NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第25回

産業革命と社会問題

  • 世界史監修:立命館大学教授 山下範久
学習ポイント学習ポイント

産業革命と社会問題

  • 野呂汰雅さんと政井マヤさん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • 産業革命

18世紀後半、イギリスで起こった「産業革命」
産業革命とは、この時代、生産活動の中心が「農業」から「工業」へ移ったことで生じた社会の大きな変化のことをいいます。
産業革命を支えたのは、さまざまな技術革新でした。
機械化によって生産性が一気に向上したのです。
一方で、急速な工業化は新たな社会問題も生み出しました。
都市での大気汚染の発生、貧困層の増大などです。

産業革命が、その後の世界にもたらしたものについて、見ていきます。

  • ビッグ・ベン

マヤ 「ロンドンのシンボルのひとつ、ビッグ・ベンという愛称で親しまれている時計塔。この大時計がロンドンに設置されたのは1859年のことなの。それまでは農家の人とか職人さんは、太陽の動きを見て仕事の時間を決めたりしていたんだけど、こういった時計が街にできるようになって、人々は時間に追われる生活になったんだな、と。」

汰雅 「このころには、街の人は細かい時間というのを気にして生活するようになっていったってことですか?」

マヤ 「そう。人々の働き方を変える出来事が、イギリスで当時起こっていたの。」

産業革命と大量生産時代
  • 綿花

イギリスで始まった産業革命には、どんな背景があるのでしょうか?
イギリスでインドから輸入する綿織物が大流行するようになると、これに毛織物業者が猛反発します。
イギリス議会は毛織物産業の保護のためにインドからの綿織物の輸入を禁止する法律を制定しました。
これをきっかけに、原料である綿花を輸入し、イギリス国内で綿織物を生産しようという動きが起こります。
しかし国内生産では労働コストが高く、利益を出すには効率化が求められました。
特に糸をつむぐ作業は機械化が難しく、大量生産が可能な紡績機(ぼうせきき)の開発が課題となっていました。

  • ジェニー紡績機
  • 水力紡績機

18世紀後半になって、相次いで紡績機が発明されます。
最初に作られたジェニー紡績機により、一度に8本の糸をつむぐことができるようになりました。
ジェニー紡績機は手動でしたが、次に発明された水力紡績機は水車を動力とし、糸の生産力は飛躍的に高まりました。

  • ワットが実用化した蒸気機関
  • 力織機

また、布を織る織機(しょっき)でも技術革新が進みました。
ここで産業革命を大きく前進させる技術が登場します。
「ワット」が実用化した「蒸気機関」です。
蒸気機関を利用した「力織機(りきしょっき)」の発明により、従来の機械の3.5倍の能率で布を織れるようになったのです。

  • スティーヴンソンにより、蒸気機関車が初めて実用化
  • 石炭業と鉄鋼業も発展

蒸気機関はまた、あらゆる産業に利用されるようになります。
1825年、「スティーヴンソン」により、蒸気機関車が初めて実用化されました。
平均時速は18キロ。
38両の貨車に600人の乗客を乗せて、走らせることに成功したのです。
また工業化が進むと、木炭に変わって燃料となった石炭を産出する石炭業、鉄を生産する鉄鋼業も発展しました。
産業革命によって、工業中心の時代が始まったのです。

  • 山下範久先生

お話をうかがうのは、立命館大学教授の山下範久先生です。

山下先生 「綿織物、つまりコットンの衣類は、例えば私たちにはジーンズとかTシャツでもお馴染みですよね。肌ざわりがいいですし、それに色鮮やかに染めることができるので、ファッションの点でも優れていたわけです。だから人々の間に広まったんですね。」

マヤ 「私も今日、綿のものを着てるわけですけれど、綿がなかった時って何を着てたんですか?」

山下 「まず毛織物ですよね。身分が高い人たちはもちろん絹を使ったりしますし、庶民では麻のようなものを使っていることもあったと思います。」

マヤ 「使いやすい綿が入ってきたっていうことで大流行になったんですね。ところで機械の改良や発明など、次々と起こった産業革命ですけれども、もっとも重要な技術革新というのは何だったんですか?」

山下先生 「それは何といっても『蒸気機関』だと思います。それまで動力というと水車のように水力を使うとか、あと馬とか牛のような動物の力を使っていたわけですけれども、石炭を燃やして水を沸騰させて、蒸気の力で機械を動かす仕組みというのは、革命的な出来事だったわけですね。イギリスで産業革命が起きて発展した背景には、もちろんこうした技術的な発明もあったわけですけれども、ほかにも理由があったんです。」

汰雅 「イギリスは17世紀になると、海外貿易で主導権を握り始めましたよね。だから、やっぱり貿易の関係とかもあるんですか?」

山下先生 「イギリスには工業化を進める上で必要な資金ですね。工業化するってことは工場を建てるってことです。工場を建てるにも、機械を買うにも元手になるお金がいりますよね。そういった資金を、海外との貿易ですでに潤沢に蓄えていたんですね。ほかにも社会的な条件が重なって、イギリスで最初の工業化が進みました。」

  • マンチェスター
  • リヴァプール

イギリス中西部の町マンチェスター。
産業革命はこの町から起こりました。
マンチェスターはもともと小さな農村でしたが、産業革命に必要な条件がそろっていたのです。
ここでは17世紀には綿織物がつくられ、1780年代、いち早く蒸気機関を取り入れました。
また、燃料となる石炭が近くで採れたことが、工業化を推し進めました。
そしてマンチェスターが急速に発展した理由には、町の立地条件がありました。
イギリス最大の港リヴァプールに近く、アメリカ産の安くて良質な綿花を大量に仕入れることができたのです。

一方、そのころイギリスでは農業改革が進み、農作物の生産量が飛躍的に増えました。
それによって人口が急増。
人々が都市に流れ込み、工場労働者となっていきました。

マンチェスターをはじめイギリス各地に工業都市ができあがっていったのです。

  • イギリスの人口の変化
  • ドレが描いた1870年代のロンドン

マヤ 「このグラフ(画像・左)は、産業革命前後でイギリスの人口がどれだけ増えたか、というグラフです。」

山下先生 「18世紀を通じて、地主が農場経営を大規模化していきます。大規模化すると効率化され、農業生産が増える。農業生産が増えたことで人口が増え、都市で労働者になれる人が増えます。これが一つ目から二つ目への変化です。
そうやって産業革命が起こって工業化が進むと、社会が豊かになる。急激に社会が発展して、人口が増えた結果として、1801年から80年後、1881年にはこれほどまで人口が増えたわけですね。」

マヤ 「200年近くで5倍近く人口が増えて、しかも都市に占める人口の割合がものすごく高くなっていますね。それだけ人口が急激に増えると、生活の変化というのも激しかったでしょうね。」

山下先生 「そうなんです。こちらのフリップ(画像・右)をご覧いただきたいのですが、これはフランス人のドレという画家が描いた、1870年頃のロンドンの街の様子です。大勢の人々でごったがえしていますよね。これはロンドンの朝の、今でいうラッシュアワーを描いたものなんです。ロンドンにもたくさんの工場がありましたから、始業時間に間に合うように大勢の人が一度に出勤して、こういう状態になっているということですね。」

汰雅 「今まで習ってきた世界史で見た光景とはまた違って、今の生活に近いように、急激に変わった感じがします。」

山下先生 「近代の都市の光景がまさにこの時代に生まれてきたということですね。ここはシティ・オブ・ロンドンで、ロンドンの中心地です。この近くにイングランド銀行、イギリスの中央銀行がもうありました。工場労働者だけではなく、ありとあらゆる人がここで集まって仕事をしていたということです。」

  • 時計台も二つ描かれている

マヤ 「時計台も二つ描かれていますよね。フランス人だったドレにとって、まだフランスでは産業革命が起こってないわけですよね。こうした情景は驚きをもって描いたんだと思うんですが、ほかにドレはどんな絵を描いているんですか?」

  • 都市公園・ハイドパーク
  • 地下鉄
  • 労働者が暮らすスラム

山下先生 「ドレはロンドンの街を年中歩き回って、さまざまな絵を描いています。このころロンドンには、ハイドパークのような都市公園(画像・左)が人々に開放されるようになっています。あとは動物園や博物館、19世紀のだいぶ後ろの方になってくると地下鉄(画像・中)などもできています。
ただその一方で、大気汚染や河川の汚染、そういった公害も起こっています。路上生活をする子どもたち、ストリートチルドレン。あと、スラム(画像・右)ですね。都市におけるさまざまな社会問題も、この時代のイギリスで始まっています。」

社会問題の発生
  • 不衛生でコレラなどの病気がまん延した
  • 女性や子どもが低賃金で長時間働かされた

産業革命によって急速に人口が増えたロンドンなどの都市では、大気や水の汚染が深刻化し、また上下水道がない労働者の住宅では、たびたびコレラなどの病気がまん延しました。

工場では、女性や子どもが低賃金で長時間働かされました。
機械化によって単純な労働が多くなり、必ずしも熟練した労働者が必要とされなくなったからです。
劣悪な環境のなか、子どもが一日20時間近く働かされることもあったといいます。
9歳未満の子どもの労働を禁止する法律ができたのが、1819年のことでした。
労働者の保護を目的とした「工場法」は、その後も改正が重ねられましたが、最終的に子どもの労働そのものを禁止することにはなりませんでした。
都市の労働者は貧しさから栄養状態も悪く、平均寿命が20歳に満たなかったという記録もあります。
病気などで仕事を失うと、路上生活者となる者も少なくありませんでした。

  • ロバート・オーウェン
  • オーウェンが経営した紡績工場

そんな中、労働者の生活の改善に乗り出した実業家が、「ロバート・オーウェン」です。
スコットランドのニューラナークに、オーウェンが経営した紡績工場が残されています(画像・右)。
ここでオーウェンは労働者の理想的な社会をつくろうとしました。
労働時間を1日10時間に短縮し、労働者のための清潔なアパートを建てました。
またオーウェンはここに幼稚園と小学校をつくりました。
教育の充実は過酷な労働に苦しむ人々を減らせると考えたのです。
こうしたオーウェンの試みは、その後の社会主義の思想に影響を与えました。

  • 炭坑で働く子ども

汰雅 「子どもが結構な長時間働かされるっていうのは、ひどい時代だったんですね。」

山下先生 「そうですね。例えば農村で薪割りとか水くみとか、近代以前の社会において子どもが労働に参加すること自体は、決して珍しいことではなかったのですが、都市の工場において労働者として使用されるというのは、それとはまったく違う次元の過酷さがあるわけです。ほかにも炭鉱の狭い坑道の仕事とか、子どもにしかでしかできない仕事もあって、子どもが特に酷使される状況があったわけです。そこで、さすがにそれではまずいということで制定されたのが工場法だということになります。」

汰雅 「でも、工場法だけでは子どもを守るということはできなかったんですか?」

山下先生 「はい。工場法というのは年齢制限とか労働時間の制限とか、労働環境を改善するものでしかないわけですね。子どもの労働そのものを禁ずる法律ではなかったので、やっぱり工場法には限界があったと思います。ただ、子どもを守ろうという発想がこの時代に出てきたこと自体は、重要なことだと思います。」

マヤ 「それで、ロバート・オーウェンのように労働者や子どもを守る取り組みを実際に進められていったわけですが、オーウェンの考え方や試みっていうのはその後の社会にどのように受け継がれていったんですか?」
 
山下先生 「オーウェンは、労働者が団結して労働条件の改善を求める労働組合運動も積極的に推進しました。そういった運動は、労働者を中心とした社会の実現を目指す社会主義という発想に、受け継がれていきます。資本家に対立して、労働者階級というものが存在するんだという考え方がこのころから生まれてくるということですね。」

変わる世界経済
  • ヨーロッパの植民地だった国々が次々と独立
  • ブラジルでの鉄道建設

産業革命を成し遂げたイギリスは、インドなどの植民地を原料の生産地、そしてイギリスで生産された商品を売る市場としていきました。
19世紀前半にラテンアメリカではヨーロッパの植民地だった国々が次々と独立します。

イギリスは、近代化を目指す新興の独立国にも鉄道を建設するなど、自国の工業製品を売り込みました。
世界中に巨大な市場を抱え、自国で生産した製品を売ったイギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになりました。

汰雅 「たくさん作ったら、たくさん売らないといけないわけですもんね。」

山下先生 「そういうことです。産業革命で先行した、イギリスを含めたヨーロッパの国々は、自国製品の市場を世界中に確保していこうとします。」

マヤ 「大量に製品を作り、世界中に市場を求めるというやり方は、今の世界の動きにも通じますよね。産業革命は人類全体の歴史にとっても大きな出来事だったと言えそうですね。」

山下先生 「はい。この時代に生まれて今日まで続いているものって結構たくさんあるんですね。私たちの身近なところでいうと、時給、時間給ですね。働いた時間によって報酬をもらうという仕組み、労働の対価・価値を時間で測って決めるという仕組みは、産業革命時代の工場の労働形態から始まっているわけです。現代の私たちの社会の原型が産業革命の時代に形作られた、そういうふうに言っていいと思います。」

マヤ 「これがいつまで続くのか。おもしろいですね。」

チャールズ・ディケンズ
  • チャールズ・ディケンズ

マヤ 「都市の社会問題を抱え始めていた大都市、ロンドン。そこにある貧困や、社会問題に目を向けて小説を書いたのが、イギリスの国民的な作家チャールズ・ディケンズです。
ディケンズは自身も9歳のころにロンドンに移り住み、短い間ですが靴墨工場で働いた経験もあったといいます。例えば代表作のひとつ『オリヴァー・ツイスト』を読んでみると、都市で暮らす当時の人々への、ディケンズのまなざしを感じとれるかもしれません。
小説家として名声を得たあと、ディケンズは、貧しい家庭の子どもたちのための学校を支援するなど、社会貢献活動にも力を注ぎました。」


それでは次回もお楽しみに!

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