あの日、そして明日へ

こころフォト

トップページ 写真一覧 こころフォトに寄せて 動画を見る

平間周平さん(ひらま・しゅうへい/当時18歳)福島県新地町

自動車学校の送迎バスで帰宅中に津波に流されて亡くなりました。高校を卒業後は、火力発電所のボイラー管理の仕事に就くことが決まっていました。

震災から10年PHOTO




震災から10年を迎えて

母親の幸枝さんより

周平へ
お元気ですか?そちらはどうですか?お友達と仲良くやってますか?

あれから10年・・・いろいろあったかもしれませんがあっという間だったような気がします。
今でも周平の最後の場所を通るとあの時の光景が浮かびます。
これは生きている限り忘れないのでしょうね。

お母さんは3年前くらいからゴスペルを習いはじめました。
もともとカラオケ好きだったので納得でしょ。
始めたきっかけはお友達のお誘いでした。
つらい思いをしてる人に歌で元気になってもらいたい。って歌っている集まりで3. 11に復興コンサートをしていたの。
お母さんも歌で元気もらったから一緒に歌いたいなって思って。
今こんな時期だからほとんど活動出来てないけどまた歌えるの楽しみにしてるの。

周平・・・
守ってあげられなくてつらい思いばかりさせてやっぱり今でもごめんなさいって思います。
見えないし夢でも会えてないから悲しいけどいつもそばにいて一緒に経験できてるって思ってます。
また会えた時周平に笑ってもらえるように悲しませないお母さんを目指して頑張るね。

周平・・・大好きです。ありがとう。

震災から3年を迎えて

母親の幸枝さん(46)より

周平。
逢えなくなって、もうすぐ3年がたちます。
周も知っているとおり、お母さんは今も「泣き虫」です。
毎日逢いたくて。

「いつまでも悲しんでちゃダメだよ」ってわかってるけど、今も沢山の後悔と沢山のごめんね。
周にはいっぱい悲しい思いさせたし、苦労もさせたから、誰よりも幸せになってほしかったな。

今はそちらの世界はどうですか?
たくさんのお友達と一緒だから楽しんでますか?

お母さんも周のお友達のお母さん達と仲良くさせてもらってます。
お友達作りが苦手なお母さんが心配だったのかな?
気持ちもわかりあえるお友達にあわせてくれてありがとう。

愛してるよ。
今でももちろんお母さんの宝物です。
時々でいいから夢に遊びに来て下さい。
周また逢おうね。

母親の幸枝さんからのメッセージ

平成4年12月22日。周平のBirthdayです。
シングルマザーだった私は『この子がいれば大丈夫。一人じゃない。私のたった一人の味方だ』と思ったのと同時に、『周平20歳の時は私は45歳』と思いました。頑張らなくちゃ、って。
周が小学生の時、再婚しましたが、たった18年の周の人生は大変でした。
高校3年の夏の夜、周に『好きな事させてあげられなくてごめんね。苦労させてごめんね』と言ったら、周は『俺こそ、新しいお父さんに“お父さんになっていいか?”って聞かれた時、“うん”って言ったから、お母さんごめんね』って言いました。すっごく申し訳なかったダメ母でした。
何もしてあげられなくてごめんね。宝物だったあなたを守ってあげられなくてごめんね。まだまだ時間はかかるけど、周に会える日まで頑張ります。だから頑張るから夢にでも逢いに来て下さい。
生まれて来てくれてありがとう。愛してるよ。

番組を見てメッセージを寄せてくださった、千葉県成田市の鈴木利恵子さんより

周さんのお母さんが、幸せな夢で周さんに会えることを心から願っています。

周平さんと一緒に自動車学校のバスに乗っていて亡くなった
沖野真広さんの弟の光伸(こうしん)さんより

学校が違うのに、「沖野の弟だよな!」と明るく話しかけてくれたことを今でも思い出します。
天国で兄と変わらず仲良くしてください。
お母さん達を見守ってください。

平間周平さんへのメッセージ・写真を募集しています。

写真一覧へ戻る