NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第29回

19世紀東アジアと帝国主義

  • 世界史監修:立教大学教授 上田 信
学習ポイント学習ポイント

19世紀東アジアと帝国主義

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • 伝統的な朝貢

東アジアでは19世紀に至るまで、中国の皇帝を頂点とした秩序が確立されていました。
そこでは、国と国との関係ではなく、中国の皇帝と周辺諸国の支配者との間の儀礼的な関係で、外交が行われていました。
しかし、欧米諸国が市場を求めて進出してくると、東アジアの秩序は大きな転換を余儀なくされます。

帝国主義に揺れる東アジアの歴史をひもといていきます。

  • クリッパー船の模型
  • 19世紀ロンドンの紅茶の屋台

マヤ 「この船は19世紀の前半、蒸気船が活躍する直前にイギリスと中国の間を往復していたクリッパー船という船なの。」

汰雅 「何を運んでいたんですか?」

マヤ 「中国から、お茶の葉が詰まった箱を何百個もイギリスへ運んでいたの。そのころ、イギリスでは紅茶を飲む習慣が普及して消費量が一気に増えたので、大量に速く運搬するために、こういう船が建造されていたのよ。」

汰雅 「イギリス人の紅茶好きは有名ですけど…。」

マヤ 「そうね。今では紅茶にお砂糖を入れるのは当たり前でしょ?でも当時はお砂糖を入れて飲むことが画期的で、それが18世紀末に上流階級の間で大流行したの。そして、このクリッパー船が活躍するころには、大量輸入されて安く手に入るようになったこともあって、一般の人たちにも広まったの。」

汰雅 「なるほど。紅茶が一般庶民の身近な物となるくらい大量に輸入されていたということは、相当、中国との貿易が盛んだったってことですよね。」

  • 貿易ができる港を広州1港に限定
  • 乾隆帝はイギリスの要求を拒否

18世紀末、中国の清朝では、イギリスとの貿易が活発になっていました。
イギリスで紅茶を飲む習慣が広がり、中国茶の需要が高まったためです。
当時、中国は皇帝を頂点とした「冊封(さくほう)体制」を敷き、周辺国の支配者からの貢ぎ物に対し、返礼品を授ける「朝貢」という儀礼的な外交関係を原則として、貿易を管理していました。
朝貢関係にはないイギリスなど西欧諸国に対しては、貿易ができる港を広州(こうしゅう)1港に限定していました。
そこでイギリスは、大使として「マカートニー」を皇帝「乾隆帝(けんりゅうてい)」のもとに派遣し、貿易条件の改善を求めました。
これを清は、伝統的な朝貢貿易の原則を守る立場から拒否します。

  • 銀がイギリスから中国に大量流出
  • 麻薬のアヘン

19世紀になり茶貿易が拡大していくと、イギリスの対中国の貿易赤字がふくらんでいきました。
急増する茶の輸入に対して、輸出品である毛織物は中国では需要がなく、また、産業革命によって生産される綿織物も中国の国産品に勝てなかったからです。
不均衡な貿易は、イギリスから中国へ、巨額の銀の流出を招きました。
そこで、注目されたのがインド産のアヘンでした。

アヘン戦争
  • 麻薬のアヘンは明の時代に広まったが清の時代に輸入禁止となった
  • アヘンの対価として今度は中国から銀が流出

アヘンは中国でも麻薬として知られ、清の時代には、その販売や吸引が禁じられていました。
しかし、イギリスは、中国の沿岸部の取り締まりが緩いことにつけ込み、アヘンの密輸をおこなうようになります。
産業革命が本格化してインドへの綿織物の輸出が増えると、アヘンの中国への密輸の量は急増しました。
アヘンの対価として銀が、今度は中国から流出し、清朝の体制をゆるがしかねない事態となりました。

  • 林則徐

また、アヘンの中毒者が蔓延し、大きな社会問題となっていきました。
清朝は特命大臣として、「林則徐(りんそくじょ)」を広州に派遣し、問題の解決を図ります。
林則徐は、イギリス商人からアヘンを没収し廃棄処分とするなど、強硬姿勢でのぞみました。
これに対して、イギリスは貿易条件を変更させる好機とみて、艦隊を派遣します。

1840年、こうして始まったのが「アヘン戦争」でした。

  • 上田信先生
  • 民間の商人が中国でアヘンを売り、銀を手に入れ紅茶を買い付ける

お話をうかがうのは、立教大学教授の上田信先生です。

汰雅 「紅茶のために、イギリスはアヘンを密輸していたということですが、罪深くないですか?」

上田先生 「そうですね。正確に言うと、イギリス政府とは直接関わらない民間の商人がインド産アヘンを中国に運び、その商人はアヘンを中国で売って、そこで銀を手に入れる。その銀で紅茶を買い付けてイギリス本国に輸出した、ということになります。」

マヤ 「イギリス政府がやっていたわけではないんですね。」

汰雅 「でも、イギリス政府は、軍隊を出して戦争までしていますよね。」

上田先生 「そうですね。イギリス政府としては、中国に自由貿易を認めさせたいというのが本心だったんですね。しかし、イギリス国内でもアヘンの取引は倫理上、問題があるという意見も非常に強くて、国会でもアヘンを口実にして戦争を始めることには、強い反対がありました。」

マヤ 「そういった倫理的な問題があるとわかりながらも、結局は自国の利益を優先したということになるんですか?」

上田先生 「はい。このアヘン戦争は、アジアの近代化という側面からみると、中国が世界と新たな関係を築くという上では、大きなターニングポイントにもなりました。」

アジアにおける「外交」の始まり
  • 5港の開港、香港島をイギリスに割譲など
  • 不平等条約

アヘン戦争で、清は軍事技術と戦術面で優れていたイギリスに敗れ、その要求に応じることになります。
その結果、1842年、清とイギリスとの間で結ばれたのが「南京(なんきん)条約」です。
この条約で、清は広州を含む5つの港を開港し、香港島をイギリスに譲りました。
翌年には、領事裁判権を認めるなど、清にとって不平等な内容となる条約でした。
その後、アメリカとフランスとも同様の不平等な条件で、条約を締結することになります。
しかしイギリスは、中国の市場開放がまだ足りないと考えていました。
中国向けの綿製品などの輸出が伸びず、さらなる自由貿易の実現を目指します。

  • 天津条約・北京条約

イギリスは、フランスに呼びかけて、清との間に「アロー戦争(第2次アヘン戦争)」を起こしました。
清は、この戦争に再び敗れると、賠償金の支払いに加えて、東北、華北、長江沿いの新たな港の開港を認めました。
また、条約によりアヘンの輸入も合法化されました。
そんな中、清では、軍備の近代化や産業の育成をはかる「洋務運動」が進められます。
しかし、清朝の体制のもとでは、ヨーロッパの技術の導入には反発もあり、その試みは、すぐには結果に結びつきませんでした。

  • 1853年ペリー来航
  • 日米修好通商条約

同じころ、日本の徳川幕府は、アヘン戦争で敗北した清の状況を伝え聞き、欧米諸国の圧力を感じていました。
1853年、アメリカのペリー来航をきっかけに日米和親条約、そして欧米諸国と修好通商条約を締結します。
幕府が結んだこれらの条約も、神奈川、兵庫などの開港や、領事裁判権を認め、関税自主権のない、不平等条約でした。

  • 琉球王国を沖縄県として日本に統合

そこで、1868年に成立した明治新政府は、欧米諸国に対し、幕府が問題視しなかった不平等条約の是正に取り組むとともに、欧米にならった近代国家の建設を目指します。
1871年には、清と西洋式の条約にもとづく外交関係を築くため、日清修好条規を結びました。
その後、日本は関係の深かった琉球王国に対し、清への朝貢を断絶させ、沖縄県として日本に統合しました。

  • 関税自主権
  • 一律5%に切り下げられた

汰雅 「中国と日本は、欧米諸国と不平等条約を結ばされてしまうんですね。」

上田先生 「そうですね。その背景には産業革命による近代化、工業化などによる力の差が大きかったと思います。
ただ、ここで注目したいのは、東アジア、特に中国の外交という点です。中国はアヘン戦争に負けたことで、『条約を結ぶ』ことになります。これは東アジアの世界にとって画期的でした。」

汰雅 「条約を結ぶことの何が画期的なんですか?歴史的には頻繁にある出来事だと思うんですけど…。」

上田先生 「条約という考え方が、もともと東アジアにはなかったんです。条約というのは国と国との間の取り決めです。それまで中国の皇帝と周辺国の君主、支配者との間で結ばれていた関係、その人間的な関係から、条約を結ぶことで国と国との関係というものになり、本格的な外交の時代に突入したわけです。」

汰雅 「でも、その本格的な外交の始まりが、不平等条約になるんですね。」

上田先生 「はい。不平等といわれる理由の主なものとして、外国人の犯罪を自国で裁くことができない領事裁判権を認めたこと、そして関税自主権がないことが挙げられます。」

汰雅 「関税って、外国から商品を輸入する際に、その商品に税をかけることですよね。」

マヤ 「そうね。輸入品に一定の税率をかけて、自国産業を保護したり、税収を得る目的があったりするのよね。そういう関税を自国だけで定めることができる権利が、関税自主権。」

上田先生 「でも、それがないというのは、貿易をする相手国の承認なしには関税を改定できないということなんですね。実際、清、そして日本は、この関税自主権がなかったということになります。
日本の場合ですが、条約を締結した当初は、輸入品には関税が原則20%と決められていたのですが、その後イギリスやフランスから引き下げ要求があって、一律5%に切り下げられました。」

汰雅 「5%は低いといって税率を上げたくても、関税自主権がないから相手国の承認がないと上げられないってことですよね。」

マヤ 「ただ、交渉しようにも軍事的・政治的に相手国の方が上回っていると難しいですよね。」

上田先生 「相手国の要望通りにせざるを得ない、ということになってしまいますね。日本の場合ですが、海外の安価な綿製品が大量に流入してきて、国内の綿織物産業などが大打撃を受け、経済的に大きな損失を被るということになりました。」

帝国主義と東アジア
  • 鉄道の敷設
  • 帝国主義

19世紀後半、鉄鋼などの重工業が発展したイギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国は、アジアやアフリカに鉄道を敷き、工場を建設しました。
こうした資産を守るために、武力によって植民地を維持し、拡大しようとする「帝国主義」の時代になっていきます。
帝国主義は、東アジアにも新たな動きをもたらしました。

  • 清の朝貢国は失われていった

清は、朝貢国ベトナムの支配権をめぐりフランスと戦います。
その後 結ばれた条約によって、ベトナムはフランス領とされるなど、清の朝貢国は失われていきました。

  • 朝鮮半島で日本の軍艦が攻撃を受けた
  • 日朝修好条規

日本も、欧米列強に対抗し、東アジアでの勢力の拡大をはかります。
1875年、朝鮮半島で日本の軍艦が攻撃を受けた事件をきっかけに、翌年、日本は朝鮮と「日朝修好条規」を締結。
この条約は、釜山(プサン)など3港を開港し、日本側の領事裁判権を認める、朝鮮にとって不平等な条約でした。
朝鮮への影響力を強める日本の動きをけん制しようと、清は日本との対立を深めていきます。

  • 大規模な農民蜂起
  • 下関条約

1894年、朝鮮南部で大規模な農民反乱が起きました。
その鎮圧に苦しんだ朝鮮政府は、清に援軍の派遣を要請します。
この動きに対抗して、日本も朝鮮に軍隊を送りました。
この反乱は朝鮮政府によっておさめられますが、日本と清、両国の緊張はさらに高まり、「日清戦争」が勃発。
日本は、清の主要艦隊を壊滅させ、戦いに勝利します。
翌年に調印された「下関条約」で、清は日本に台湾などを割譲、多額の賠償金を支払うことが定められました。
この条約では、朝鮮を独立国とすることも決まり、朝貢・冊封(さくほう)に基づく中国を頂点とした東アジアの秩序は完全に消滅しました。

  • ポーツマス条約

清の敗北は、南下政策を進めるロシアが、中国東北部や朝鮮半島への影響力を強めていくことにもなりました。
これを脅威に感じた日本は、1904年、ロシアに宣戦布告。
「日露戦争」が起きます。
日本は戦いを有利に進めながらも国力を使い果たし、ロシアは国内の革命運動によって、戦争の続行が難しくなります。
翌年、アメリカの仲介による講和会議で、日本はかろうじて勝利を得ました。

  • 当時の列強同士の関係

マヤ 「中国が日清戦争で日本に負けたことで、東アジアの秩序が崩壊したわけですよね。これは、東アジアにどんな影響をもたらしたのでしょうか?」

上田先生 「日清戦争の勝利で得た多額の賠償金で、日本は重工業を興します。また下関条約で、日本は中国国内で工場を建てる権利を獲得するのですが、その権利は他の欧米列強諸国にもほぼ自動的に認められ、欧米諸国が中国の分割に乗り出すきっかけになります。東アジアに帝国主義を呼び込み、新たな緊張関係を生み出したということも言えるわけです。」

汰雅 「そして、清の弱体化が露呈したことで、ロシアは朝鮮半島まで迫ってきたわけですよね。」

上田先生 「そして日露戦争が起きるということになります。ただ、この日露戦争は単に日本とロシアとの間の戦争というわけではないんです。こちらの地図(画像)を見てください。当時の列強同士の関係は、フランスとドイツがそれぞれの中国における利権を守るということでロシア側に、そしてイギリスはロシアの南下政策を食い止めるということで日本側について、欧米列強のさまざまな思惑がからんだ戦争だったわけです。
こうした点から、近年は日露戦争を『第0次世界大戦』とする見解も出されています。
このあと、日露戦争に負けたロシアは東アジアへの進出を断念し、バルカン方面へと進出を強めていきます。日本は、アジアへと進出していくことになります。」

紅茶と世界史
  • アフタヌーンティ

マヤ 「すてきなスタンドが手に入ったから、イギリス風のアフタヌーンティーをやってみたかったの。」

汰雅 「アフタヌーンティーって、アフタヌーンっていうくらいですから、午後に飲むお茶っていう意味ですよね?」

マヤ 「そうよ。19世紀の半ば、イギリスの上流階級の女性が始めた習慣と言われているの。」

汰雅 「遠く離れたところから運ばれてきた紅茶を飲みながら、地球の裏側で何が起きていたかなんて、多くの人は想像できなかったでしょうね。」

マヤ 「そうね。でも、今だってそういうことがあるかもね。」

汰雅 「歴史は身近なところにあるってことですね。」


それでは次回もお楽しみに!

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