鈴木堅一さん一家は自宅にいた堅一さんの妻の信子さん、長男の健幸さん、健幸さんの妻の奈津子さん、孫の理子ちゃんが津波に巻き込まれました。堅一さんは消防団のリーダーとして水門を閉めに行って助かりました。
仮設生活、そろそろ10年か。家の方も建設のメドが立つ。
工務店は五月頃予定のようで、仏様に報告できたよ。津波は忘れることは出来ない。また、ひまわりを咲かせて理子に見せるか(ガンバル)。
復興は、そろそろ。心の復興は、一生だと思っているよ。取材が終わったと思ったら、仮設の集約で、まいったな(工務店の遅れで)。
これで引っ越しも終わればいいな。それでも有りがたく思います。このように、住居を提供していただき感謝です。ありがとう。
新居を夢見てガンバロー。
堅一
早いもので8年。復興も進み、家のメドもことし10月頃。
当時取材の皆様、本当にありがとうございました。
早いもので、ことしも終わりです。
鵜住居の復興も見えてきました。
震災からの願いも、現実に近づいてきました。
家を建て、仏様を早く、自分の家に座らせることができます。
自分も年ですから、あと1年かかると思います。
自分も年だなぁと思う、この頃です。
今は、常楽寺の落成も終了。
安心で、次は自分の家です。復興を待っている。
今年は、自分の好きなアユ釣りをしたいです。
早いもので、震災から4年に? 町中が正月で賑やかで、私には関係ないような思いです。
今でも消防団をやっておりますが、あの時、団員でなければと、家族を助けることが?
いまでも頭の中をよぎり、人前では明るくやっておりますが、一人になると涙が出ます。
早く家を建て、仏様を家にと思いますが、復興がなかなか。
年が72歳。待てない。