NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第30回

第一次世界大戦

  • 世界史監修:立命館大学教授 山下範久
学習ポイント学習ポイント

第一次世界大戦

  • 政井マヤさん
  • 富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • 同盟国と協商国

1914年、人類がそれまでに経験したことのない大戦争が起こりました。
「第一次世界大戦」です。
ドイツ、オーストリア、オスマン帝国を中心とした「同盟国」と、イギリス、フランス、ロシアを中心とした「協商国」が対立。
世界各国を巻き込んでの戦いは4年以上にも及び、かつてない世界規模の犠牲者を出しました。

人類初の世界大戦は、なぜ起こり、その後の世界をどのように変えたのでしょうか?

19世紀後半の列強の領土

早紀 「戦争って、誰だって避けたいはずじゃないですか。人類は何度も戦争を経験して、反省もしているはずなのに、どうして世界中が巻き込まれるような戦争が起きてしまうんでしょうか。」

マヤ 「それは簡単な問題ではないのだけど、背景となった歴史を見ると、見えてくるものもあるのよね。これは、19世紀後半の世界の勢力図(画像)なんだけど、どんな時代だったか覚えている?」

早紀 「19世紀後半…、『帝国主義』の時代ですよね。
いち早く工業化を進めたイギリスがインドの直接統治を始めて、アフリカ大陸も南北に植民地化することでインドへのルートを盤石にしようとしていたころですよね。」

マヤ 「フランスの植民地も目立っているし、ロシアの領土はかなり広くなっているわよね。このころのフランス、ロシアはどんな感じだった?」

早紀 「フランスはイギリスに対抗していたけど、19世紀後半にビスマルクがドイツをひとつにまとめるための戦争、普仏戦争を起こして敗れましたよね。
ロシアは、冬でも凍らない港、不凍港を手に入れようと南下政策をとっていたけど、いつもすんでのところでイギリスやドイツに阻止されていましたよね。」

マヤ 「そうね。」

  • 1878年のヨーロッパ
  • イギリスの貿易ルートとロシアの南下政策

  • セルビア、ルーマニア、モンテネグロ
  • ボスニア・ヘルツェゴビナ

マヤ 「この地図は、まさにロシア帝国がオスマン帝国と戦って不凍港を手に入れたかと思った直後に、イギリス、オーストリアの反対にあって、ドイツの仲裁によるベルリン条約で決まった勢力図なの。覚えている?」

早紀 「ロシアはブルガリアを独立させて一度は地中海へのルートを確保しましたが、ベルリン条約でブルガリアの領土は3分の1に縮小されてしまって、結局は阻止されてしまったんですよね。」

マヤ 「イギリスは、このときロシアにインドへのルートを邪魔されることを恐れていたのよね。ここでひとつの対立があったわけ。
そしてこのとき、ロシアが支援したセルビア、ルーマニア、モンテネグロは独立を果たしたんだけれども、ボスニア・ヘルツェゴビナは、オーストリアがロシア帝国の拡大を恐れて統治下に置いたのよね。ここでもうひとつの対立。」

早紀 「これが世界大戦の原因になるんですか?」

マヤ 「ところが、そう単純でもないの。」

  • ドイツの行った外交政策

マヤ 「このあともドイツは戦争が起こらないように、いろいろな同盟を組んで、画策をしているの。
例えば、ドイツ、オーストリア、イタリアから成る『三国同盟』を結んで、フランスを孤立させたり、ロシアとも実は関係を築いてバランスを取ったりしていたのね。これはドイツのビスマルクが行った、『ビスマルク外交』と呼ばれているの。」

早紀 「うーん。すぐに戦争は起きなかったとしても、危ういバランスな気がしますよね。」

  • 世界政策における英独の対抗
  • 三国協商と三国同盟

ドイツでは、ビスマルクが辞任すると、皇帝ヴィルヘルム2世は外交方針を転換し、ロシアとの関係を断ち切ります。
するとロシアは、フランスと同盟し、関係を強化していきます。
イギリスは植民地政策として、カイロ、ケープタウン、カルカッタを結ぶ3C政策を推し進めていましたが、ベルリンから、イスタンブルとバグダードを結ぶ3B政策を進めるドイツと対立します。

ドイツの海軍力の増強に脅威を感じたイギリスは、フランスと「英仏協商」を締結。
それまで長く敵対してきた英仏関係は、急速に改善されました。
さらにイギリスとロシアの関係も好転します。
ロシアの東アジアへの進出に対しては日英同盟を結ぶなど牽制していましたが、日露戦争後ロシアがバルカン半島に進出して、オーストリア、ドイツと対立すると、イギリスはロシアと「英露協商」を結ぶことで、フランスを含めた「三国協商」が成立しました。

  • 山下範久先生

お話をうかがうのは、立命館大学教授の山下範久先生です。

早紀 「なぜドイツはロシアとの関係を断ち切ったんでしょうか?」

山下先生 「バルカン半島の情勢が関係しているんです。積極的な対外政策を取り始めたヴィルヘルム2世は、東方に進出するためにオーストリアと組んで、ロシアとの協調関係を維持しない方針をとることにしました。
なぜかというと、ロシアは汎スラヴ主義を掲げてバルカン諸国を支援し、オーストリアと対立していたからです。これによってバルカン半島での対立の構図が生じてきました。」

マヤ 「ドイツとロシアの関係の変化をきっかけに、フランスがロシアと組んだり、フランスと仲が悪かったイギリスもくっついたりして、イギリス、フランス、ロシア対ドイツ、オーストリア、イタリアという新たな対立も生まれていますよね。」

山下先生 「はい。そういう対立構造の中でバルカン半島はオスマン帝国の力が弱まって、さまざまな民族自立を求める動きが強まってきました。そこにドイツやロシアをはじめとする列強の思惑が絡み合って緊張が高まり、バルカン半島は『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれるようになります。」

第一次世界大戦の勃発
  • 同盟国と協商国
  • 日本はアジアにおけるドイツの植民地や租借地を攻撃・占領した

1914年6月、ボスニアの州都サライェボで事件が起きます。
サライェボを訪問中のオーストリア・ハンガリーの帝位継承者夫妻が、隣国のセルビア人の青年に暗殺されたのです。
オーストリアは、セルビアに対して過酷な要求をつきつけ、それが拒否されると、宣戦布告しました。
ロシアはこうしたオーストリアの動きに対抗して、総動員令を発令。
これを見てドイツは、ロシアに宣戦布告。
ロシアと同盟を組むフランスとも戦闘状態に入りました。
フランスと国境を接するベルギーは中立国でしたが、ここにドイツが侵攻したことから、さらにイギリスが中立国侵犯を理由に、ドイツに宣戦布告します。

こうして各国が次々と参戦していき、戦争はヨーロッパ全域に拡大。
世界を巻き込んだ大戦争へと発展しました。
日本は日英同盟を理由に、協商国側に加わり、アジアにおけるドイツの植民地や租借地を攻撃、占領しました。


早紀 「第一次世界大戦のきっかけとなったオーストリアの帝位継承者夫妻の暗殺事件ですが、
どうしてセルビアの青年はそんなことをしてしまったんですか?」

山下先生 「このころ、セルビアではすべてのセルビア人をまとめて統一国家を築こうというナショナリズムが高揚していました。セルビア人がたくさん住んでいるボスニア・ヘルツェゴビナをオーストリアが併合していることには強い不満があったんですね。そんな中で一部の過激な人々が暴走して、事件を起こしたんです。」

マヤ 「その暗殺という行為に対してオーストリアが抗議するのは当然だと思いますが、戦争を仕掛けるのは、ちょっとやり過ぎのような気もするんですが…。」

山下先生 「これにはオーストリアとドイツの誤算があったようです。オーストリアは、国力で圧倒できるセルビアとの二国間戦争で決着をつけたいところでした。ただ、セルビアの背後にはロシアがあり、オーストリアはロシアの介入を牽制するために、ドイツの支持を取り付けていました。支持を公言することでロシアの介入はないと考えていたものと思われます。」

マヤ 「でも、ロシアは参戦してきたんですね。」

山下先生 「はい。セルビアは譲歩したのですが、セルビアに対するオーストリアの姿勢が強硬すぎたんですね。そのために、ロシアは介入を差し控える選択肢を失ってしまいました。
ロシアが総動員令を出したため、ドイツはロシアに宣戦し、するとフランスは露仏同盟がありますので、それに従って動員を開始しました。ドイツはフランスにも宣戦することになります。
こうして地域紛争が大国間の戦争にエスカレートしてしまったわけです。」

早紀 「イギリスも出てきてしまったんですね。」

山下先生 「イギリスは参戦に消極的でしたが、列強間の衝突の結果、ドイツが強大化しすぎることは避ける必要がありました。ドイツによる中立国ベルギーへの侵攻は、イギリスが参戦を決める国内世論をまとめる口実になりました。」

マヤ 「そもそも戦争が起こらないように同盟を結んでいたと思うんですが、ひとつの戦闘が起こると、同盟を結んでいるからこそ連鎖的に戦争の参加国が増えていってしまったんですね。」

山下先生 「ただ、どの国も戦争に参加はしましたが、そんなに長引くとは思っていなかったんです。」

兵器の発達と総力戦
  • 塹壕戦
  • ウラジーミル・レーニン

第一次世界大戦は、参戦国の国民、工業生産力を総動員した「総力戦」となりました。
この戦争では、参戦国の予想をはるかに上回る砲弾が使われました。
また、大量に配備されたのが機関銃です。
戦場では、これまでの戦争とはけた違いの死傷者が出ました。
機関銃により戦線はこう着状態に陥り、両軍ともに穴を掘って隠れるという史上初の塹壕(ざんごう)戦がはじまります。

戦車が登場するのも、塹壕戦によるものでした。
最初は偵察用に導入された飛行機には、機関銃が取り付けられ、さらに爆弾を積むようになり新たな無差別攻撃の兵器となっていきました。

さらに戦場で初めて毒ガスが使われると、ついには、なりふり構わない化学兵器の開発競争にも突入していきます。

戦争が長期化し戦死者が増えていく一方で、労働力が不足するようになった軍需工場などに、女性たちも駆り出され、国民の総力をつぎこむ戦争になっていったのです。
植民地からも多数の兵士や労働者が動員されました。

各国は戦争の長期化に疲弊。
国民の不満が爆発したロシアでは1917年に革命が起こり、レーニンの指導のもとソヴィエト政権が誕生し、戦線を離脱します。

  • 無制限潜水艦作戦
  • 1918年ドイツ革命

そんな中、それまで中立を保ってきたアメリカ合衆国がドイツの無制限潜水艦作戦によって反ドイツの世論が高まると、“平和と民主主義、人権を守る”という大義を掲げて宣戦布告。
協商国側を軍事・経済の両面から支えるようになります。
アメリカの参戦により同盟国側の戦況は悪化。
ドイツでは1918年、国内で革命が起こり、ヴィルヘルム2世が退位してドイツ共和国が成立。
協商国と休戦協定が結ばれ、同盟国は敗戦しました。



マヤ 「今までの戦争と違うのは、工業力が発展していて、しかも国民がひとつにまとまることができるかが、勝敗を決めるポイントだったんですね。」

山下先生 「はい。工業化の遅れていたオスマン帝国やロシア帝国、そして多民族国家で国民統合が進んでいなかったオーストリア・ハンガリー帝国が敗れたのは、戦争のあり方が変わったことを示すとも言えると思います。」

マヤ 「さらにこの戦争では、植民地からも兵力や物資といったものが動員されて、世界中を巻き込んでいくんですね。」

山下先生 「はい。植民地以外の勢力の戦争協力を取り付けなくてはいけなくなって、そのためにいろんな矛盾が生じてきます。その中で最大の矛盾は、イギリスの『三枚舌外交』と呼ばれる対中東外交ですね。」

  • オスマン帝国の領土を分割する約束を秘密裏に結んでいた
  • アラブ人の独立を約束

  • 三か国で分割統治
  • ユダヤ人の民族的郷土の設定を約束

イギリスはオスマン帝国の領土を分割する約束を秘密裏に結んでいました。
まず、オスマン帝国の支配下で独立を目指していたアラブ人に対し、戦後、自分たちの国をつくることを認めました。
戦争協力を得たかったからです。

一方で、フランス、ロシアとは、オスマン帝国の領土を分割支配する秘密協定を結びます。
その協定では、アラブ人と約束した地域は全く考慮されていませんでした。
またユダヤ人とは、アラブ人が住むバレスチナに、ユダヤ人の民族的郷土を建設するという約束をし、資金面での戦争協力を求めました。

こうしたイギリスの三枚舌外交は、その後の中東を、混乱に陥れていくことになります。


早紀 「アラブ人やユダヤ人、双方にいい顔をして、両方をもてあそんだような結果になったんですね。」

山下先生 「この矛盾する条約が、今日も続いているパレスティナ問題の起源になったんです。」

マヤ 「第一次世界大戦は100年も前の戦争ですが、現在も解決できない問題を残しているんですね。」

  • パリ講和会議
  • 国際連盟

1919年、第一次世界大戦の戦後処理を話し合う「パリ講和会議」が開かれました。

この会議によって成立した新しい国際秩序を「ヴェルサイユ体制」といい、その要となる史上初の国際平和維持機構となる「国際連盟」が、アメリカ合衆国大統領「ウィルソン」の提案で成立しました。
しかし、ドイツとソヴィエトは除外され、アメリカ合衆国も参加しなかったため、国際平和維持機構としての基盤は十分なものとは言えませんでした。

アメリカの経済発展
  • ヨーロッパの経済復興に必要な資金の循環を支えた

第一次世界大戦の後、金融の世界の中心はイギリスからアメリカに移り、アメリカは世界経済をリードするようになっていきます。
アメリカは、戦勝国への賠償金に苦しむドイツに大規模な借款を提供することで、戦後のヨーロッパの経済復興に必要な資金の循環を支え、世界に対する影響力を強めていきます。
1920年代には工業力でも他を圧倒し、大量生産、大量消費の時代に突入していきます。


早紀 「アメリカが台頭することで、世界の勢力図は大きく変わったんですね。」

山下先生 「はい。勝者も敗者も甚大な被害に見舞われて、イギリスは、勝ちはしましたが経済的に相当な打撃を受けて力を失ってしまいました。負けたドイツに至っては、すべての植民地を失って、フランスやイギリスなどの連合国から巨額の賠償金を課されました。」

マヤ 「それまで世界の中心だったヨーロッパが没落したようにも見えるんですが、その後の世界はどんなふうに変わったんですか?」

山下先生 「ひとつは、『民族自決』という考え方が世界に広がったということだと思います。」

マヤ 「民族自決というのは、あらゆる民族が他から介入されることなく、自分たちのことは自分たちで決めることができるということですよね。

山下先生 「それが広がることで、植民地支配の正当性が揺らぎ始めます。そしてもうひとつは、ロシア革命を経て社会主義国家が成立したことです。社会主義の考え方が広がることで、新しい政治的な対立が生まれていくことにもなっていきます。」

鉄条網と第一次世界大戦
  • 有刺鉄線、鉄条網

マヤ 「19世紀のアメリカ西部開拓で、農場や牧場を囲い込む手段として普及し、それをきっかけに、さまざまな用途で使われるようになったのが、有刺鉄線やそれを網状にした『鉄条網』です。
その鉄条網が、第一次世界大戦では、塹壕のまわりに設置されました。鉄条網にからまって動けなくなった敵を、塹壕から機関銃で打ち、兵士たちの命を奪ったのです。
これに対抗して発明されたのが、鉄条網を踏みつぶして進む『戦車』でした。
鉄条網は、そのあとも対立や分断の象徴として、歴史の舞台に度々登場することになるんです。」


それでは次回もお楽しみに!

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