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寺島佳祐さん(てらしま・けいすけ/当時19歳)福島県新地町

自動車学校の送迎バスで帰宅中に津波に流されて亡くなりました。仙台の大学に通い、デザインの勉強をしていました。

震災から3年を迎えて

父親の寺島浩文さん(51)より

あの東日本震災からまもなく3年になります。
家族に何もなかった方はもう3年と言うかもしれませんが、私たちの様に大事な家族を亡くしたものにとってはまだ3年なのです。
私たち夫婦は息子を亡くしました。

震災当日隣町の海岸近くにある、自動車学校に教習に行っておりました。
大地震後に大津波警報が発令され、避難指示が出たのにもかかわらず、教習所では教習再開を優先させ避難しなかった為、大津波にあい、息子を含む25人もの教習生が亡くなりました。
その後、自動車学校を相手取り訴訟を起こし、裁判は現在も続いております。 現在は遺族会一丸となり、裁判に向き合っているところです。

さて、息子の佳祐ですが、生きていれば大学4年生になっておりました。最近は、生きていれば「就職が決まっていたのかな」「どんなところに就職したのかな」などと考える今日この頃です。
大学の友達も時々来てもらい、色々と話をしてくれますが、嬉しさ反面、寂しさもあります。

大人になっていく彼らを見ていると、佳祐も「生きていれば今どうだったのかな」と、つい考えてしまいます。
これは何年たっても同じなんだと思います。
我々のこの思いは一生続いていくものです。

父親の浩文さんからのメッセージ

佳祐は震災当時東北工業大学の1年生でした。本人も大学という新しい環境で、
大学生活を楽しんでおりました。
仲の良かった友達に話を聞きますと、仲良し4人組で、大学内でも、遊ぶ時でもいつも一緒だったということです。そういった友達と、将来への夢なども語りながら、私が思うには、人生の中で一番楽しい時期ではなかったかと思います。
それがこの震災で佳祐は命を奪われ、我々遺族やその家族、そして友達、多くの人が悲しみのどん底に落とされました。
我々としては自動車学校を相手に起こした裁判で、今後こういった子供たちを二度と出さないように、そして我々のような遺族を二度と作らないように、世の中に警笛を鳴らしたいと思っております。
生前は親に対して感謝の言葉など言ったことなどありませんが、友達やバイト先の上司には言っていたようです。佳祐には、この裁判最後まで頑張るからというメッセージを伝えたいと思います。

寺島佳祐さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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