟の要司さん。仲がよかったという兄弟2人は、春休みのため自宅にいて、近くに住む伯母を助けに行き津波に流され亡くなりました。父親の由夫さんは、「思い出すのはどうしても小さい頃のこと」と、小学生の時の写真を送ってくれました。

震災から7年を迎えて

父親の由夫さんより

被災した自宅跡に、息子たちの名をとった「舟要観音」を建立して(平成26年12月吉日)3年が過ぎ、自宅跡は防潮堤計画地に入り、土地収用法にて移転せざるを得ず、「舟要の館」ともども来年は移転することになるかもしれない。
「被災地は、津波で殺され、さらに復興復旧の名目で行政に再び殺される」こんなことは、二度とあってはならぬ。

「誰のための復興・復旧なのか?」「被災した住民の声もきかず」「私は民意というものを知らない」と公言した北海道奥尻町の元総務課長。それで復興復旧したと自慢げにお話していた。お役所というところは、そんなもんでしょうけれど・・・被災した庶民は・・・「生きるか死ぬか」・・・津波から逃げ助かった命も、みずから再び命を消した。その「おもい」を市も、県も、国も知ろうとはしない。頼みは自分の生命力だけ!「共助・公助」「花は咲く、咲いた花は散る」みんな、みんな、甘い言葉にだまされ、祭りだ、オリンピックだ。「くそくらえ」だ。

・・・あれから7年目・・・。過ぎた過去は過去。残された人生・・・あと何年!息子たちを失い、絶滅危惧種となった。せめて・・・息子たちが生きた19年なり20年を・・・この誕生の地に残すことすら許されぬ・・・。ならば・・・少しでも近いところに・・・。「舟要観音」として再建立(移転)し、永遠にこの東日本大震災を記憶したい。いずれ我が身は消えていくにしても、この震災が風化しようとも、忘れ去られようとも・・・「舟要観音」は見続けることになる。
「いのち」とはなんぞや?「災害」とはなんぞや?

・月日たつに 影したいて 涙ぐみ
・我子(あこ)の顔 二人並びて 笑みうかべ
・忘れじと 肝に銘じて 名を呼べし
・人の世の 行政なら 花は咲く
・さにあらず 行政から 人殺し
・軽すぎる 命の自方 風にのり
・ついに来た 原発破裂 世も末か
・犠牲者 一人になりて 首をつる
・偽政者 世を混乱し 自慢する
・ありがとう 誰がどなたに 何のため

震災から6年半を迎えて

父親の由夫さんより

兄姉3人、息子2人、めいの長男。親族6人を失ってまもなく7年目を迎えようとしています。

自宅跡は、防潮堤の建設用地で、土地収用法により収用される定めにあります。
震災当時から「集団移転しません。土地は売りません!」と叫び続けてきましたが、そろそろ年貢の納め時でしょうか?

この6年余の流れは、私どもにとって・・・どんな意味があったのか?
行政のあり方、法律の示すもの、マスコミのあり方、様々見聞させていだたきましたけれども・・・現実は・・・いつも・・・1人なのです。
「花は咲く」「絆」「自助」「公助」美辞麗句をいくら並べられても1人ですヨ!!人は「あて」にならん!!
どんだけ親身に世話をいただいても・・・行く先は・・・1人です。確かに、多くの人たちの手によって、今日まで生かされてきたのも事実。

震災があったから・・・どうこうではない。もう自分達が老境に入り、死に支度をせねばならん年齢なのだ。若い世代に全てを譲り渡す時なのだ。なのに・・・
その相手がいない。我々が育った時代は・・・遠い過去のものになった。我々が体験したことは・・・全て無に等しい。今さら・・・何を語っても・・・言っても・・・無に等しい。
ただ・・・残念なことは・・・今日もまた、災害で命をなくす人がいる。そして、息子達の同世代の人間が、事件事故を起こす。
こんな悲しいことは、我々だけでたくさんなのだが!・・・

震災から6年を迎えて

舟一さんと要司さんの父親で、一子さんと正二さんの弟の由夫さんより

あすの夜24日のEテレ2ch漂流ポストで私のことが放映されます。

収録されてから約一ヵ月半が過ぎ、12月16日(金)、土地収用法の公聴会が催されました。
私一人の為の公聴会…何故…どうして…そこまで…何故なのか…自分でもわからない部分がたくさんあります。
7.2キロの防潮堤を海岸線に一様に造成し、L1津波に対応する。
そして「住民追い出しの区画整理事業」本当にそれでいいのでしょうか。
集団移転も大方済み、安堵して新生活をしている被災者。本当にそれで幸せなのでしょうか。

70歳になってもう夢も希望も失い、早く殺して下さいと願う日々ですが、息子たちがまだ来るなと叫んでいる様で、仕方なく生きている有様です。
H28-12-23.

震災から5年半を迎えて

父親の由夫(よしお)さんより

平成28年7月22日(金)。蒲生日和山日本一低い山を日本百銘山として登録するのしないのでNHKの取材に参加させて頂いた。
仙台市高砂市民センターや中野ふるさと学校の皆様からの声がかりで列席させて頂いた。
皆様とても明るく楽しく『蒲生日和山』のことをお話なされた。
そして来年も7月1日に登頂をすると夢多く語られた。
少なからず皆様のお力添えになればと…場所等の協力をさせて頂いたが…内心は…すこぶる不安定な状態にある。

口をあけて話せば…『犠牲者を出したのはあんただけじゃない』『死んだ者は帰ってこない』『避難しなかった者が悪い。』『自宅に戻った者は欲たかりだから死んだんだ。』まるで亡くなった者が悪人扱い。
『遺族だ』ということが口を出して言えなくなった。
最近では亡くなった人々を笑い話にして話されている。
人は、『のど元過ぎれば熱さ忘れる』例え通りそれでいいのかも知れない。

ただ人は人、私は私。
私が生きている間だけでも蒲生地区でなくなった300余名の霊を『舟(しゅう)要観音(ようかんのん)』に択しご供養続けたいと思っている。
それも防潮堤計画地内にあるため、いつまで続けられるか…そして工業用地優先の区画整理事業…
仙台市という行政のやり方がまるで震災が起きた事を喜んで行政を実行している様にみえる。来春は…もう7回忌です。心からのご供養をしたいと望んでいる。果たして実現できるのかも…不安である。

震災から5年を迎えて

父親の由夫さんより

5年目の正月。 今年の蒲生海岸から昇る初日は、とてもおだやかできれいだった。

昨年の暮れから、年越しも、正月もない。しない。
全く普段と変わらぬ日常生活だ。除夜の鐘も紅白も全く関係ない。見たくもないし、聞きたくもない。
ただ、ただ、世の喧騒から逃れたい一心だ。
息子達が亡くなり、兄姉が亡くなり。
寂しい、悲しい、諸々の感情が入り乱れ終始つかず。
ただ、ただ、おのれ一人。時の過ぐるを待つ。
女房もまた、同じ。我一人。時の過ぐるを待つ。
時が経てば、気持ち、心がおさまるかと思いきや。
時が経てば経つほどに、気持ち、心の重さが増してくる。
何故に、何故に、この世の・・・。
無情。あーあ無情。

今年の正月は、雑煮も餅も全くなし。
ただ、ただ、今年の正月は暖かく、老いた身に・・・それが救いだ。
亡き息子達も、正月なんて・・・嫌いだ。と思っているようだ。

震災から4年半を迎えて

父親の由夫さんより

呪いの我が家。生き残った、おめい1人だけが。
香典返し、砂糖だけじゃたんねぇど。
長姉、次兄、息子2人。一度に4人の火葬。後に、長兄と兄孫の死を知る。
我が身を責め、我が家を呪い。人の口に戸は立てられぬ。時の流れに薄れる記憶。四季の誘いが息子たちをいざなう。
呪われた蒲生の土地を早く処分せよ。語る妻に、なぜか反逆。行政のあり方にも、なぜか反逆。
呪われた我が家を、舟要観音に託し。命ある限り、この地に根を落とす。

あなたに問う。あなたは今、私の書いた字面を見ている。下手な字面を見て、何を思う。
なぜ、あなたは、蒲生にきて、ここに立っているのでしょう。蒲生は、いずれ消えていきます。私も、いずれ消えるでしょう。
68年間生きた証として、下手な字面を流しています。今あるのは、亡き息子達に生かされて、生きています。
今、あなたは、誰のために呼吸をしていらっしゃいますか。

蒲生字町86-10に、自費にて、震災慰霊のための「舟要観音」建立。その他は、防潮堤建設で没収される。だけど・・・だけど・・・
「集団移転はしない。土地売らない」と叫び、5度目の盆がくる・・・。くやしくて、悲しくて、辛くて・・・苦しくて・・・
耐えて忍んで、今日も暮れゆく。かんつあいのばかよすお。
今日も蒲生で土いじり。咲いた花は、マリーゴールド。そして・・・まもなく、ひまわりの大輪が・・・咲いてくれるだろう。
8月30日生まれの舟一と要司のために・・・。
何も語らず、咲いてくれるだろう。

震災から4年を迎えて

父親の由夫さんより

新年を迎えて5日目。きょうも妻は掃除婦のパートに出かけた。元旦からパート勤めである。
ことしは正月飾りも何もしない。全く普段と変わらず。
12月31日の最終日に、蒲生慰霊塔の周囲の草刈りを、小雨降るなか一人で行う。平成26年は思い通りのことが実現できた。

『おもい』は自宅跡に息子等の名をとって「しゅうようどう」をつくり、それを進化して「舟要庵」が完成。同時期に「舟要観音」も建立することができた。

我が家の親族で6名の犠牲者を出した。「呪われた笹谷家」を自認。亡き息子・兄・姉の供養につとめた。しかし、神も仏も、救いの手はない。我が家の親族で6名の犠牲者を出した。「呪われた笹谷家」を自認。亡き息子・兄・姉の供養につとめた。しかし、神も仏も、救いの手はない。
どうすれば良いのか・・・墓も建て、仏壇も揃え、毎日毎日手を合わせ祈願しても心休まることはない。で・・・庵を建て、観音様を建立した。幾分、気持ちはおさまりつつある。

ことし3月1日観音様の開眼供養を実施する予定である。おそらく・・・それでも・・・私らは納得はしないであろう。・・・なぜ・・・。
「亡くなった命が戻らない」息子たち、兄、姉たちが戻ってこない・・・。そして・・・行政の無茶ぶり。今・・・行政の大きな大きな津波が被災地を再度襲っている。法制のもととはいえ・・・

本当に、これでいいのだろうか?津波がおきて、身内・親族の安否確認も定まらぬ間に、災害危険区域に指定し、巨大防潮堤を沿岸部に一応に建設する。

東京・霞が関の一室で決定したのかもしれないが・・・全く・・・例えようのないため息が・・・今は・・・怒りでしかない。が・・・残された妻と2人。大きな大きな津波を、どう逃げるかではなく・・・ 
いかに挑戦して行くかに変わってきている。そのための観音様開眼供養をしたい。

3月1日の開眼供養の際に、参加された方々に、自分なりの「おもい」を形づくり捧げたいと思っている。実現できるかどうか・・・は、甚だ疑問であるが・・・実現率は半々か。「日本一短い詩・・・みもじのこころ」「想定外の一言・・・てのこころ」蒲生地区で151名の地元住民が・・・地元以外の方々が154名が亡くなったと聞いている。
約300余名がこの地で亡くなり、慰霊塔の柱が一本・・・そこに多くの方々が献花慰霊に来られる。・・・本当にありがたい反面、情けなく・・・この3年9か月が過ぎた。

やっと・・・ご供養の地を得たが・・・防潮堤建設のため移動させられる。・・・のを覚悟の上での実行。
震災後の冬に、スコップ団という団体の若者らが、泉ケ岳で2万発の花火を打ち上げ、震災犠牲者の御霊供養を実行した。当時の「おもい」の分身が自分の中に脈々と生きている。
寒かった。きつかった。苦しかった。くやしかった。・・・それでいて・・・スコップ団の若い集団に感謝感謝・・・そして感激。涙が流れて仕方がなかった・・・。
そこまで・・・やれる自信はない。・・・が・・・分身として・・・「おもい」を形にしていきたい。そして二度とこんな苦しみを味わう人々が出ないよう祈りをこめて、願いたい。

自然災害の犠牲者がなくなる世の中になって欲しい・・・ものだ。防ぎようのない災害でも・・・犠牲者がないよう・・・努めていきたいものだ。天災は忘れた頃にやってくるという。
だから・・・忘れないように!!祈願して終わる。

震災から3年を迎えて

舟一さんと要司さんの父親で、一子さんと正二さんの弟の由夫さん(67)より

間もなく3年になりますことは誰しもがそう感じている事でしょう。 私も、御社には大変お世話になり、息子達の写真を放映され、「写った、写った」と喜びましたが…その後の「むなしさ」「かなしさ」「言いようのない心の不安定さ」新たな苦悩を背負う派目を味わう。

「人間の性(さが)」といえばそれまでかもしれん。いくらマスコミに取り上げられようと現実は変化せず好転せず、むしろ行政側の一方的な押し付けに経済的精神的打撃の追い打ちが連続的に強行されていく…現実に目がさめると手も足も出ず行政の言うがままに流されていく…。

仙台市宮城野区蒲生地区においては…「災害危険区域」に指定し住民が居住できない区域指定、さらに「区画整理」を計画。減歩して土地とりあげ強行しようとする。全て合法的です。法に沿って実施します。 かわりに、公共住宅や集団移転を実施するという。

「集団移転しない。土地売らない」「土地区画整理反対」たった1人の意思がどこまで通用するか…これからが本格的な闘いだと思っている。

息子達は何故死んだ。姉兄達は何故亡くなった。
我が家の前の堤防は何故残った…
自分なりの検証は、これからです。
そうしないと、蒲生地区内の151名、地区外の154名、約300名の霊は救われないような気がしてならぬ。
死者は生きかえらない…

亡くなった方々より生きている方々のために行政はある。
仙台市がどうあれ、宮城県がどうあれ、日本の国がどうあれ、私は息子達の事を思い、姉兄のことを思い、自分がなさねばならんことは何なのか…残された者の「つとめ」として彼らの「おもい」を果たしていきたい。

死んだ者に「おもい」なんてあるもんかバカ者が!そうその通り。
「大バカ者」を自任してこれから生きると決めています。

大バカ者の一句
「舟一、要司に正二、一子の身、津波にのまれ我手で墓に」
加えて、
「今さらに心にもない言葉だけ流して書くは巳年の終い」
以上で終いです。

息子達の写真放映ありがとうございました。
これからもどうぞ遺族の方々を暖かく見守って下さい。お願いします。

父親の由夫さんからのメッセージ

新しい年がきたのに・・・
三回忌だって・・・
一月 行っちゃった・・・
二月 逃げちゃった・・・
三月 去っちゃった・・・
だけど、俺らには・・・23年3月11日で止まってら・・・
泣いても 騒いでも・・・叫んでも 苦しんでも・・・
今日も 正月だというのに・・・墓参り・・・
お前らの笑顔・・・いつまでも・・・忘れはしない。
きっと・・・きっと・・・
寒くとも空は晴れているよ。  H25・1・4

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