NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

今回の学習

第31回

ロシア革命

  • 世界史監修:東京都立大学教授 中嶋 毅
学習ポイント学習ポイント

ロシア革命

  • 野呂汰雅さんと政井マヤさん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • ソヴィエト社会主義共和国連邦

20世紀の初め、ロシア帝国が崩壊し、社会主義を目指すソヴィエト政権が誕生。
その後、いくつかのソヴィエト共和国が連合してソ連、ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立しました。
社会主義は、産業革命や市民革命を通して成立した資本主義社会を、根本的に変革することを目指します。
富を国民全員に平等に分配することによって、格差のない社会をつくろうという考え方です。
ソ連は、どのような経緯で誕生したのでしょうか。
そして、それは世界にどのような影響を与えていくのでしょうか。

  • ポーリュシカ・ポーレを聴く二人

オルゴールをかけるマヤさん。

マヤ 「これは『ポーリュシカ・ポーレ』という、ロシアの革命の曲なの。」

汰雅 「革命の歌ですか?でも小学校で習ったのは、確か…。
♪緑もえる 草原をこえて 僕は行きたい
あなたの 花咲く 窓辺へと♪
みたいな感じだったと思うんですけど。」

マヤ 「すごい、よく覚えてたね。日本語の歌詞はそんな感じなんだけど、元々ロシアでは、『草原を軍隊の英雄が進んでいく』っていう内容の歌なの。」

汰雅 「意外ですね。ロシアの革命は、フランスやその他の国の市民革命とは違っていたんですか?」

マヤ 「ロシア革命っていうのは、1917年に起きた2つの革命。その後の内戦まで含める場合もあるんだけれども、その結果、史上初の社会主義政権が成立したの。
そして、そのきっかけとなったのは、第一次世界大戦。」

世界大戦とロシアの苦難
  • 協商国と同盟国

1914年、ボスニアの首都サライェヴォを訪問していたオーストリア・ハンガリーの帝位継承者夫妻が、セルビア人の青年によって暗殺されました。
この事件をきっかけとして、ヨーロッパのほとんどの国を巻き込んだ「第一次世界大戦」が勃発します。
ロシアは、イギリス、フランスなどとともに協商国の一員として参戦。
ドイツ、オーストリア・ハンガリーなどの同盟国と戦いました。

  • 汎スラブ主義
  • ロシア皇帝ニコライ2世

ロシアの参戦理由には、「汎スラヴ主義」という考え方があります。
“バルカン半島に住むスラヴ系民族が団結して、オスマン帝国からの独立を目指す運動”が汎スラヴ主義です。
ロシア皇帝「ニコライ2世」は、この考えを利用し、オーストリア・ハンガリーに対抗して、ロシア軍総動員令を布告したのです。

大戦は、大方の予想を裏切って長期戦となり、最終的には1918年まで、4年以上も続きました。
社会全体を動員して戦争を遂行する総力戦となったため、参戦国では、国民の日常生活まで制限されることになりました。
ロシアでも生活に困窮する国民が増え、また、ドイツに対する敗戦が続いたこともあって、皇帝に対する不満が高まっていきました。

  • 中嶋毅先生
  • ペトログラード

お話をうかがうのは、東京都立大学教授の中嶋毅先生です。

マヤ 「第一次世界大戦の参戦国の多くでは、国民の生活が制限されてかなり苦しかったようですけれども、ロシアも同じだったんでしょうか?」

中嶋先生 「そうですね。ロシアは、特に近代化に後れを取っておりましたので、戦争が長期化すると、軍隊の損害も大変大きなものになってしまいました。戦死者の数も、ドイツと並んで飛び抜けて多かったと言われています。
兵士を補充するために、農村の働き手を大量に動員しました。その結果、農村の生産力は低下してしまい、農民の生活も大変苦しいものになっていきました。」

汰雅 「戦争で苦しむのは農民なんですね。」

中嶋先生 「都市部の住民も、苦しい生活を強いられることになりました。ふだんからひっ迫していたロシアの鉄道輸送が戦争優先にされてしまったために、穀物の輸送が滞ってしまいました。その結果、都市部に穀物が届きにくくなってしまうという現象が生じました。
集荷場に穀物が野ざらしになってしまったという例も、たくさんありました。」

マヤ 「ただでさえ生産が少なくなってきている、その貴重な穀物が運べないで腐っていくっていうのは、本当にひどい状況ですね。」

中嶋先生 「特に、首都ペトログラードの周辺には穀物の生産地がなかったために、穀物の不足がとりわけ厳しいものになってしまいました。
こうして、1917年の2月の段階では、食糧備蓄、首都の穀物のストックが2週間程度になってしまったと言われています。
そんな状況の中で、ペトログラードで食糧を求めるストライキが起こることになりました。
それが、ロシア革命のきっかけになってしまったわけです。」

二つの革命
  • 食糧配給の改善を求めるストライキ
  • ソヴィエト

1917年3月8日。
ペトログラードで、食糧配給の改善を求めるストライキが行われました。
ここに多くの労働者が参加して規模が拡大。
要求も「パンをよこせ」だけでなく、「戦争反対」や「専制打倒」が叫ばれるようになります。
皇帝ニコライ2世は、このデモ隊の鎮圧を指示。
警察隊と軍隊が出動し、警察隊の発砲によってデモ隊側に死傷者が出ました。
この事件に対し、軍兵士の一部が反乱をはじめ労働者側に参加。
その動きは他の都市にも広がっていき、労働者や兵士を代表して革命を指導する「ソヴィエト」と呼ばれる評議会が各地で結成されました。

  • 臨時政府が樹立
  • 三月革命

一方、ペトログラードでは、これらとは別の動きが生まれていました。
皇帝に対して政策への助言などを行っていた国会のメンバーによって臨時政府が樹立され、立憲君主政による国家体制が目指されることになったのです。
この時、ペトログラードでは、臨時政府とソヴィエトという二重権力状態になりました。

臨時政府は、皇帝権力を守るためにも、ニコライ2世に退位を促し、体制を一新することを迫ります。

ニコライ2世はこれを受け入れ、次の皇帝に弟を指名しました。
しかし、弟が即位を辞退したためロシア帝政はあっけなく幕を閉じることとなりました。
この事件を「三月革命」といいます。
なお、当時のロシアでは古い暦を使っていたため現在の西暦と10日ほどの差があり、ロシア暦では「二月革命」となります。

  • ソヴィエトと臨時政府

汰雅 「ストライキを抑えるために動員された兵士が、なんで反乱を起こしてストライキに参加したんですか?」

中嶋先生 「首都の防衛は、元々精鋭部隊が配備されていたんですけれども、戦争が長期化したために精鋭部隊が前線に送られてしまって、予備兵が多くなっていました。(予備兵/補充兵:新規召集された比較的年齢の高い新兵)
立場上、彼らはデモ隊を抑える側だったんですけれども、市民と同様に生活苦を感じて戦争に反対していました。こうして、彼らはデモ隊を支援する側に回ることになったわけです。」

マヤ 「この三月革命の結果、ソヴィエトという評議会と臨時政府という2つができたんですよね。これが『二重権力』ということなんですか?」

中嶋先生 「そうですね。ソヴィエトは、労働者と兵士の代表で組織されていました。彼らは、戦争からの離脱を目指していました。戦争が終われば生活苦もなくなると、彼らは考えていたわけです。
一方、自由主義者たちから構成されていた臨時政府は、元々ストライキとは無関係なところで『責任内閣』を皇帝に認めさせようとしていました。イギリスと同じような立憲君主政に移行することを求めました。
彼らの間には戦争をやめる考えは元々なくて、むしろ戦争を合理的に遂行して、ロシアを勝利に導くためにこそ、立憲君主政が必要だと考えていました。」

マヤ 「でも、ソヴィエトというのは、戦争停止を求めていたわけですよね?臨時政府に対して、強くは言わなかったんですか?」

中嶋先生 「ソヴィエトでも議論があったんですけれども、当面は祖国を防衛するために戦争を容認しました。
一般の民衆には、臨時政府への不信が広がりました。それに応えたのが、レーニンという社会主義者でした。彼は徹頭徹尾、戦争反対を唱え続けていました。」

  • ウラジーミル・レーニン
  • レーニンがドイツを通過することを黙認

「レーニン」は、若き日に社会主義の思想に触れ、社会主義革命の実現を目指す活動を始めました。
その活動は厳しく弾圧され、その後レーニンは国外に亡命しました。
三月革命が起きた時、レーニンは亡命先のスイスに滞在していましたが、臨時政府が戦争継続を決定したことに反対を表明。
ロシアに急ぎ帰国して、反対運動を行う道を模索します。
これに対して、大戦の敵国ドイツが動きました。
ロシア国内を混乱させることを目論んで、レーニンがドイツを通過することを黙認し、ロシア帰還を実現させたのです。

  • 十一月革命
  • ブレスト・リトフスク条約

レーニンは、ロシア社会民主労働党のボリシェヴィキ派の指導者として、兵士や労働者の支持を獲得していきます。
そして、1917年11月7日(ロシア歴:10月25日)、ペトログラードの主な輸送機関や通信機関などを武力で制圧。
さらに、臨時政府が置かれていた冬宮殿を占領して、権力を掌握することに成功しました。
このふたつめの革命が「十一月革命」、ロシア暦「十月革命」です。

レーニンは、まず大戦からの離脱を目指します。
1918年3月、ドイツなどと単独で講和する、「ブレスト・リトフスク条約」を結んで、第一次世界大戦からの離脱を実現しました。

  • ブレスト・リトフスク条約で放棄した地域
  • ウクライナを失った

汰雅 「レーニンは社会主義者ということでしたけど、どんな国づくりを目指していたんですか?」

中嶋先生 「レーニンが目指したのは、労働者や農民、一般の民衆が国の主人公となって、人間が解放される新しい社会。
そのため、地主や教会の所有した土地を没収したり、銀行・鉄道・大工業などを国有化したりという社会主義的な政策を進めようとしたわけです。」

汰雅 「でも、それだと没収される側からしたら、けっこう異論というか、やめてくれ、みたいなふうになってくるのかなと思うんですけど。」

中嶋先生 「その通りです。社会主義的な政策に対する反発やブレスト・リトフスク条約でウクライナを失ったことから、ボリシェヴィキに反対する勢力が存在していました。
このウクライナは、ロシアにとっては一大穀物生産地だったわけで、大変大きな損失になったわけです。
こうしてロシアはボリシェヴィキに反対する勢力と内戦を戦わなければならなくなってしまいました。」

社会主義国家の確立
  • 演説するレーニン

旧帝政派の軍人やボリシェヴィキに反対する政党は、反革命軍として武装闘争を開始。
ソヴィエト政権との間で、激しい内戦が戦われることになりました。
この内戦のさなか、レーニンは世界各国の社会主義者を集めてコミンテルンを結成。
ロシア同様の社会主義革命の実現を目指すことを呼びかけます。

こうした動きに対して、ロシア革命が波及することを恐れたイギリスやフランス、アメリカ、日本などは、反革命軍を支援して干渉戦争を仕掛けてきました。
日本が派兵したのは、シベリアにおける権益を確保する目的もありました。
しかし、反革命軍、干渉軍はロシアの民衆の支持を得ることはできず、1920年には国内の反革命軍はほぼ制圧されました。

この戦いの中で、ボリシェヴィキから名称を変更したロシア共産党は権力を強め、一党支配体制を確立したのです。

ソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生

マヤ 「せっかく第一次世界大戦からの離脱を果たしたのに、内戦と干渉戦争を戦い続けなくてはならなかったということで、戦争から抜けるためにがんばったのに、泥沼にはまっていった感じがしますね。」

中嶋先生 「そうですね。この内戦を戦い抜いた軍隊を称えて作られたのが…。」

汰雅 「ポーリュシカ・ポーレなんですね。」

中嶋先生 「そうです。1934年に作られた交響曲の一部が、軍歌として愛唱されるようになったわけです。」

汰雅 「ということは、ロシア革命によって、ロシア帝国がソ連になったということなんですかね?」

中嶋先生 「そう簡単ではないんですけれど、ロシア帝国が解体したのち、レーニンが率いる共産党が旧帝国領のかなりの部分を支配下におさめて、それで各地でソヴィエト共和国が形成されていきました。
いちばん最初に社会主義共和国になったのは、この赤い部分のロシア連邦共和国でした。
その後、共産党の支配を拡大していったわけですね。
1922年になって、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ザカフカースの4つの共和国が連合して、ソ連、『ソヴィエト社会主義共和国連邦』が誕生したわけです。
第二次世界大戦後には、15の共和国から構成されることになったわけです。」

マヤ 「社会主義国の誕生は、世界にどんな影響を与えたんですか?」

中嶋先生 「これは、難しい問題ですね。欧米などの資本主義諸国の競争相手になったということは確かですね。資本主義諸国は、自由放任の経済からの修正を迫られることになりました。
その後、第二次世界大戦後になりますと、資本主義国家と社会主義国家は二つの陣営に分かれて、『冷戦』が国際政治の軸になっていきます。」

サンクト・ペテルブルク
  • 都市の名前にも、歴史が詰まっている

マヤ 「ロシア革命の時の首都、ペトログラード。元々は、サンクト・ペテルブルクというドイツ語風の名前だったんですが、第一次世界大戦でドイツが敵となったため、ロシア語風のペトログラードに改められました。そして、ソ連時代にはレーニンにちなんでレニングラードとなります。
しかし、1991年秋、ソ連崩壊の直前に住民投票によって、サンクト・ペテルブルクに戻され、今に至っているんです。
都市の名前にも、歴史が詰まっているんですね。」


それでは次回もお楽しみに!

科目トップへ

制作・著作/NHK (Japan Broadcasting Corp.) このページに掲載の文章・写真および
動画の無断転載を禁じます。このページは受信料で制作しています。
NHKにおける個人情報保護について | NHK著作権保護 | NHKインターネットサービス利用規約