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菅野康文さん(かんの・やすふみ/当時38歳)岩手県陸前高田市

職場付近で津波に巻き込まれたと見られ、今も行方が分かりません。

震災から7年PHOTO



震災から6年PHOTO




子どもたちからの手紙PHOTO

震災から10年を迎えて

妻のエリカさんより

震災から10年を迎えるにあたり、新型コロナウイルスにより、“当たり前”という言葉に再度考えさせられる日々を過ごしています。この春から社会人1年生として出発しようとしている長男とは、1年以上会えず、いつ会えるか、今日は無事でいるかと毎日不安と心配で、電話で話をして声を聞いて、そしてメールをしたりと“ほっ”としては、このくり返しで、でも一番苦渋な思いをしているのは長男ですが、知らぬ土地で、知らなかった人たちとの出会いに支えられ、“他人のありがたさ”を知り、父親に似て料理を作ってごちそうし合い、“心の支え”になってくださっているみなさんには、とても感謝しております。

また、長女は成人式でしたが、成人式に着物姿になることはできませんでしたが、前撮りしてアルバムに残すことができたので、思い出ができました。長男と長女に言っていることは“一生に一度の何かということが出来なくても現在の状況で生きるということは、今後自分たちが生きていくなかで、経験であり、これから生かしていための糧となることから、気持ちをしっかりもって頑張りなさい”と、前向きに考えて生きていってほしいという思いが私の願いでもあります。

そして、次男も長男と同じように社会人一年生になろうとしています。次男には、障害がありますが、兄と姉とのかかわりを大切にし、三人が思いやって生きていけるよう、母親として見守りながら、願うばかりですが、それぞれが弟のことを理解し、考え、支えようとしている思いが分かり、“よろしくね!頼むよ!”という気持ちになれて、ありがたいです。言葉で表現しなくてもそういう思いが子ども達には出来ていることに“大人になった”“大人になってきている”ことを感じます。それでもまだ足りないところは話をし、その時理解できなくても後から“そういうことか”と分かればいいという思いで、お互いに強い口調で、“カチン”と頭にくることもありますが、自分自身を振り返ることも大切で、新しい気持ち、新しい考え方ができる人になれたらと思います。

私たちも夫婦であり、同志であったように、今は子どもであり、同志なのかなあと思います。
親目線だけではなく、違う目線も必要だと思っています。

お父さんのかわりには、ならないけど、ようやく、お父さんのことを語れるようになってきた長男ですが、少しずつ分かって思い出して、仕事して、“これだ”と思えるような人になっていってほしいです。

どうか、これからも私たち親子のこと見守っていて下さい。

震災から9年を迎えて

妻のエリカさんより

震災から9年を迎えますが、義父母や子供達の携帯番号はアドレス帳を頼りにしなければ連絡することもできない、覚えていないのに、“主人の携帯番号”と“私の携帯番号”はスムーズに言えることに、電話をかけたり、受けたりすることはないけれど、“繋がっているな~”と感じます(笑)

今年は、主人と私が子年生まれということもあり、お店の前を通ると、いつもなぜか親ねずみと3びきの子ねずみの干支の置物があり、その子ねずみのちゃんちゃんこが私たち3人の子供が色で表現されているように思い、“きっと私たちねずみ年の親から生まれた3人の子供たちね”と親子5人が揃ったように感じ、“待っていてくれてありがとう”っていう気持ちになり、買いました。私の大切な宝物になりそうです。

世間は“もう被災地ではなく、復興地だから”という言葉、そして、変わっていく地域や町に“気持ち”が、そういう気持ちになっている方と同じようにとは、すんなりとついていくのに苦しい自分がいます。復興状況で“風化”しているように感じることもあり、足がその場所へ向かない所もあります。

この9年間、いろんなことがありました。子供たちが成長し、私よりも背が伸びて、逆に私は縮んでしまい、道理で見上げるようになった訳だと気づかされました。

楽しいこと、苦しいこと、辛抱しなければならないこと、毎日が過去と行ったり来たりして葛藤しています。今でも、あの時に言われた言葉に苦しみ、悩み、涙がでてくるときがあります。最近は、“偏見ってあるんだ”っていうことを考えさせられました。とても悲しいことだと思います。いろんなことがあると“人をかわいそう”と思う気持ちが分からなくなることがあります。でも、そういう時、話して理解し合える方たちがいることで、助けられることもあり、自分の心と向き合える時間に感謝しています。

きっと、見守られているということだと思います。9年になりますが、いつもおかげさまで、生かされています。ありがとうです。いつも忘れない言葉は、“ご苦労さん”です。まだまだ、そう言われるように頑張るから、見守っていて下さい。

震災から8年を迎えて

妻のエリカさんより

東日本大震災から8年を迎えるにあたり、平成という時代の終わりと、新たな時代を迎える年にもなり、また子供が1人大学進学のため4月から家を離れることにより家族が少なくなっていく寂しさを感じる年にもなりました。

一日、一週間、一ヶ月、一年と過ぎることを早く感じながら過ごしてきた8年でもあり、子供のことに追われてきた8年でもあり、自分の年令が増し、病も増え、気持ちが弱くなったり、強くなったり、どうしようもない気持ちになる年でもありました。そして、こんな時に私の父親も弱くなり、この先がそんなに長くないことを感じられることで、会うごとに小さな体になっていく姿とそれでも笑顔で「気をつけて帰れよ」と低い声で送る言葉に辛さと寂しさを感じます。

最近では今まで何とも言われたことがなかった車を置く位置が邪魔にされ、自分の居場所はやはりここではないのではと再度感じさせられ、探し求める自分がいます。
でも、子供のことを考えると、ここにいて子供達を待っていなければと思い、毎日が葛藤でイライラしたり、落ち込んだり、ストレスで自身が疲れていることは分かるけれど、コントロールしてしまいます。そうしなければいいのに、子供のためと思うからしてしまい自分を責めます。

でも今年、1月2日のお寺のお勤めで目を閉じていたら、数人の羅漢さんたちが見え、私の側に眼鏡をした羅漢さんが寄ってきて、「あっ、お父さん、パパ」と思って目が開いた時にはいないことに、見守られていることに嬉しく思い、また頑張ろうという気持ちをいただきました。

震災から7年を迎えて

妻のエリカさんより

震災から7年になる今も、今までのどんな記憶よりも、はっきり残ってます。

子ども達はこの7年で、私より身長が大きく成長し、言葉にならない、どのように表現していいのかわからない感じ方、思いで日々過ごしていました。
あるときは「お父さんがいたら、ぼく、こんなになってなかったかもしれない」とか、子ども達なりに苦しみ、悩み、悲しみがある中で、母親として精一杯してきたのに、私では“ダメ”だったのかなあと、生きていることが辛くなることも多々あります。

他の方々が笑っている顔、楽しそうな顔、歌を歌っている顔、すれ違う人の顔、どんな人の顔を見ても幸せそうに感じます。
夜、暗くなってくると、家々に電気がつき、なぜか温かさ、そして幸せなんだろうなと感じます。
私はまだ、自分の居場所がどこなのか、はっきり決まっていないから、こんな感じにしか見えない自身が悲しく辛いです。
でも、同情はされたくないという気持ちが強く、日々自分なりの考え方で過ごしています。でも、主人がいても、主人も同じだと思います。話せばわかってくれて、サプライズをしてくれました。
子ども達が大きく成長してくると、私も自分のこれからを考えなければならない時期が来たように思います。 子ども達には、幸せになってほしいという、自分たちにできない思いから、願うばかりです。

7年という年月は、長くは感じず、スーツ姿の人、消防団の人たちの姿など、何かしら主人と共通していると、急に胸が苦しくなって、涙が出てきます。
できることなら、避けたい。けれども、そうはいかず、いないとわかっていて探すんです。
でも、やっぱりいないんです。これからも、このようなことは続きます。誰に話せることでもなく、自分にしかわからないことです。

また来年、この時を迎えられるように、この1年間過ごしますね。
見守っていてください。ありがとうございます。

震災から6年半を迎えて

妻のエリカさんより

今朝方、お好みの白いポロシャツを着て、笑顔の姿を夢に見ました。
いつもそうなのですが、「あっ、帰ってきた!!」と思って目を覚ますとそれは夢で、もう一度見ようとまたすぐに眠るのですが、その後は見れません。
朝起きてから「なんであそこで目を覚ましたんだろう」とブツブツ言いながらその日を過ごしています。
よく人は“夢枕にたった時は、何かあるかもしれないから気をつけろってことだから、何もなければいいが”と言い、そう思いながら過ごしていますが、私の夫は笑顔です。
私にとってはエールであったり、「良かったね」とか「頑張ってね」とか、今までもそう言われてきた時はいつもこの表情だったので、悪いことに受け取ることはできません。
今日はそういうこともあり、書こうと思い書いています。

いつも向こうでは、どのように過ごしているか、どんな服を着ているか気になりますが、夢で見るかぎり、きちんとした服装で見えるので安心しています。
もし今ここに存在していたら、毎日忙しく仕事をしているだろうなあと想像して、新しくできた商業地や、盛岡に行った時、その姿が浮かんできます。
震災6年半になりますが、今も私は主人の仕事でつながっていた事業所の方々に声をかけられ、見守られながら、日々を過ごしております。
私はひとりになっても、このような方々と出会わせてくれたことにありがとうです。

今年は次男が受験ですので、どうか見守っていてください。

私も経過中だけど、体調は今はいいので、もう少しこのままで何もなくいけるように見守っていてください。

震災から6年を迎えて

妻のエリカさんより

震災から6年を迎え、又7回忌を迎える年となりました。

平成23年3月11日という日は、昨日のことのようにまだ記憶にあり、普段言葉にしない子供達も、震災関連の行事にかかわると、何日か泣かれたり、気持ちが沈んだり、悲しく苦しく辛い気持ちを隠せない時期もあり、このような思いを持って生きていかなければならない重みを背負わせせてしまったことに、私が生きている限り寄り添って支えていかなければと再度思いました。

また、よく”花を咲かせましょう”と言われたりして、私の中でまだ決まっていませんでしたが、次男のことをきっかけに”普通と普通でなくてもいい”その間で咲かせようという生き方が私たち親子の”置かれた場所で咲かせましょうということに向き合って過ごしていこうと思いました。

この1年間でいろんなことと向き合い、考えさせられ、また学び得た知識で支えながら生きていかなければならない今後を遠くから見守ってほしいと思います。

震災から5年半を迎えて

妻のエリカさんより

震災から5年半。みなさんと同じように私も感じていますが、“記憶が徐々に薄れつつある”なかで、人の心にも変化は現れてきていると思います。
かつて何度もそう感じてきた事がありました。
そして、7月にもそう感じた対応がありました。
そういう複雑な感情になっている時に“震災5年半メッセージ”が送られてきて、やっと今日書く気持ちになって執っています。

追悼とか哀悼は誰のためにありますか。
私のような者は負け組、それ以外の者は勝ち組ですかって感じるように、考えるようになりました。
私が生涯背負っていくものは重く大きいけれど、日々考え方がしっかりしていれば、乗り越えていけると思い過ごしています。
まだ私には今後やらなければならないことがたくさんあり、毎日思案に暮れています。
でも、私や子供達を支えてくれたり、相談や話を聞いてくださる方々がいらっしゃるので、本当に感謝して、今日までこうして来れたのも、決して一人では無く、手助けしてくれる方々もおられたからだと思ってます。
“風化してはいけない”と人は言いますが、心の中はそうは言えません。
なぜなら、見えませんから。
見えないから、言動や対応が見せてくれるのだと思ってます。
これから先、あの日あの時、どうして生き残れたのか、生かされたのか、もう一度振り返ってほしいと思います。
そして、今現在、置かれている場所がどうしてできたのか、と問いたい気持ちで一杯です。
H28.8.28

震災から5年を迎えて

妻のエリカさんより

震災から5年を迎えるにあたり、自分の年齢や子どもたちの成長を考えると早く感じる今日この頃、まだまだこれから6年、7年・・・ずうっと続く“節目”という言葉に、私は何かをして“区切り”をつけ忘れられることでもなく、今という日々を生き、子どもたちを育て、また何かをしながら前に進み、自分の人生に終止符を打つ時が区切りだと思い過ごしています。

この5年間、震災とは別に、いろんな事情であれ、私のように子育てをしながら、笑顔で優しく私たちのような方々を支援し、見守ってくださる方もいて、自分だけが大変で、辛くて、苦しいのではないということに気づかせていただきました。
親として、子どもたちには“自分だけが・・・、自分は・・・”という特別な思い込みはさせないように、“世の中にはもっと・・・”っていう気持ちをもたせるようにしないと、前に進めない、何かをしてもらうことを考えるようになってしまうので、強く生きていくことを願い、口うるさく言っていますが、仮に今、理解できなくても、後から思い返してもらえたら幸いです。

ただ、5年の今現在、わからないのは、“花を咲かせましょ”っていうことが、自分自身にとって、どういう花なのか、咲くのか、わからないです。
この花にはどんな花があるのか、度々思案に暮れて、答えが見つからず、その繰り返しです。

これも生きるということに大切なことなのかもしれません。

震災から4年を迎えて

妻のエリカさんより

最初は、子どもたちのことを考え、育てる環境、また子どもたちの家だからと、何でも自身のことより優先に考えて過ごしてきたこの年月でありました。
しかし、“どこにも、誰にも”当たりようのない私に、これからも何があるかわかりませんが、“トラウマ”を抱えて生きていくことに、パパの話していた言葉に後悔することも多々あり、夢を見た時、心配させてごめんなさいと謝ることがあります。
私がこういう思いをしていると、子どもたちには“幸せ”になってほしいと願うばかりです。

子どもたちからの手紙

次男の菅野康剛(かんの・やすよし)くん(11)より

お酒をのんでる?
あつくなってきたから、のみすぎないように、おいしくのんでね。
そして、仕事のつかれをとってね。
ローソンはあるの?
あついからおみやげたのむよ。

震災から3年を迎えて

妻の菅野エリカさん(42)より

3年4ヶ月、私達が眠っている姿を見て、夢の中で話してくれた言葉は“疲れているネ!!オレも忙しい”って・・・。
どこへ行っても忙しいですネ!!時々、夢の中で、長男には大きな声で怒って下さい。他の誰の声よりも今一番必要としている声のようです。長女と次男には笑ってあげて下さい。

仲間の方達と飲むお酒はおいしいでしょうが、飲みすぎないように、日々忙しい仕事なら、頑張ってネ!!

妻のエリカさんからのメッセージ

地域の祭りで子供たちに、踊りの曲にあわせた笛の吹き方や太鼓のたたき方を指導し、貢献していました。
夫は『自分を人にしてくれた恩がある』と話していました。
私は子供たちに、お父さんのことを誇りに思いなさいと話しています。
将来、子供たちがどのような道を歩むかは分かりませんが、辛い時、前に進めない時、お父さんのことを思い出して頑張って生きてほしい、幸せになってほしいと願います。

菅野康文さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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