NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第22回

ヨーロッパの主権国家

  • 世界史監修:国学院大学教授 大久保桂子
学習ポイント学習ポイント

ヨーロッパの主権国家

  • 政井マヤさん
  • 富田早紀さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • フェリペ2世、エリザベス1世、ルイ14世

16世紀に入って起こった「宗教改革」は、西ヨーロッパに君臨していたローマ教皇、神聖ローマ皇帝に動揺を与え、その権威は急速に弱まっていきました。
こうした中で、それまでの封建制度は崩壊し、主権者の下にひとつにまとまった国家「主権国家」が生まれます。
フェリペ2世、エリザベス1世、ルイ14世といった君主たちが登場した時代。
主権国家が生まれた背景には、ローマ教会の影響力の低下と、長く続いた戦争がありました。

ヨーロッパにおいてそれぞれの国が対等な関係を認めあう、「主権国家体制」が形成された時代を見ていきます。

  • オランダ

パズルをやっている早紀さん。

早紀 「この小さい国、どこの国だかわかります?」

マヤ 「ヒントは、チューリップや運河で有名な、北海に面した国。」

早紀 「その国って、風車でも有名ですよね。オランダ!」

マヤ 「ピンポーン!今では、そうやってパズルになるくらい、国境ってはっきりと決まっているけど、実は国という概念は17世紀ごろに決まったもので、それまではなかったの。そして、さっきの小さな国オランダは、17世紀ごろにとても栄えていたのよ。」

早紀 「その『国という概念がなかった』というのは、どういうことですか?」

主権国家体制の形成
  • ベーメン
  • 三十年戦争

17世紀初め、神聖ローマ帝国内、現在のチェコに位置するベーメンで、プロテスタント派の貴族たちがカトリックを強要する神聖ローマ皇帝に反発しました。
この宗教対立にヨーロッパ各国が介入し、のちに「三十年戦争」と呼ばれる国際戦争へと発展しました。

長期に及んだ戦争は、1648年にようやく和平会議が開かれます。
そこで結ばれた条約が「ウェストファリア条約」です。
この条約によって、各国は対等な関係で並び立ち、他国から干渉されない「主権国家体制」
形成されていきます。

オランダはスペインから正式に独立。
神聖ローマ帝国の支配下にあったスイスも独立を果たし、ドイツ諸侯も皇帝から自立が認められました。

  • 大久保桂子先生
  • 主権国家体制

お話をうかがうのは、國學院大學教授の大久保桂子先生です。

早紀 「『主権国家』とはどういう国なんですか? 」

大久保先生 「みなさんが今、普通に国と思っているのが、主権国家なんですね。
主権国家がどういうものかというと、国境に囲まれた国土がある、というのが一つ目の条件です。
そして、その国土の上に主権を持っている統治者がいる、ということです。
ただ、その統治者がどういうタイプなのかというと、王様の場合もあるし、議会のような合議体の場合もあります。国の統治を持つ人が主権者として定まっている、ということが二つ目の条件になります。」

そして国の大小に関係なく、お互いに独立した存在として認め合い内政には干渉しない、ということが「主権国家体制」なのです。

早紀 「どれも現在の国では当たり前のことに思えますが、中世ヨーロッパではそうではなかったんですね。」

大久保先生 「そうなんです。中世のヨーロッパは、例えばいろんな領主、支配者がいたりして、それは国よりもっと小さい単位でした。しかしその上にローマ教会という大きな権威があり、権力を持った人たちの存在を保証していました。
そして、いろいろな国ができ、主権国家になったということは、上位の権力であるローマ教会がそれぞれの国に口出しができなくなります。
世俗の権力と結びついたローマ教会のあり方が宗教改革で崩れ、その中で新しい主権国家体制が生まれていったということです。」
 
マヤ 「なるほど、主権国家になった国の中で最初に繁栄した国が、オランダだったんですね。」

大久保先生 「はい。オランダが位置するネーデルラント地方は、中世から経済で繁栄していました。独立するのはウェストファリア条約によってですけれど、その前から80年かけて、スペインから独立しようという運動をずっとしていたんです。」

  • アメリカ大陸のスペイン植民地
  • ヨーロッパのスペイン領地

当時のスペインは本国以外にも、アメリカ大陸に広大な植民地を持ち、そこで採れる大量の銀が、莫大な富をもたらしていました。
ヨーロッパでは、ナポリ、シチリアの他に、後にオランダ、ベルギーになるネーデルラントを領土としていました。

  • フェリペ2世

スペイン国王は、カトリックの擁護者(ようごしゃ)を自任するハプスブルク家の「フェリペ2世」
ヨーロッパに迫るイスラーム勢力に立ち向い、レパントの海戦でオスマン帝国を破り、威信を高めました。
ポルトガルも併合し、アジアのポルトガル領も継承したスペインは「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれました。
しかし、フェリペ2世は戦費調達のために、商工業で潤っていたネーデルラントに税金を課し、さらにプロテスタント教徒が多いネーデルラントにカトリックを強要したため、貴族や商人は反発。
80年に及ぶ、泥沼の独立戦争が勃発しました。

オランダのように、大国からの独立を目指す国が生まれていった時代だったのです。

早紀 「フェリペ2世は、どうして戦争に一生懸命だったんですか?」

大久保先生 「フェリペ2世は、とても真面目な国王だったんです。いろんな領土を持っていますから、そこからくる書類に毎日毎日、目を通して一生懸命統治をしようとがんばった。大きな国ですから、キリスト教世界を守るという意識もありました。
地中海に迫っている強大なイスラームのオスマン帝国に対して、ヨーロッパの他の国々は宗教改革の影響で、自分の国のことで手一杯。ヨーロッパをちゃんと守っていくという仕事は自分にしかできないという強い自負があって、戦争をやろうと思ったわけです。
そこで、自分のさまざまな領地から戦争にかかるお金を集めてこようと考えた。その一つが、豊かだったネーデルラントでした。」

マヤ 「一方で、ネーデルラントはプロテスタントの地域ですよね。カトリックをフェリペ二世から強要されることへの反発もあったんでしょうか?」

大久保先生 「もちろんあったと思います。ネーデルラントは、信仰自体はわりと自由に考えていた国なんですね、ユダヤ人でも、イスラームを信仰するムスリムの人たちでも、同じように商売をしていく人たちであれば宗教は別になんでもいいですよ、という自由がありました。」

オランダの繁栄
  • 北部に逃げた
  • アムステルダム

独立戦争が起こったネーデルラントは、中世から毛織物生産や貿易で栄えていました。
しかし、その中心であった南部地域への、スペインの圧力が強くなり、商人や職人の多くは北部に逃げてしまいました。
そのため、最初は寂れていた北部が急速に発展し、中心都市のアムステルダムは、17世紀にはヨーロッパ随一の商業都市となるのです。

  • 1609年に休戦協定
  • 造船や毛織物業

1609年、スペインとネーデルラントは休戦協定を結び、南部の10州はスペインに従い、北部の7州は事実上独立を果たし、ネーデルラント連邦共和国、つまりオランダとなるのです。
北海に面したアムステルダムを中心とし、新たな主権国家の道を歩み始めたオランダ。
強力な君主は存在せず、市民と商工業者を中心とする国の経済は、ますます発展します。

オランダに繁栄をもたらしたのは、造船や繊維産業などの、当時世界最先端の技術力でした。
さらに、スペインとポルトガルに独占されていた海外の商業貿易にも進出。
1602年には世界で最初の株式会社と言われる、「オランダ東インド会社」を設立。
アジアでの貿易を独占しました。

マヤ 「海は当時、スペインやポルトガルの独占だったわけですよね。そこにどうやってオランダは割って入ったのですか?」

大久保先生 「オランダはスペインとまさに戦争状態にあって、独立しようとしている。そのために自国の軍事力を整えました。そして、アジアなどにも積極的に海軍力を投入して、力でスペインやポルトガルの海外市場を奪っていくという側面がありました。」

オランダは、スペインやポルトガルとは違い、キリスト教の布教はせず商売だけを行ったため、徳川幕府時代の日本にも受け入れられました。

早紀 「小さい国なのに、たくさんの力があったってことですよね。」

大久保先生 「そうですね。三十年戦争の時代は各国戦争に明け暮れて、非常に疲弊していますし、経済も収縮していますし、人口も停滞しているわけです。
そういう中でオランダは独立戦争を戦っているにもかかわらず、貿易もやり、産業も拡大し、すごく発展しました。その結果、独立を果たす頃にはもう、ヨーロッパ最大の経済大国に成長して、『オランダの奇跡』とヨーロッパの人々が呼んだといわれます。」

フランスとイギリスの追い上げ
  • ルイ14世

国王を頂点にした主権国家を築くことで、オランダの後を追ったのがフランスです。
宗教対立や三十年戦争といった困難な時期を終えて国の統治を引き継いだのは、国王「ルイ14世」でした。
“朕(ちん)は国家なり”と言ったといわれるルイ14世は、国王が主権者となり圧倒的な力で君臨する「絶対王政」をしきました。
この絶対王政を支えたのが、国王の手足となる官僚機構、そして強力な常備軍でした。

  • コルベール
  • 重商主義

ルイ14世のもとで経済政策に力を発揮したのが、財務総監の「コルベール」
コルベールが推し進めたのが徹底した「重商主義」政策でした。
輸入製品に高い関税をかけて国内産業を保護し、国際競争に勝てる製品開発をすすめることで、貿易の振興に努めました。

  • ヴェルサイユ宮殿

一方、ルイ14世は豪華な「ヴェルサイユ宮殿」を築きます。
ここに有力貴族たちを招き、彼らの力をうまく取り込むことによって、フランスをヨーロッパ随一の強力な国家に押し上げたのです。

  • エリザベス1世
  • ブリストル港

イギリスでは、エリザベス1世がイギリス国教会を再建し、ローマ・カトリック教会の影響を断ち切ると、外交的にも干渉を受けない「孤立主義」をとります。
スペインの無敵艦隊も撃退し、主権国家としての自主性を示しました。
しかし、エリザベス1世の没後、統治権を君主に集中させようとする国王(王党派)と、議会(議会派)とがぶつかって内乱状態が続きました。

17世紀末、国王が議会の定める法に基づいて国を統治する独自の「立憲王政」を確立。
政治体制が安定すると、植民地貿易でオランダやフランスと覇権を競うようになります。

早紀 「オランダ、フランス、イギリスの主権国家の形はそれぞれ違っていたんですね。」

マヤ 「オランダは有力な商人の代表による合議制の『連邦共和国』。フランスは『絶対王政』。イギリスは『立憲王政』と、それぞれ違ったのよね。そして、オランダに憧れたフランス、イギリスが、このあとオランダを抜くぐらい強くなっていくんですよね。」

大久保先生 「そうですね。まずフランスですが、勢力を拡大してヨーロッパの中心国になっていきます。
イギリスは、むしろヨーロッパの外の海外に活路を見いだしていく。海外貿易、海外市場に進出をして、アジアやアメリカなどでフランスと植民地の争奪戦を繰り広げる、という時代がくるわけです。
こうして、やがては世界の貿易をリードする経済大国になっていくということなんです。」

ウェストファリア条約と国際社会
  • マヤさんと早紀さん

早紀 「ウェストファリア条約は、“もうヨーロッパ中を巻き込む、無益な戦争は繰り返したくない”という考えから、生まれたんですよね。」

マヤ 「そうね。大きくても小さくても主権国家は対等ということは認識としてできあがったんだけれども、だからといってヨーロッパの国々の争いが無くなったわけではないの。その後もヨーロッパを舞台にした戦争というのは、いくつも起こるからね。」

早紀 「どうして戦争って繰り返されてしまうんですか?」

マヤ 「難しい問題よね。世界史を見ていく中で、その答えが見つかるといいわよね。」


それでは、次回もお楽しみに!

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