NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第32回

第二次世界大戦

  • 世界史監修:東京大学教授 中野耕太郎
学習ポイント学習ポイント

第二次世界大戦

  • 政井マヤさんと富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • 第二次世界大戦へ

第一次世界大戦後のヨーロッパでは、パリで講和会議が開かれ、新しい国際秩序がつくられました。
「ヴェルサイユ体制」です。
この会議で史上初の本格的な国際平和機関「国際連盟」の設立が合意され、民族自決の原則が掲げられました。
また、東アジア・太平洋地域では、各国の利害を調整した「ワシントン体制」が成立。

しかし、世界の平和と安定は、長くは続きませんでした。
第一次世界大戦の終結からわずか20年足らずで、再び夥しい犠牲者を出す大戦へと、世界は突き進んでいきます。

  • ヴェルサイユ体制下のドイツ

早紀 「第一次大戦後の国際体制は、平和を維持するには不十分だったということなんでしょうか?」

マヤ 「その前に、第一次大戦後の『ヴェルサイユ体制』どんなものだったか覚えている?」

早紀 「ヴェルサイユ条約で決まった体制のことですよね。敗戦国のドイツは植民地を放棄させられて、多額の賠償金の支払いを課せられたんでしたよね。それからアメリカの提唱で国際連盟が設立されたけど、最初は、ドイツは入れてもらえなくて、ロシア革命で戦争を離脱したソ連も入れてもらえなかったんですよね。」

マヤ 「そうね。イギリスとフランスはドイツを弱体化させることを最優先させたと言われているわよね。」

  • 軍備禁止区域
  • 新しくできた国

マヤ 「これは第一次大戦後のヨーロッパの地図なんだけど、何か気がつくことはあるかしら?」

早紀 「フランスとドイツの国境近くに軍備禁止区域というのがありますね。」

マヤ 「フランスとイギリスがいかにドイツを警戒していたかが分かるわよね。」

早紀 「あと、ソ連とドイツの間に新しい国が増えていますね。」

マヤ 「そう。これらの国々は最初から国際連盟に加盟しているの。東ヨーロッパはもともとロシアと関係が深い民族が多いのだけど、東ヨーロッパの新しい国々を国際連盟に取り込むことで、ロシア革命後のソ連を孤立させているのね。」

早紀 「それは、どういうことなんですか?」

マヤ 「ロシアの革命が広まることを警戒していたのね。」

早紀 「第二次世界大戦は、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国と、アメリカ、イギリス、フランスの連合国の戦いでしたよね。それに、ソ連も、連合国側についていました。」

マヤ 「よく覚えていたわね。枢軸国と連合国の戦いなんだけど、この時点でのイギリス、フランスの対ドイツ、対ソ連という関係は後々も重要になるの。
そして、もうひとつ第一次大戦後の国際関係の軸となったのがワシントン体制。」

  • 太平洋地域で日本の勢力が拡大

東アジア、太平洋地域で日本の勢力が拡大すると、アメリカ主導でワシントン会議が開かれました。
この会議で海軍の軍縮と、太平洋諸島の現状維持、中国の主権と独立の尊重などが確認され、日本の中国進出が抑えられました。
これを「ワシントン体制」といいます。

早紀 「アメリカは国際連盟を提唱したり、ワシントン会議で戦争が起こらない条約を結んだりして平和に貢献していますよね。」

マヤ 「確かに。でもその後、アメリカの経済の失敗が、第二次世界大戦の火種のひとつとなるの。」

世界恐慌とニューディール政策
  • 株価の大暴落
  • フランクリン・ローズヴェルト

第一次世界大戦で戦場にならなかったアメリカ合衆国は、1920年代に空前の経済的繁栄を迎えます。
大量生産・大量消費の時代を迎えますが、経済界の利益を重視する政策がとられ、生産が需要を大きく上回るようになります。
一方、農業は、トラクターの導入など機械化によって効率化が進みますが、生産過剰となり農産物価格は低迷します。

1929年、そこに起こったのがニューヨークの株式取引所での株価の大暴落です。
これによって工業生産は3年で半分になり、農作物の価格も4割以下に下落。
企業や銀行の倒産が相次ぎ、深刻な不況がアメリカ社会を襲います。
経済大国アメリカの資本はヨーロッパ経済も支えていました。
しかし、不況によってアメリカの銀行や投資家が資本を一斉に引き上げたため、ヨーロッパを巻き込んだ「世界恐慌」に発展します。

株価の大暴落から4年たった1933年、不況に苦しむアメリカの立て直しを図ったのが大統領に就任した「フランクリン・ローズヴェルト」でした。
農作物の生産を調整したり、業種ごとに公的なカルテルを形成させ、価格の引き上げをはかりました。
また公共事業を起こし、失業者を救済。
「ニューディール(新規まき直し)」と呼ばれるこれらの政策は、従来の自由放任政策を転換し、政府が経済統制をはかるものでした。

  • 中野耕太郎先生
  • アメリカの投資がヨーロッパの戦後復興を支えた

お話をうかがうのは、東京大学教授の中野耕太郎先生です。

早紀 「アメリカの経済の失敗が世界恐慌につながったというのはわかるんですが、世界恐慌が戦争の火種になったというのはどういうことなんですか?」

中野先生 「第一次大戦後のヨーロッパの戦後復興というのは、アメリカの投資によって支えられていた面があります。こちらの図を見て下さい。
アメリカがドイツに巨額の資金を供給して、それで経済を立て直してドイツはイギリスやフランスに賠償金を支払います。今度はイギリス、フランスが第一次大戦期にできたアメリカへの借金を返す。そういう仕組みが1920年代の半ばには確立します。
ところが大恐慌で、このアメリカの投資が引き上げられてしまったので、ヨーロッパ全体の経済が立ち行かなくなっていきます。
このことからくる政治的な危機は、第二次大戦の原因のひとつだと思います。」

  • シュトレーゼマン

賠償金の支払いに苦しむドイツでは、一時期、貨幣価値が戦前の1兆分の1に暴落するインフレーションが起こります。
しかし、シュトレーゼマン内閣は新紙幣を発行してインフレをおさめると、1924年からはアメリカの資本を導入します。
それによって、ドイツ経済が上向くとヨーロッパ経済も安定に向かいます。
1926年、ドイツは国際連盟に加盟。
国際協調の気運が生まれます。
この時のドイツは、ワイマル憲法のもと、男女の選挙権や労働者の経営への参加権が認められ、最も民主的な時代を迎えます。

  • ドル圏・フラン圏・ポンド圏・マルク圏・円圏

しかし、1929年の世界恐慌により事態は一変します。
アメリカはドイツへの投資を引き上げると同時に、保護貿易主義をとります。
関税を史上最高の水準に引き上げ、輸入を縮小しました。
これに対してイギリスやフランスは『ブロック経済』を形成します。
勢力下にある諸国を囲い込み、それ以外からの輸入に高い関税をかけたのです。
これにまたアメリカが対抗。
経済基盤の弱いドイツやイタリア、日本などは世界経済からはじき出されました。

ファシズムの台頭
  • アドルフ・ヒトラー
  • 全権委任法制定

世界恐慌の影響を最も大きく受けたのがドイツでした。
失業者が急増して資本主義への不満が高まり、共産党が支持を伸ばす一方で、台頭したのが「ヒトラー」率いるナチスという「ファシズム」勢力です。

1932年、共産党の進出を恐れる保守派や産業界の支持を受けナチスが第一党となると、翌年、ヒトラー内閣が成立。
ヒトラーは政権を握ると、国会議事堂の放火事件を口実に共産党を弾圧。
さらに自らに国政の全権をゆだねる法律を議会に可決させ、その後ナチス以外の政党や労働組合を解散。
一党独裁体制を確立させます。
ヒトラーは、高速道路の建設など大規模公共事業で失業者を減らす一方、言論・出版の自由を制限。
独裁政治に反対する人々やユダヤ人を排斥(はいせき)しました。

  • ラインラントに進駐、またズデーテン地方の割譲を要求
  • ムッソリーニ

ドイツは続いて国際連盟を脱退し、1935年にはヴェルサイユ条約に違反して再軍備を宣言、徴兵制も復活させました。
イギリスがこれを認めると、ヒトラーは軍備禁止区域・ラインラントに軍隊を進駐。
さらにチェコスロヴァキア内で、ドイツ系住民の多いズデーテン地方の割譲を要求します。
チェコスロヴァキアはこれを拒否しますが、この問題を検討するため、ミュンヘンで会談が持たれます。
イギリスとフランスはドイツとの戦争を避けるという理由で、ヒトラーの要求を認める宥(ゆう)和政策をとります。

しかし翌1939年、ドイツはチェコスロヴァキアを解体すると、チェコを占領下におき、ヴェルサイユ体制は完全に崩壊します。
このとき、イタリアでも「ムッソリーニ」が結成したファシスト党が、ドイツと同じように一党独裁体制をとっていました。

  • 三国防共協定締結

また東アジアでは、日本が中国東北地方での権益を確保するために、満州事変を起こして満州国を建てます。
しかし、国際連盟が満州国を認めないことを決議すると、日本は連盟を脱退。
ワシントン体制も崩壊します。
国際的に孤立した日本はドイツに接近。
日本、ドイツ、イタリアの間で、共産主義に対抗する協定が結ばれ、枢軸国を形成していきます。


マヤ 「ドイツは第一次大戦後にワイマル憲法を制定するなど、世界で最も進んだ民主主義と言われた国でしたよね。ファシズムという民主主義とは全く反対の独裁体制が支持されたのはどうしてなんでしょうか。」

中野先生 「民主主義というのは、異なる考えの人々がそれぞれの立場を尊重してじっくり話し合って合意を形成していく、そういう政治ですよね。ただ、これには直面する問題を解決するのに時間も手間もかかります。特に経済が破綻し、生活の危機が切迫してくると、人々はトップダウンで政策を実行する強い指導者を求めがちです。そうした意味で、大恐慌の経済的な混乱は、各地で独裁体制が容認されていく理由のひとつだったのではないでしょうか。」

大戦のはじまりと拡大
  • ローズヴェルトとチャーチル

ドイツは国の東西で同時に戦闘となるのを防ぐため、敵対していたソ連と、独ソ不可侵条約を締結。
1939年9月、ポーランドに侵攻します。
宥(ゆう)和政策の失敗を悟ったイギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、「第二次世界大戦」が始まりました。
1940年5月、ドイツはフランスに侵攻。ドイツ、イタリアの枢軸国は数か月のうちにヨーロッパのほとんどを占領します。
1941年6月、ドイツは、不可侵条約を破って宣戦布告なしに、ソ連に進撃を開始します。

孤立主義を掲げていたアメリカも、このとき中立を破棄して、ソ連にも大量の援助を送るようになっていました。
8月、ローズヴェルト大統領はイギリスのチャーチル首相と大西洋上で会談を行います。
ここで大西洋憲章を発表し、ファシズムと対決する決意を表明しました。


マヤ 「それまで他国の戦争に巻き込まれないように孤立主義をとっていたアメリカが、ファシズムとの戦いということで、ついに参戦に動くわけですけれども、この参戦の決め手になったのは、どんなことがあったんでしょうか?」

中野先生 「そうですね。アメリカは遅くとも1941年8月のイギリスと共同で出した大西洋憲章で、“ナチスを倒して平和な世界を確立するんだ”という方針を明示しています。この時点でアメリカは戦争準備をかなり進めていたと言っていいと思います。」

早紀 「戦争に反対するアメリカの国民をどうやって説得したんですか?」

中野先生 「例えば、ローズヴェルトは“恐怖からの自由”という言葉で国民に訴えかけました。この恐怖というのはファシズムの侵略を意味します。そうした暴力から世界の人々を解放するためにアメリカは立ち上がるんだという主張でした。ただ、そう簡単にアメリカ国内世論が戦争支持に向かったわけでもありません。」

  • 真珠湾攻撃
  • 広島、長崎へ原子爆弾投下

アメリカの世論を大きく参戦へと動かしたのは、日本によるハワイ真珠湾攻撃でした。
太平洋戦争が始まり、ドイツ、イタリアもアメリカに宣戦すると、戦争は全世界に広がっていきます。
第二次世界大戦は、民間人の死傷者が格段に増え、兵士の死傷者の数を上回りました。
ヨーロッパでもアジアでも、都市への無差別爆撃が日常的に繰り返され、一般市民が巻き込まれていったからです。


ついには広島、そして長崎に、原子爆弾が投下されます。
世界は、この新兵器が街とともに人々の命を一瞬にして焼き尽くしたのを知ることとなります。
日本はポツダム宣言を受諾し、世界60か国を巻き込んだ戦いは終わりました。

  • アウシュヴィッツ強制収用所

戦後、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺も明らかになりました。
600万人ものユダヤ人が、収容所でガス室に送られるなどして命を奪われたのです。

第二次世界大戦の犠牲者は、5000万人を超えると言われています。
その数は実に第一次世界大戦の5倍にも及びました。


早紀 「第一次大戦よりもっと多くの犠牲が出る戦争が起きてしまったわけですよね。」

中野先生 「現代の歴史を振り返ってみると、戦争がない平和な時期を見つけるのが難しいほどです。どうしたら戦争はなくなると思いますか?」

早紀 「ひとつ言うとしたら、もし世界中の経済が上手くいったら戦争も起こらないような気がします。」

中野先生 「確かに世界経済の問題は、特に南北の経済格差やグローバルな経済不況というのは戦争の火種になるかもしれませんね。そうした危機が訪れたときにも、いかに民主的な政治を維持できるか、そして各国が利己的に国益を追求するだけではなく、自由な貿易関係と民主的な国際協調を守れるかが、重要な“かぎ”になってくると思います。
どうすれば戦争をなくせるかは簡単な問題ではありませんが、戦争の歴史を深く学ぶことは、戦争をなくすための第一歩になるんではないでしょうか。」

ラジオと第二次世界大戦
  • ヒトラーは厳粛な音楽とともに演説を流した

マヤ 「世界が第二次世界大戦に向かっていった時代は、ラジオが一般家庭に普及していった時代でもありました。
ローズヴェルトは大統領に就任すると、信用を失っていた銀行の安全性を訴えるなど、打ちひしがれていた国民に向けて、ラジオで語りかけました。
同じころ、ラジオの影響力に注目していたのが、ナチスです。ヒトラーは、厳粛な音楽とともに得意の演説を流し、大衆を味方につけていったのです。
ラジオは数々の娯楽も提供した一方で、政治にも利用され、戦争の暗い影も引きずっていくことになります。」


それでは次回もお楽しみに!

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