NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

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今回の学習

第21回

ルネサンスと宗教改革

  • 世界史監修:国学院大学教授 大久保桂子
学習ポイント学習ポイント

ルネサンスと宗教改革

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さん
  • 大久保桂子先生

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。
お話をうかがうのは、國學院大學教授の大久保桂子先生です。

  • ルネサンスの後期
  • ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」

イタリア・フィレンツェから始まった「ルネサンス」
この文化運動は、ヨーロッパに広がり、新たな芸術や思想を生み出しました。
例えば、絵画。
それまで多くの絵画はキリスト教をモチーフとした宗教画でした。
しかし、14世紀、ルネサンスで一転、神話などの古典を題材にしたり、写実的な人間性あふれる描写へと変化していきます。
ルネサンスの後期、同じヨーロッパで、人間と神との関係を再発見しようとする「宗教改革」がありました。
ヨーロッパ社会に何が起きていたのでしょうか?

マヤ 「今からおよそ500年前のイタリアで描かれた『ヴィーナスの誕生』。裸婦を描くっていうのも、ちょっと大胆ではありますよね。」

大久保先生 「とても評価されていている名画ですが、この絵はそれ以外にも、この時期のいろんな重要な要素を物語っているところがあるんですよ。」

ルネサンスと人文主義
  • イタリア・フィレンツェ
  • 壁画

再生を意味するルネサンス。
これは、キリスト教以前のギリシア・ローマの古典文化を通して人間本来のあり方を考えようとする動きで、14世紀から16世紀にかけて西ヨーロッパに広まりました。
この人間本来のあり方を考え、人間性の解放を追求することを「ヒューマニズム(人文主義)」といい、それがルネサンス期の基本的な思想となります。

イタリア・フィレンツェ。
ここには、ルネサンスの始まりとも言われる壁画が残されています。
この絵で、イエス・キリストは人間らしい写実的な表現で描かれています。

  • ルネサンス以前の典型的な絵
  • ルネサンス時代は写実的な表現で描かれている

こちらは同じフィレンツェに残る、ルネサンス以前の典型的な絵。
輝く金色を背景に、イエスは威厳のある存在として描かれています。
並べてみると、同じ宗教画でも、ルネサンス時代はイエスが、人間らしい写実的な表現で描かれていることがわかります。

  • 聖母マリアとイエス
  • 古代ローマの遺跡、ビザンツ・イスラーム文化の影響

こちらは、聖母マリアとイエスを描いた聖母子像です。
ルネサンス前に描かれた絵に比べるとルネサンス期のラファエロの絵は立体的で人間味あふれる描写がされています。
数多くの芸術を生んだルネサンスがイタリアから起こったのは、なぜでしょうか

もともと古代ローマの遺跡や美術品が残されていたこともありますが、十字軍などによってイタリアの都市が、ビザンツやオスマン帝国に受け継がれていた古代ギリシアの文化に触れたことも大きな要因でした。

  • 古代ローマの神話に題材を求めた

大久保先生 「『ヴィーナスの誕生』。素材にしているのは、ローマ神話、美の女神と言われたヴィーナス。ルネサンスの時代よりも前のヨーロッパの絵画は、基本的にキリスト教をモチーフとした宗教画がほとんどだったんですね。
ところがボッティチェリが、キリスト教ではなくて、もっと前の古代のその神話に題材を求めたというところに、ひとつ、ルネサンスの精神の神髄を見ることができると思います。
また、このヴィーナスは裸婦ですが、古代ギリシアの作品から着想を得ていると考えてもいいかもしれないですね。」

マヤ 「ルネサンス以前はキリスト教だけが描かれていたのが、ルネサンスになって1500年も前の古典が題材になった、と。」

大久保先生 「そうですね。ルネサンスが起こる少し前ですけれども、ヨーロッパにペスト、黒死病とも呼ばれる大きな疫病が流行って、ヨーロッパの全体の人口の3分の1から4分の1が死んでしまいました。このことがヨーロッパ全体に大きな衝撃を与え、死が本当に間近になり、“人はどうやって生きたらいいのか”、“生きることとは何か”という問い掛けを、真剣にするようになった時期がきたんです。」

神様だけに委ねられた人生への疑問が生まれ、キリスト教以前の文化を再生することが「人間性回復」につながると考えられました。

ルネサンスと活版印刷
  • 金属活字を組み合わせ、油性インクを使用
  • ぶどうをしぼるための圧搾機を利用

ルネサンスの時代、書物によってヒューマニズムが広まった背景には、15世紀中ごろのドイツで実用化されたグーテンベルクによる活版印刷術があります。
グーテンベルクは、金属活字を組み合わせ、油性インクを使用。
さらに、ぶどうをしぼるための圧搾機を利用した印刷技術を開発しました。
その印刷術は、各地に急速に広がっていきました。

  • プランタン・モレトゥス印刷博物館
  • 世界初の地図帳「世界の舞台」抜粋

16世紀、当時、ヨーロッパ最大の商業都市だったアントワープに印刷工房が設立されます。
現在は、印刷博物館となっているこの印刷工房では、聖書や文学作品などのほかに、世界初の地図帳などが印刷・出版されました。
また、ルーベンスやブリューゲル、メルカトルといった画家や文化人がこの工房と交流を持ち、芸術や文化の発信に貢献しました。

印刷産業は、知識や思想を伝える新しいメディアとして、大きく発展していきます。

  • ラテン語の聖書

汰雅 「僕らの身の回りに、本とかパンフレットとか印刷されたものって当たり前にあるけど、このルネサンスの時代に活版印刷の実用化っていう、大きい出来事があったんですね。」

大久保先生 「そうですね。情報の伝達に非常に大きな変革をもたらしたと言われていますよね。この出来事は、今で言えば、皆さんが使われているスマホが登場してきたくらいのメディア革命だったと言っていいと思います。
ところで、これ(画像)は何でしょう?実は聖書なんです。飾り文字、カラーの文字は手で。だから、印刷術を使ったといってもかなり手のこんだものとなっています。
ここで大事なことは、この聖書はもちろんラテン語なんですけれども、当時、ヨーロッパの国々で、今の私たちが知っているような言語、英語だったりイタリア語、フランス語、そういう言語がちょうどこのころに確立されてきます。そういった当時としては新しい言語を使って印刷するということも行われるようになっているんですね。言語の問題は、大きいと思います。」

宗教改革
  • ジョン・ウィクリフとヤン・フス
  • 免罪符(贖宥状)

中世ヨーロッパでは、神を絶対視し人間を罪深いものとする、ローマ教会の思想が支配していました。
しかし、13世紀、十字軍の遠征に失敗したローマ教皇は、権威を失墜させてしまいます。
教会への不安が広がる中、聖職者を通してではなく、イエスを通してのみ神について知ることができるとする神学者が現れます。

イギリスのウィクリフ、そしてベーメンのフスは、聖書を信仰の根本として教皇の権威を否定、ローマ教会を批判しました。
16世紀、こうした批判は、教会が財政をまかなうために発行する免罪符にも向けられていきました。
免罪符とは、購入することで犯した罪に対する償いをしなくてもいいとする証明書のことです。
教皇は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を建築するための莫大な資金をまかなうために、この免罪符をドイツで大々的に販売させます。

  • マルティン・ルター
  • ルターによるドイツ語訳の聖書

ドイツの神学者「マルティン・ルター」は、そんな教皇に異議をとなえます。
1517年、ルターは「95か条の論題」を発表し、免罪符のあり方を教会に問いただしました。
ルターは、信仰によってのみ神に救われると主張。
信仰のよりどころを聖書に求め、教皇の権威を否定しました。

ルターは教皇から破門されます。
さらに、神聖ローマ帝国の皇帝カール5世からも自説の撤回を要求されますが、ルターは拒否します。
すると、皇帝と対立する有力な諸侯などによるルターへの支持が広がりました。
ルターは、ドイツ語訳の聖書を完成させ、印刷術が普及し始めたヨーロッパで聖書を出版、支持者を増やしていきます。

こうしてローマ・カトリック教会に反抗して、分離・独立して生まれたのが「プロテスタント」です。
その教会は、プロテスタント教会と呼ばれます。
プロテスタントの一派、ルター派は、ドイツの北部やスウェーデンなどの北欧の諸国に広まっていきました。

  • カルヴァン

1536年、フランス出身の「カルヴァン」が、プロテスタントの教義を体系化した「キリスト教綱要」を出版します。
カルヴァンは、“人が神によって救われるか否かは神によって予定されている”という「予定説」をとなえ、利益・蓄財を認め、商工業者の心をつかみました。

  • ルターが配ったビラ

大久保先生 「例えば、チェコの大学の教授だったフスは、“本来の教えは聖書にあるんじゃないか”、というようなことを言ったりしました。
ところがね、“あなたの言っていることは異端です”とローマ教会に決めつけられて、火あぶりの刑に処されてしまうということも起きています。こういう例は、ヨーロッパにはいくつかあるんです。でも、そういう批判をした人がいっぱいいたということが、ルターの改革にもつながっていきました。」

マヤ 「それまで宗教を批判した人たちは、厳しく弾圧されて火あぶりになったりしたわけですよね。ルターはどうしてそうならずに、宗教改革を成し遂げられたんですか?」

大久保先生 「ルターは、ひとりでがんばったわけではなくて、その当時ドイツの諸侯から支援を得たんです。世俗の君主たちの協力、支援を得られたとということがとても重要なことだと思います。もうひとつ言えることは、そのルターは別の戦術・戦略も使ったということです。
まだ、必ずしも字を読めないような民衆に対して、ビラをまきました。」

  • 左下にルターが描かれている
  • はいつくばるローマ教皇

汰雅 「このビラには、何が描かれているんですか?」

大久保先生 「この人がルターで(画像・左)、しっかり十字架を持って支えているんですけど、周りには腐敗した、まるで強欲な動物のようなローマ教会の聖職者がいっぱい。
ローマ教皇(画像・右)は地べたにはいつくばって、冠はとれてしまって、お金まみれの教皇はすっかりその権威を失っているという風刺画です。
こういう絵にすることで、可視化して訴えた。今で言うプロパガンダ(宣伝)ですよね。そういう戦術も、ルターのひとつの武器でした。
このように、プロテスタントがヨーロッパに広がっていきました。」

キリスト教の変容
  • カトリックかルター派かを選択できるように

16世紀、西ヨーロッパのキリスト教はカトリックとプロテスタントに分裂しました。
そんな中、ドイツではカトリックとルター派の間で宗教的対立に一応の決着がつき、ルター派の信仰が認められました。
1555年、「アウクスブルクの和議」です。
これにより、カトリックとルター派のどちらを選択するかは、諸侯などに委ねられました。

しかしここでは、カルヴァン派は除外されました。
その後、スイスのジュネーヴに移ったカルヴァンは、大学を設立して宣教師の養成などを行います。
そして、ジュネーヴはプロテスタントの拠点のひとつとなっていきました。

一方、プロテスタントに対抗して、カトリック内部にも改革の動きが生まれます。
従来の教義の正しさを確認した上で、自ら聖職者の風紀を正し、ローマ教会の布教に力を入れ始めます。
これは「対抗宗教改革」と呼ばれます。

  • イグナティウス・ロヨラ
  • フランシスコ・ザビエル

スペインの貴族で軍人の「イグナティウス・ロヨラ」は、パリで「イエズス会」を結成。
新たな布教活動や教育事業を開始します。
イエズス会は厳しい規律のもと、世界へとカトリックの布教に乗り出しました。
この会の設立者のひとり、「フランシスコ・ザビエル」は、日本へ布教に訪れています。

  • ヘンリ8世

イギリスでも宗教改革が起こります。
国王「ヘンリ8世」が、王妃との離婚を認めないローマ教皇と対立、教皇は国王を破門しました。
一方、国王は対抗して“イギリスの教会の首長はイギリス国王である”と宣言し、カトリック世界から離脱します。
こうして、「イギリス国教会」が成立しました。

マヤ 「諸侯の領地に住む一般の人々は、信仰を選択できたんですか?」

大久保先生 「いえ、それはできません。宗教改革によって、それぞれが自分の信仰を選べたと思いがちですが、決してそうではありません。このことが、ヨーロッパ各国でそれぞれの支配者が異なる信仰を選んだときに対立を生み、さらに権力・勢力争いに発展し、時には熾烈(しれつ)な対立や、場合によっては戦争などを引き起こすことになったわけです。」

レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • レオナルド・ダ・ヴィンチ

マヤ 「モナリザの絵で有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、美術だけでなく音楽、建築、土木、数学、自然科学などの分野でも才能を発揮し、『万能の天才』と呼ばれています。
ヘリコプターのような空を飛ぶ機械を考えだしたり、人体解剖図を作成したり、その好奇心には際限がありませんでした。
現代にレオナルド・ダ・ヴィンチのような人物がいたら、どんなことを成し遂げてくれるんでしょうか。」


それでは、次回もお楽しみに!

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