NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第27回

アメリカ合衆国の発展

  • 世界史監修:東京大学教授 中野耕太郎
学習ポイント学習ポイント

アメリカ合衆国の発展

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • アメリカ合衆国

国際社会で大きな存在感を示し続けている“超大国”アメリカ合衆国。
例えば、2008年のリーマンショックなど、アメリカの景気の好不況は世界経済に大きな影響を与えます。
そんなアメリカがイギリスからの独立を達成したのは、1783年のこと。
それからわずか200年余りという比較的若い国でありながら、これだけの力を持つようになったのは、なぜでしょうか?

19世紀のアメリカ合衆国が歩んだ道をたどりながら、その発展の様子を見ていきましょう。

  • ジーンズ

倉庫から、ジーンズを見つけてきた汰雅さん。

マヤ 「ジーンズは、古いもの、100年くらい前のヴィンテージだと、数十万から数百万の価値になることもあるの。だから、ちょっと集め始めたんだけど、なかなかね…。」

汰雅 「100年でそんなになるってことは、300年とか500年とかだったら、もっとすごいお金になるんじゃないですか?」

マヤ 「いやいや、あるわけないでしょ、汰雅さん。ジーンズは、アメリカ合衆国で生まれたの。」

汰雅 「あ、そうか。アメリカ合衆国は、18世紀末に独立したんでしたっけ?だから国としての歴史が200年くらいだから、500年前のジーンズっていうのはありえないですもんね。」

マヤ 「そう、ありえないわけね。アメリカは、19世紀に大きく発展していくんだけど、その中で、こういったジーンズも発明されたの。」

  • パリ条約
  • 先住民

1776年、アメリカがイギリスからの独立を宣言した当時の領土は、北米大陸中央の東岸沿いの地域だけでした。
イギリスとの独立戦争に勝利し、1783年に結んだパリ条約で、ミシシッピ川にいたるまでの地域を獲得します。
しかし、この地域には、独立戦争の際、イギリスと同盟した先住民も住んでいました(画像・右)。
アメリカ合衆国の人々は、先住民を制圧しながら西へと勢力を広げていきます。

  • ルイジアナ

特に、気候が温暖な南部は、タバコや綿花などの大規模プランテーション農業で栄え、ミシシッピ川を越えた地域への進出にも関心が高まります。
そこは、フランスの植民地で、ルイジアナと呼ばれていました。

そのフランスは、当時ナポレオン戦争の真っ只中にありました。
ナポレオンは、ルイジアナの植民地経営がなかなかうまくいかないこと、敵対するイギリスがカナダから攻め込んできた場合、防衛することが難しいことなどから、むしろアメリカ合衆国に売却し、その利益を戦争の費用にあてることを選びました。

1803年、ルイジアナ購入によって国土が倍増したアメリカ合衆国の人々は、さまざまな困難に打ち勝って西部に土地を開拓していきます。
開拓者たちの旺盛な意欲と行動力、前人未到の地に踏み込むことを恐れない勇気などは「フロンティア・スピリット」と呼ばれ、この精神は、アメリカ合衆国の人々が、今もとても大切にしているものです。

  • 広大な領土を持つようになる
  • ジェームズ・モンロー

その後、1819年にフロリダをスペインから購入。
1840年代にはテキサス、オレゴン、カリフォルニアを次々と獲得し、太平洋岸に至る広大な領土を持つようになります。
その際打ち出した考えは、「モンロー主義」と呼ばれます。
アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国に干渉しないが、同時にアメリカ大陸全域に対するヨーロッパ諸国の干渉にも反対する、というものです。
モンロー主義を掲げることで、北米大陸における領土拡大だけでなく、19世紀前半に次々と独立を達成したラテンアメリカ諸国への影響力を強めようとする狙いもありました。
このころ、アメリカ合衆国が西部開拓を進めることは、神から与えられた“明白な天命=マニフェスト・デスティニー”であるという考えも生まれています。

  • ゴールド・ラッシュ
  • 金属製のリベットで補強した

1848年には、カリフォルニアで発見されたあるものによって、西部開拓に拍車がかかります。
金鉱です。
1年で10万人もの人が西部に移住し、「ゴールド・ラッシュ」と呼ばれました。
このゴールド・ラッシュの中で生まれたのがジーンズ。
金鉱で働く人々の「破れにくい作業着が欲しい」という要望に応えて作られたものでした。
その特徴は、船の帆やテントなどに使われた丈夫な木綿の布を使ったことと、縫い目がほつれないように金属製のリベットで補強したことでした(画像・右)。

西部開拓と先住民の苦悩
  • 中野耕太郎先生

お話をうかがうのは、東京大学教授の中野耕太郎先生です。

マヤ 「西部開拓は、“マニフェスト・デスティニー=明白な天命”ということでしたけれども、元々その地域に住んでいる先住民の立場からすると、勝手に天命だと言って入って来られるのは一方的ですよね。」

中野先生 「そうですね。独立当初、アメリカの白人にとっては、部族で暮らす先住民の多くは合衆国の領土の中に住んでいるんだけれども、国民社会の外部にある他者にすぎませんでした。
しかも、独立戦争の時も、そのあと1812年に起こったイギリスとの米英戦争の時も、多くの先住民はイギリス側に立って戦っています。そのことから、アメリカ人とは敵対する関係になってしまいます。」

  • ジョン・ガスト「アメリカの進歩」
  • コロンビア

マヤ 「こちらにあるのが、そのマニフェスト・デスティニーを現した絵ということですけれど、ここに先住民も描かれているんですよね。」

中野先生 「この絵は、アメリカの東部の文明を未開の荒野である西部に広げていこうという、イメージですね。絵の中央に見えるのが、アメリカという国が擬人化されたコロンビアです。
手には学校の教科書と電信、電報用のワイヤーを持っているのが分かります。」

  • 入植者や開拓農民が西に向かう様子
  • 先住民が追い立てられていく様子

中野先生 「コロンビアに導かれるように入植者、開拓農民も、まだ薄暗い西に向かって進んで行っているのが分かると思います(画像・左)。西の方には先住民が追い立てられていく様子も描かれていて(画像・右)、無視することはできないですね。
1830年代は、アメリカ史の中では白人男性の間に普通選挙が広がる、民主主義が台頭してくる時代と言われるんですけれども、この同じ時期に、実は非常に過酷な先住民の征服・討伐戦のようなものが、繰り広げられてもいます。」

  • 強制移住政策
  • 綿花地帯

中野先生 「また、後に『涙の道』とも呼ばれるようになる強制移住政策が行われます。ジョージアやアラバマに住んでいた先住民の部族を、まるごとミシシッピ川の西側の荒野に移住させてしまう(画像・左)という政策です。」

マヤ 「かなりの距離を、歩いて移動させるということですか?」

中野先生 「そうですね。この先住民たちを追い出したあとの土地が非常に肥沃(ひよく)な土地で、南部の綿花地帯として、このあと開発が進められていきます。
このようなアメリカ政府が行った対先住民政策は、彼らの伝統的な暮らし方を破壊していくもので、一説では、ヨーロッパ人が来る前には北米に500万人もの先住民がいたと言われていますけれども、1860年ころには30万人まで減少してしまっています。アメリカの西部への膨張の、非常に過酷な一面がうかがえるんじゃないかと思います。」

汰雅 「こういうのを聞くと、歴史って、いろんな立場から見て考えないとだめなんだなって思いますね。」

中野先生 「そうですね。アメリカ合衆国が発展していく陰で、虐げられた人々がいたということが分かります。この先住民だけではなくて、この時期に急拡大していく綿花のプランテーションで働かされた黒人奴隷の存在も、忘れることはできないと思います。」

南北戦争 奴隷制と統合をめぐる戦い
  • アメリカ北部と南部
  • 南部は大規模プランテーション農業

  • 北部は商工業
  • 貿易面でも対立

独立以来、アメリカ合衆国内では、北部と南部で基幹産業に違いがありました。
気候の温暖な南部では、タバコや綿花などの大規模プランテーション農業が広がり、その労働力として黒人奴隷がなくてはならないものでした。
一方、北部では、自由身分の労働者による商工業が発達していきます。
そして、18世紀末から19世紀初めにかけて、ヨーロッパで起こった奴隷制を廃止する動きに同調し、北部は奴隷制度の拡大に反対する立場を取っていました。
南北の主張は、貿易についても対立します。
ヨーロッパの工業国に原材料を輸出していた南部では、自由貿易が支持されていました。
しかし、イギリスなどの工業製品と競争する立場の北部は、関税などによって制限をかける保護貿易を求めていたのです。

  • エイブラハム・リンカン
  • アメリカ連合国

南北の対立が深まる中、1860年、奴隷制に反対する立場をとる「リンカン」が大統領選挙に勝利すると、南部が反発し、合衆国から分離独立して「アメリカ連合国」を樹立することを宣言。
これを認めない北部と戦闘状態になりました。
「南北戦争」です。
兵力では北部が勝っていましたが、南部には優秀な将軍がおり、またイギリスやフランスなどが南部を支持する態度を示したこともあって、戦争は長期化。
多くの犠牲者を出しました。

  • 奴隷解放宣言
  • 1865年、南軍のリー将軍が降伏

1863年、戦局を打開するため、リンカンは「奴隷解放宣言」を発表します。
これによって、奴隷制度の継続を掲げる南部が国際社会から孤立することとなりました。
7月、南北戦争最大の戦闘となった「ゲティスバーグの戦い」で主導権を握り、北部が優勢になっていきます。
その後、1865年に南部が降伏し、南北戦争は終結しました。
アメリカ合衆国の分裂は回避され、黒人奴隷制度も廃止されたのです。
しかし、黒人に対する差別は、南部を中心にその後も根強く残っていきます。

中野先生 「奴隷から解放されても、黒人は経済的に自立することが難しくて、本当の意味で自由になったとは言い難かったんです。彼らは土地や財産も持たず、貧しい小作農として、依然として綿花畑で働き続けなければならなかったわけです。
また、時代が進むにつれて、特に南部では黒人から選挙権を剥奪したり、人種隔離政策といった奴隷制時代とは異なった新しい人種差別も次々と生まれてきました。
そうした差別の多くは、州の法律や自治体の条例で定められたもので、最高裁判所もこれを承認する判決を出したりしています。」

マヤ 「アメリカ合衆国が2つに分かれてしまうかもしれない大きな危機だった南北戦争ですが、そのあとアメリカがひとつにまとまるようになったんですか?」

中野先生 「そうですね。建国以来、アメリカという国は中央政府に対して各州の独立性というのが、かなり高かったと思います。それが、南北戦争を経て国家の統一が維持され、中央政府の権限が強化されていきます。例えば、合衆国政府は通貨を発行する権限を獲得しますし、一部税金を課すこともできるようになります。
また、それまではアメリカ人の市民権は州ごとに与えられていたものなんですが、南北戦争後に合衆国市民権という規定が表れてきます。国全体でひとつの国籍として機能するようなものになり、名実ともにアメリカ合衆国が国民国家になったことをよく示すものになったと思います。」

飛躍的な産業発展へ
  • 大陸横断鉄道が1869年に開通
  • ライト兄弟による飛行機開発

南北戦争で北部が勝利したことは、アメリカの経済にも変化をもたらしました。
工業に力を入れた国づくりが明確になったのです。
広大な国土と豊富な資源に恵まれていたアメリカは、1860〜70年代に、本格的な産業革命を迎えました。
南北戦争中、既に建設が始まっていた大陸横断鉄道は、1869年に開通。
西部開拓を促進したほか、国内資源の開発や市場の拡大など、産業革命を強力に推し進める原動力となりました。

また、北部が主張していた保護貿易政策をとったことも、国内産業の成長に大きく影響しました。
19世紀の終わりには、イギリスを抜いて世界第1位の工業生産力を持つまでになります。
ニューヨークやシカゴ、ロス・アンジェルスなどの大都市も出現しました。

エジソンによる白熱電球や蓄音機、ベルによる電話機の発明、さらにはライト兄弟による飛行機開発(画像・右)などもこの頃のことです。
産業の発展の中から生まれたこうした発明品は、その後の社会を大きく変えていきました。
その反面、金銭的利益の追及が優先される風潮が強まり、皮肉を込めて“金ぴか時代”と呼ばれることもあります。

汰雅 「アメリカ合衆国は、独立からわずか100年で、世界一の工業国へと一気に駆け上がっていったんですね。」

中野先生 「そうですね。20世紀になっても、アメリカの躍進は止まりません。特に、二度の世界大戦を経て、国際政治をリードする超大国になっていきます。」

マヤ 「アメリカ合衆国が超大国になれたのは、経済発展以外にも理由があるんでしょうか?」

中野先生 「私の考えなんですが、アメリカという国が持つある種の普遍性とも関わると思います。
たしかに、アメリカ合衆国は13のイギリス植民地から誕生した国ですが、特定の民族のみで構成される国民国家ではありません。もちろん、国内には複雑な民族差別や人種主義もあるのですが、少なくとも建前としては、この国のナショナリズムは、自由と平等の建国の理念に賛同する全世界の人々に開かれていまして、実に多様な移民たちによってこの国がつくられてきた歴史があるのです。」

マヤ 「いろいろな人種がいることがアメリカ合衆国の強みである反面、差別問題など依然として課題もありますよね。」

中野先生 「そうですね。現在は、そこにヒスパニック系の移民の問題、あるいはアジア系の移民も増えています。アメリカの民族問題、人種問題というのは非常に複雑化しています。
社会の公正や平等を目指す努力というのは、今後も続けられていかなければならないなと思っています。」

南北戦争の終結と銃の輸出
  • 南北戦争で使用された銃は日本にも輸出された

マヤ 「アメリカ合衆国の南北戦争が終わったのは、1865年。この戦いが終わると、このような銃は必要なくなり、国外に売られていきました。
そして、その一部は、幕末の日本に輸入されました。1868年に起きた戊辰戦争では、幕府軍にも新政府軍にも、アメリカの南北戦争で使われていた銃が配備されていたそうです。
さまざまなモノやコトのつながりを地球規模でとらえようという試みがグローバルヒストリーなんですが、戦争の道具はつながってもらいたくないですね…。」


それでは次回もお楽しみに!

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