消防団の活動中に津波に巻き込まれたと見られ、今も行方が分かりません。
潤也さんとはじめてあったのは、震災前の年。
仕事の都合で引っ越してきて知り合いもいないなか、趣味であったダーツをしに浪江町に通うようになり、そこで意気投合して一緒にダーツをすることになった。
お互いあまりプライベートな事を話さなかったが、いつもダーツで対戦して切磋琢磨していた。
いつも笑顔だけど、ダーツの対戦だと負けず嫌いで本気で笑ったり、悔しがったり、はじめて双葉でできた友人だった。
今は私も仕事を変えて、潤也くんや家族、友人、周りの人々に同じ悲しみをおきないよう、ロボットを使った救助システムの研究開発をしています。
彼がいなかったら、今の復興への情熱はなく、ただ平々凡々と暮らしていただけだと思っています。
潤也くんがいなかったら今の僕はありません。
本当にありがとう!!
3・11忘れない。
あれから5年。一言でまだ昨日の出来事のような気持ちでいます。
大きく変わったと言えば、息子が残してくれた2人の孫の成長です。中学1年だった上の子が大学生へ、小学4年生だった下の子が高校生へと、月日の早さを感じさせられます。
私の前進したことは、お墓を造ってあげたこと。まだ不明の息子に、形だけかもしれないけど、この墓前に手を合わせることによって、どこかであきらめなければいけないのかなと考えつつ・・・・・・
そう思っても、やはり忘れられない1日だって。
今も息子が私の心の中に生き続けてくれていると確信しています。
これから孫の成長を楽しみに、前へ進んでいきたい。それが私の務めだと思って頑張ります。
息子にありがとうと感謝をしながら。