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こころフォト

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佐野公紀さん(さの・こうき/当時18歳)宮城県岩沼市

自動車学校の送迎バスで帰宅中に津波に流され亡くなりました。高校を卒業後、薬剤師になる夢があり、仙台の大学の薬学部に進学することが決まっていました。

「こころフォト」ニュースリポート

  • 2月11日放送

    奪われた若き命
    引き継がれる夢

    (ニュースウオッチ9)

震災から3年を迎えて

母親の美智子さんより

東日本大震災から間もなく3年が経とうとしている。 どんなに月日が流れようと変わらない気持ちがある。

「何故こんな事になってしまったの。」と、幸せな日常を一瞬にして奪われてしまった運命を憎み、息子を助けてあげることが出来なかった自分を責めてしまう。

風雪が体をまとうこの季節は、一瞬にしてあの日あの時に引き戻され、悔しさと情けなさと後悔で辛く悲しい気持ちになる。

毎朝起床後、息子が好きだった熱いコーヒーを淹れ、線香をたて、一緒に話しをしながらコーヒーをいただく。
目の前の朝日に照らされた写真の中の息子は、いつも優しく「幸せに生きて。」と、訴えかけてくる。私は、「生きてやるよ。」と誓う。

最近、自然界の生けるものや人を愛おしく感じる。
花の、光に向かって成長する様、花瓶の水の、光に反射してきらきら輝く様、人の、夢や目的に向かって一生懸命努力している姿から、たくましいエネルギーを感じる。 それらを私は大事に見つめ見守りこれからを生きていきたいと思う。

昨秋、家族で息子が修学旅行で行った場所の足跡を追ってみた。広島の宮島で、息子が自分の姉にと土産として買ってきてくれたハンカチを見つけた。
それは娘が常に携帯している程大事にしているものだった。家族全員一瞬にして時が止まったかの様にそのハンカチだけを見つめ、物思いにふけっていた。
私も一瞬にして息子の照れくさそうな顔が浮かんだ。

どれくらい時間が経っただろう、私達家族はただたださわやかな潮風と光に包まれていた。幸せな気分になった。

これからも、息子を想い、もっともっと幸せを見つけに行きたいと思う。いつも何処にいてもどんな時でも、息子を想い、感じながら生きていく。

絶対に忘れない。
18年間一緒に居られて本当に幸せだった。

母親の美智子さんからのメッセージ

あの日まであなたが居るのは当たり前で、
あなたの夢と希望が詰まった未来が来ると信じていました。
あの日、その当たり前が絶望と化し、あなたを失った悲しみで生きる気力を失い、毎日写真を見つめては泣き崩れていました。
でも、そんな姿はあなたをも悲しませていたんでしょうね。あなたの幸せだけを考えて生きてきたのに、逆に不幸にさせていたんですよね。ごめんね。
18年間、あなたと過ごせて誰よりも幸せでした。あなたは、素直で真面目で誠実で、誰に対しても優しくて思いやりのある子でした。母の自慢の息子でした。幸せな18年間の思い出をありがとう。
住む世界は違えど、どこにいても、あなたが幸せでいますようにと、いつもいつまでも祈っています。
母は、あなたが生きたかったであろう明日の分まで、生きていかなければなりませんね。いつか再会するときが来たら笑顔で会いましょうね。

「こころフォト1min」の放送をご覧になった、広島市の佐村由紀(さむら・ゆき)さんより

偶然テレビで拝見しました。
亡くなった公紀さんがやさしかったこと、
「18年あなたといっしょにいられて幸せでした」というお母様の言葉に、
涙が出そうになりました。

私の住んでいる町も、かつて原爆で大勢の人が亡くなりました。
お母様のために絵を描きました。良かったら見てみてください。

佐野公紀さんへのメッセージ・写真を募集しています。

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