NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第38回

ラテンアメリカとアメリカ合衆国

  • 世界史監修:明星大学学長 落合一泰
学習ポイント学習ポイント

ラテンアメリカとアメリカ合衆国

  • 政井マヤさん
  • 富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • 国境にそびえ立つ壁

アメリカ合衆国とメキシコの国境にそびえ立つ壁。
メキシコからの密輸や密入国を防ぐために設置されたものです。
3000キロメートルもある国境線のうち3分の1が、こうした壁によって隔てられています。

18世紀末にアメリカ合衆国が独立すると、19世紀前半にはメキシコをはじめとする中南米諸国の多くが、独立を達成しました。
それからおよそ200年、南北アメリカは互いにどのような影響を与え合い、関係を深めていったのでしょうか。
政治や経済、文化のつながりを見ていきます。

  • 『境界地帯』グロリア・アンサルドゥーア

早紀 「何の本を読んでいるんですか?英語みたいだけど、よく分からない単語が出てきますよね。」

マヤ 「これは、アメリカ合衆国のメキシコ系の作家が書いた本なの。英語とスペイン語が混ざり合ってて、面白いでしょ?」

早紀 「メキシコはスペインの植民地だったから、スペイン語が公用語なんですよね。」

マヤ 「そう。そしてメキシコとアメリカの国境付近では、自然とスペイン語と英語が混ざった会話が交わされているの。」

早紀 「アメリカとメキシコの国境といえば、トランプ大統領が“壁を建設して、その費用をメキシコに負担させる”っていう発言が話題になりましたよね。」

マヤ 「そうね。どうして国境に壁を建設することになるのか、アメリカとメキシコをはじめとするラテンアメリカ諸国との関係を見ていくと、少しは分かるかもしれないわね。」

ラテンアメリカをのみこむアメリカ合衆国
  • ナポレオン全盛期のヨーロッパ支配
  • ジェームズ・モンロー

1776年の独立宣言の後、イギリスとの戦争を経て、1783年、アメリカ合衆国は独立を達成しました。
独立運動の理念となった「自由」と「平等」は、大西洋を越えて、1789年に始まるフランス革命に影響を与えます。
そして、ナポレオンによって革命戦争がヨーロッパに拡大していく中で、スペインもナポレオンに服属することになりました。

こうしたヨーロッパの混乱の中で、アメリカ大陸のスペイン植民地で独立運動が拡大。
1810年代から20年代にかけて、多くの国が独立しました。
すると、成長著しいアメリカ合衆国が、ラテンアメリカ諸国への影響力を強めていきます。

1823年、第5代大統領ジェームズ・モンローが、いわゆる「モンロー宣言(モンロー主義)」を発表。
「アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国に干渉しないが、同時にアメリカ大陸“全域”に対するヨーロッパ諸国の干渉にも反対する」という考えです。

  • 現在のアメリカ・テキサス州は当時メキシコの国土だった
  • 当時のメキシコの国土のほぼ半分をアメリカに割譲

こうした状況で、もっとも強くアメリカの影響を受けたのが、国境を接しているメキシコでした。
現在のアメリカ・テキサス州は、当時メキシコの国土(画像・左)でしたが、アメリカから大量の入植者が入り込み、メキシコ政府と衝突を繰り返すようになります。
1836年、アメリカ人入植者が「テキサス共和国」と称して独立を宣言。
その後、1845年にアメリカ合衆国に併合されました。
これに反発したメキシコとアメリカとの間で戦争が起こり、メキシコが敗れます。
その結果、テキサスに加えて、現在のカリフォルニア州やアリゾナ州など、当時のメキシコの国土のほぼ半分をアメリカに割譲することになりました(画像・右)。

  • キューバで独立運動
  • 1902年キューバ独立

19世紀末、カリブ海に残っていたスペインの植民地キューバで独立運動が起きると、アメリカはこれを支援。
アメリカ・スペイン戦争が起きますが、わずか4か月でアメリカが勝利します。
これによって、南北アメリカ大陸へのスペインの影響力はほぼなくなりました。
代わってアメリカが、ラテンアメリカ諸国を原材料の供給地、および工業製品の市場とするべく、影響を強めていきます。

  • 落合一泰先生
  • パナマ会議

お話をうかがうのは、明星大学学長の落合一泰先生です。

マヤ 「せっかくスペインの支配から脱したのに、今度はアメリカ合衆国の影響が強まっていたということですけれども、ラテンアメリカの国々は、これをどう捉えていったんですか?」

落合先生 「国々が次々と独立していった19世紀の最初の20年間くらいは、アメリカ合衆国はさほど脅威ではなかったんです。1826年に、国々の連帯と結束を呼び掛ける会議をパナマで開催しようとしたんです。アメリカ合衆国にも招待状が送られていました。でも、具体的な成果は、この会議では得られなかったんですね。」

早紀 「成果が得られなかったっていうのは、国同士の対立があった、とかですか?」

落合先生 「お互いに少しけん制し合っていたというところもあるんですが、そもそも参加国がすごく少なかったんですよね。
その当時、通信手段がかなり限られていたというのがあります。手紙とか輸送手段というと、陸路ですとだいたい馬車しかない。海ですと、今度は帆船ですね。広大な南北アメリカ大陸でやりとりをするとなると、数か月単位になってしまう。アメリカ合衆国も、準備が間に合わなくって参加できなかったということがありました。」

早紀 「今みたいに電話やメールとかで、さっとやりとりはできないですもんね。」

落合先生 「そうなんですね。ですから、私たちが歴史を見る時は、今とは時間とか空間とか、その感覚がどのくらい当時の人たちが違っていたのかを想像することが大事になるんじゃないかなと思います。」

マヤ 「では、どうしてその後、ラテンアメリカ諸国はアメリカの影響力から逃れられなくなったんですか?」

落合先生 「19世紀を通じて、ラテンアメリカの国々には政治的に不安定な国が多かったんです。ところが、アメリカ合衆国は、西部は開拓するし、農業でも鉱山業でも成功するし、また工業国としても発展していく。そうしたアメリカが、ラテンアメリカ全体を“アメリカの裏庭”っていう位置づけにして、縄張りを強めていくというところがありました。これは、やはりアメリカの武力が背景にありました。」

  • パナマの独立を支援
  • 陸地の幅が狭くなる部分

1903年、アメリカはコロンビアに海軍を派遣して、パナマの独立を支援しました。
パナマには、南北アメリカ大陸でもっとも陸地の幅が狭くなる部分があります。
ここに運河を完成させ、大西洋と太平洋を結ぶ航路を確保することが、アメリカの狙いでした。
このようなアメリカの軍事力を背景とした強硬な外交政策は、「こん棒外交」と呼ばれます。

  • ロス・アンヘレス

マヤ 「でも、アメリカからの影響を、一方的にラテンアメリカも受けているだけではなかったんですよね?」

落合先生 「あまり知られていないことなんですが、アメリカがカリフォルニアの割譲を受けた時、実はそこにはメキシコ人がいっぱい住んでいたわけです。アメリカ合衆国には、そういう意味でいうと、元々ラテンアメリカ系の人たちがいたということになるんですね。」

マヤ 「あの、ロサンゼルスはロス・アンヘレス、スペイン語の天使たちっていう意味ですよね。たくさんスペイン語の名前が地名として残っていますよね。」

落合先生 「そうですね。その後、今度はラテンアメリカからアメリカ合衆国の方に人間が動いていくという時代がきます。
スペイン語を話す人たちであり、ラテンアメリカ出身の人たちなんですけれども、この人たちがアメリカで定着して住んでいく。この人たちのことを『ヒスパニック』と呼ぶようになったんです。」

広がるヒスパニック文化
  • 聖ヨセフを意味するスペイン語
  • サボテン料理はメキシコの代表的な食文化

カリフォルニア州中部の都市サンノゼ。
移民の町として知られ、町の名前も、「聖ヨセフ」を意味するスペイン語です。
この町ならではの飲み物が、サボテンジュース。
サボテン料理はメキシコの代表的な食文化で、建康にもよいと言われています。

  • 18世紀に描かれた混血の種類を表す絵
  • メキシコの階級社会

食や音楽などのヒスパニック文化を持ち込んだのは、主に経済的な理由によってアメリカにやってきた移民でした。
メキシコでは、独立後も人種や身分による階級社会が残っていました。
裕福な階層はごく少数。
大多数の貧困な人々は、仕事を求めて発展著しいアメリカ合衆国にやってきたのです。
19世紀から20世紀前半にかけては、南部の綿花畑やゴールドラッシュで沸く鉱山などの労働者となりました。
第二次世界大戦でアメリカ南西部の農業労働者が不足すると、その数は急増。
1942年からの20年ほどで、500万人近くに上ったと言われています。

  • キューバ革命
  • アメリカ合衆国の全人口に占める白人とヒスパニックの割合

経済的な理由ではなく、政治的な理由でアメリカに渡った人々もいます。
アメリカ・スペイン戦争の結果独立したキューバは、アメリカの保護国となっていました。
ところが、1959年、親米政権を倒す「キューバ革命」が起き、その後、社会主義政権が成立しました。
多くの人々が、革命を逃れてアメリカに亡命し、現在キューバ系アメリカ人は100万人を超えると言われています。
予測では、アメリカ合衆国の全人口に占めるヒスパニックの割合は今後も増え続け、2060年には27%を超えると考えられています。

  • チリコンカーン

マヤ 「アメリカ合衆国でのヒスパニックの存在感は、確実に増しているんですね。」

落合先生 「はい。ただ単に人口の中での割合が増えているというだけではなく、例えば連邦議会や州議会の議員であるとか、市長であるとか、大統領候補になろうとする政治家であるとか、あるいは閣僚であるとか、言ってみれば政治全体にたくさんのヒスパニックが進出しています。
それからもちろん、音楽とか文化、映画とか芸術ですね。こういう方面でも、活躍していると言えます。
ヒスパニックの存在感が増してきているということと、ヒスパニック文化が広がっているということが、並行して起きているという感じがしますね。例えば、カリフォルニアとかでは、街中の看板とか路線バスの中のいろんな表示ですね、“つかまってください”とか、そういうこともスペイン語であることが多いんです。
それから、お料理で言いますと、肉と豆のちょっと辛い煮込み料理で、英語では『チリコンカーン』というのがあります。これは、本当は『チレ・コン・カルネ』っていうスペイン語の英語なまりですね。」

マヤ 「一方で、移民の排斥運動や差別っていうのはすごく強くありますよね。」

落合先生 「そうですね、主に問題視されているのは、正式な手続きを経ないで入ってきている、いわゆる『不法移民』と言われる人たちだと思います。
こういう人たちについては、アメリカの経済が好調な時はあまり問題にならないんですね。沈静化します。ところが、経済があまり調子よくない、停滞している時になりますと、移民に矛先を向けて排斥しようとする風潮が強まっていくことがあります。
移民を受け入れるかどうか、つまり国境を開くか閉ざすかということの判断には、実はさまざまな要因が絡んでくると言えると思います。」

へだてる国境・つなぐ国境
  • アメリカ合衆国に滞在する不法移民
  • 54年ぶりに国交を回復

メキシコからアメリカへの「不法移民」は、1980年代から増え始めました。
2017年の時点で、アメリカに滞在している不法移民およそ1000万人のうち、ほぼ半分がメキシコ人だとされています。
この不法移民対策として、1990年代から、国境の壁の建設が進められているのです。

その一方で、格差を解消し政治的・経済的なつながりを強めようとする動きもあります。
1994年、アメリカ、メキシコにカナダを加えた3国で「北米自由貿易協定(NAFTA)」が結ばれ、EUに匹敵する経済圏が誕生しました。
また、キューバ革命以来、国交を断絶していたアメリカとキューバは、2015年、54年ぶりに国交を回復しました。

アメリカとキューバを隔てていたフロリダ海峡は、両国をつなぐ国境となったのです。


早紀 「日本にいると『国境』って、いまいちピンとこないですよね。」

落合先生 「そうですよね。もしメキシコに行く機会がありましたら、ぜひ飛行機ではなくて陸路でメキシコに入ってもらったらいいなと思うんです。国境を越えた瞬間に、本当に風景が変わります。それから道路の状況もずいぶん違うっていうことが分かりますし、とても興味深いと思います。」

マヤ 「国境を挟んで、アメリカからメキシコに行くのと、メキシコからアメリカに行くのと、全然手続きが違うんですよね。両方とも経験があるんですけれども、メキシコからアメリカに入ろうとすると、ものすごく厳しく調べられたり、待たされたりっていう、違いを感じますよね。」

落合先生 「そういう国境というのは、政治的に引かれた一本の線なんですよね。ところが、文化っていうのは、国境に妨げられることなく越えていく。すり抜けていくっていうところがあります。混じりあうんですよね。文化っていうのは、人が動いていけば、そのままどんどん混じりあっていきます。」

マヤ 「この本にあるように、英語とスペイン語が入り混じった言葉が使われているというのも、その一例ですよね。」

落合先生 「英語はもちろん使います。スペイン語もできる。それをバイリンガルとして別々に使うんじゃなくて、両方ミックスして使うということをやりますね。それぞれの言葉の中から、その場面で自分の気持ちに一番合っている言葉を出していくわけです。」

早紀 「例えば、英語の『ハッピー』と日本語の『幸せ』って、同じだけどちょっとニュアンスが違うじゃないですか。伝えたい気持ちっていうか…。それと同じなのかなって思って。
英語だけとかスペイン語だけではなくて、ミックスしているっていうのが面白いですよね。」

落合先生 「そうですね。グローバル時代っていうのは、画一的になるってよく言いますよね。だけど、かえってローカル色が、その中から際立ってくることがしばしば見えるように思うんです。
グローバル時代っていうと、ヒトとかモノとか技術とかお金、こうしたものが国境を越えて広く動いていく時代。それは、そうなんですよね。マクロでみると、そうだと思います。
だけど、一人ひとりの生活者というか、一人ひとりがどういう生き方をしているかっていうミクロのところを見ていきますと、全然違う風景が見えてくる。それが多分、日本に暮らしている私たちに、今、世界で何が起きているのか、自分たちの周りで何が起きているのかを考えるときに、とても役に立つんじゃないかと思います。
ですから、ラテンアメリカとアメリカ合衆国との関係ですね、こうしたものも、両方の視点から、マクロで見たりミクロで見たり、そうすると、これからの世界で私たちがどんなふうに生きていくのかっていうことを考えるとき、学ぶところも多いんじゃないかなと思っています。」

混じり合い、増えていく言語
  • ガンバッテヤンド

マヤ 「グローバル化が進んで国境を越える人が増えた現在、新しい言葉が生まれるのは国境付近に限ったことではありません。
例えば日本にも、日系ブラジル人や日系ペルー人をはじめとした多くのラテンアメリカ出身者が暮らしています。
彼ら彼女らは、ポルトガル語やスペイン語と日本語を融合させて、新しい言葉を作っています。
『Seguimos』はスペイン語で『続ける』なので、 『Seguimos GANBATEANDO.』というと、『ずっと頑張るぞ』というような意味になります。
このような、混じり合ってできた言語は、現在世界に100前後あると言われていますが、まだまだ増えていくのではないでしょうか。」


それでは次回もお楽しみに!

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