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こころフォト

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渡辺潤也さん(わたなべ・じゅんや/当時36歳)福島県浪江町

消防団の活動中に津波に巻き込まれたと見られ、今も行方が分かりません。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 3月21日放送

    父亡くした15歳
    初めての一時帰宅

    (おはよう日本)

震災から8年を迎えて

友人の小澤隆司(おざわ・りゅうじ)さんより

潤也さんとはじめてあったのは、震災前の年。
仕事の都合で引っ越してきて知り合いもいないなか、趣味であったダーツをしに浪江町に通うようになり、そこで意気投合して一緒にダーツをすることになった。

お互いあまりプライベートな事を話さなかったが、いつもダーツで対戦して切磋琢磨していた。
いつも笑顔だけど、ダーツの対戦だと負けず嫌いで本気で笑ったり、悔しがったり、はじめて双葉でできた友人だった。

今は私も仕事を変えて、潤也くんや家族、友人、周りの人々に同じ悲しみをおきないよう、ロボットを使った救助システムの研究開発をしています。
彼がいなかったら、今の復興への情熱はなく、ただ平々凡々と暮らしていただけだと思っています。

潤也くんがいなかったら今の僕はありません。
本当にありがとう!!

震災から5年を迎えて

母親の昭子さんより

3・11忘れない。
あれから5年。一言でまだ昨日の出来事のような気持ちでいます。

大きく変わったと言えば、息子が残してくれた2人の孫の成長です。中学1年だった上の子が大学生へ、小学4年生だった下の子が高校生へと、月日の早さを感じさせられます。
私の前進したことは、お墓を造ってあげたこと。まだ不明の息子に、形だけかもしれないけど、この墓前に手を合わせることによって、どこかであきらめなければいけないのかなと考えつつ・・・・・・
そう思っても、やはり忘れられない1日だって。

今も息子が私の心の中に生き続けてくれていると確信しています。
これから孫の成長を楽しみに、前へ進んでいきたい。それが私の務めだと思って頑張ります。

息子にありがとうと感謝をしながら。

母親の昭子さんからのメッセージ

忘れない3・11。2年の月日が流れようとしている今でも、昨日の出来事のようです。誰に逢いたいかと問われれば答えはただひとつ。息子に逢いたい、それだけです。たとえひと目だけでも、どうか叶えてほしいと切に願ってしまいます。きっと帰ってくる。どこかで復興の活動に励んでいるだけだと自分に言い聞かせ、前に進んでいます。
あの幸せな日々がもっと続いてほしかったのに。こんな悔しい感情を抱いたのは、これまで一度もありません。
大きく引き伸ばされた息子の写真に毎朝おはようと声をかけ『助けてあげられなくてごめんね』。
嫁も孫2人も同じように挨拶するのが日課で、息子がそこにいるかのように会話を弾ませています。あの日家族に先に行くように言葉を残し、消防の避難活動に向かって行く背中を最後に見たままです。
人に会えば元気なふりをして強がり、ひとりになると息子の面影を追って夜枕をぬらしている自分。こんな思いをしている母親は私ばかりでしょうか。
お母さんの子供でありがとう。孫2人を残してくれてありがとう。ただ感謝だけです。お母さんの心が届いたなら帰ってきて下さい。
お母さんは諦めません。生きている限りいつまでも待ちます。

渡辺潤也さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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