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佐藤佳世子さん(さとう・かよこ/当時63歳)宮城県女川町

経営していたスーパーの後片付けをしていて、津波に流され亡くなりました。

震災から3年を迎えて

息子の広樹さん(32)より

(広樹さんは母親の佳世子さんだけでなく、 祖父の佐藤盛廣さん(当時85)、祖母のせつさん(当時81)、姉の美和さん(38)を亡くしました。) 

以前、メッセージを書かせていただいた時は、母へのメッセージを書かせていただきましたが、祖父母、姉も震災で亡くしました。
祖父母は自宅が3Fにあり、足が悪く、祖父は退院したばかりで松葉杖をついていました。高台だったため、大丈夫であろうと思って油断もあり、逃げ遅れたのではないかと思います。
母の佳世子同様、姉も店に残っていた為、逃げ遅れてしまったようです。

震災から3年…
悲しい気持ちは忘れることはできませんが、逆に忘れてはいけないと思っています。
1日1日過ぎていくなかで、3月11日という日が薄れていっているのは確かです。 でも生かされた私たちは亡くなった祖父母、母、姉の分まで生きて復興していく姿を自分の目で見ていかなくては、実現していかなくてはと強く思います。
一歩、一歩、確実に。
子供たちの未来に何が残せるのか。
何が自分にできるのか。
今の気持ちを忘れず、日々を過ごしていきたいです。

息子の広樹さんからのメッセージ

女社長として会社を守っていました。女川町唯一のスーパーと高白にある旅館を切り盛りしていました。お母さんは結婚してから苦労ばかりだったと昔から働いている人たちから聞きました。そんな状況でも、人一倍、休みなく働き、みんなのお手本となるような人でした。
忙しい中でもお花や趣味の粘土作りが好きで、時間を見つけては教室に通ったり、旅館のお花をいけたりと、楽しんでいる姿もよく見かけ、深く記憶に残っています。たくさんの粘土で作った作品を知人、姉妹に送ってあげ、とても喜ばれていました。
私の結婚式では、お嫁さんにとても素敵なブーケを作ってくれ、私にはタキシードに合わせるコサージュも手作りしてくれ、とても嬉しかったことを覚えています。孫も大切にしてくれ、忙しい中、おんぶして仕事をしてくれていました。
去年、第4子が産まれ、会わせてあげられず、とても残念に思います。
生きのびた私達に今できること、やらなくてはならない事をし、お母さんに恩返しの気持ちで頑張っていきたいと思います。
母もそう願っていることと思います。

佐藤佳世子さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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