NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第19回

大航海時代

  • 世界史監修:明星大学学長 落合一泰
学習ポイント学習ポイント

大航海時代

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • エンリケ王子

15世紀、ポルトガルは、“航海王子”の異名を持つエンリケ王子の指揮の下、アフリカ大陸の西岸に沿って南下しながら探検・調査をする航海を何度も行いました。
その理由の一つは、アジアと交易するルートをイスラーム勢力に抑えられていたことにあります。
直接アジアに到る航路を模索していたのです。
15世紀末、ついにアフリカ大陸南端の喜望峰をまわってインドに到る航路を開拓し、香辛料貿易を独占。
首都リスボンは大いに繁栄しました。
ポルトガルが先導役となって、ヨーロッパ諸国が大海原に乗り出していったこの時代は、「大航海時代」と呼ばれています。

今回は、この時代の歴史的意義について考えてみましょう。

  • 地球儀
  • アメリカがない

汰雅 「これは…、なんですか?地球儀?」

マヤ 「そう。“世界で初めて発表された地球儀”と言われている物のレプリカなの。」

汰雅 「でもなんか、日本の形が変なんですよね(画像・左)。ちょっとこれ、不良品かもしれないですよ。ここに日本があって、東に行ったら、すぐにヨーロッパとアフリカになってるんですよ(画像・右)。アメリカ大陸が、ないんですよね。」

マヤ 「そこが面白いの。この地球儀が発表されたのは、1492年。当時のヨーロッパの人たちは、まだアメリカ大陸というものを知らなかったのね。その1492年、どんな年だったか知ってる?」

汰雅 「1、4、9、2ですよね…。あ!意欲に(1492)燃えるコロンブス」!!

コロンブスのアメリカ到達
  • クリストファー・コロンブス

「コロンブス」は、イタリア・ジェノヴァの商人の家に生まれたと言われています。
10代のころから父親の仕事を手伝って船に乗るようになり、20代になると独立して、ポルトガルのリスボンに移り住みました。
ここで、航海術や地理的知識を学び、「大地は球体である」という考えに出会います。
そして、「ヨーロッパから西に向かって進めば、インディアスに行くことができる」と確信しました。

  • トスカネリの世界地図
  • インディアスはヨーロッパのすぐ近く

インディアスとは、インドより東の地域のことで、現在の東南アジアや東アジア、日本も含まれていました。
コロンブスも見たとされる世界地図。
イタリアの天文学者トスカネリが作ったものです。
地球が球体であり、この地図が正しいとすると、インディアスはヨーロッパのすぐ近くにあることになります。

  • イサベル
  • サン・サルバドル島

コロンブスは、この考えが正しければ、金銀や香辛料の新たな交易ルートを開くことができると訴え、ポルトガル国王に新航路開拓計画への援助を求めます。
しかし、ポルトガルはこの時アフリカ大陸を回ってインドに至るルートを開拓していたため、コロンブスの訴えは取り入れられませんでした。

計画に自信を持っていたコロンブスは、スペインに向かいます。
すると、女王イサベルが強い興味を示し、援助を受けられることになったのです。
1492年8月、コロンブスは、サンタ・マリア号をはじめとする3隻の船で、インディアスに向けて船出しました。

航海には予測を大幅に上回る日数がかかり、もうあきらめて引き返そうかとしていたとき、陸地を発見、上陸を果たします。
しかし、そこは彼らが目指していたインディアスではなく、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海に浮かぶ島、現在のサン・サルバドル島でした。

  • 十字軍
  • 国土回復運動の進展

マヤ 「コロンブスも、実際にこの地球儀を見たのではないかと言われているのよね。しかも、コロンブスは死ぬまで、自分が上陸した場所はインディアスだと信じていたの。
カリブ海の島々が、今でも『西インド諸島』と呼ばれたり、アメリカ大陸の先住民をインディアン、インディオと呼ぶのは、その名残なのね。」

汰雅 「当時、航海術が進歩したとはいっても、やっぱり未知の海は何が起こるか分からないじゃないですか。それでも香辛料を求めるっていうのは、それだけ魅力的だったんですね、ヨーロッパの人にとっては。」

マヤ 「確かにそうなんだけど、コロンブスが航海に出た理由のひとつとして、宗教的情熱があったと言われているの。『十字軍』、覚えてる?」

汰雅 「キリスト教の聖地エルサレムをイスラーム勢力から奪還しようとして…。でも、結局その目的は果たせなかったんですよね。」

マヤ 「そう。そこで、当時のヨーロッパの人々は、十字軍のエネルギーを、キリスト教の『布教』に振り向けたのね。コロンブスが航海に出たのは、新たな布教先を開拓するためだったとも考えられているの。」

汰雅 「もしかして、スペインがコロンブスを援助したのも、そのためだったりするんですか?」

マヤ 「さすが、汰雅さん、実は、スペインだからこその理由もあったの。ちょっと時代が遡るんだけれども、8世紀、スペインのあるイベリア半島は、どんな状況だった?」

汰雅 「イスラーム勢力がやってきて、イベリア半島は占領されました。」

マヤ 「イベリア半島では、『国土回復運動』いわゆる『レコンキスタ』が始まって、最終的にイベリア半島からイスラーム勢力を追い出すことができたのが、1492年。
イベリア半島を取り返したスペインは、さらに領土を拡大したいと思ったわけ。もちろん、獲得した領土ではキリスト教を布教するし、さらに、交易で利益が得られれば、国の財政も安定させることができる。」

汰雅 「っていうことは、“新大陸”を“発見”したコロンブスは、とてつもない偉業を成し遂げたってことですよね?」

マヤ 「そうね。スペインの側から見るとそうなんだけど、アメリカ大陸の側から見たら、どうかな?」

アステカ・インカ帝国
  • アステカ・インカ帝国
  • テノチティトラン

コロンブスがアメリカに到達した15世紀末、メキシコ中央高原にはアステカ文明、南米のアンデス山脈にはインカ文明が栄えていました。
アステカ文明は、現在のメキシコシティにあった湖に、壮大な水上都市・テノチティトランを建設していました。
人口20万を擁する世界最大級の都市だったと言われています。

  • マチュ・ピチュ

インカ帝国は、現在のペルー、ボリビア、エクアドルなどを支配していました。
80もの民族を従え、帝国の人口は1600万に達したといいます。
標高2000メートルを超える山の尾根に、忽然と現れる石造りの遺跡・マチュ・ピチュ。
「奇蹟の天空都市」とも呼ばれ、人気の観光地となっています。
巨大な石を、どこから、どのように運んできたかなど、多くの謎に包まれていることも、人々を惹きつける一因となっています。

  • 拘束されるコロンブス

こうした巨大な帝国だけでなく、アメリカ各地に独自の文明がありました。
もちろん、コロンブスが到達したカリブ海の島々にも、先住民が暮らしていました。
コロンブスの一行は、自分たちが“発見した”とする土地をスペイン領であると宣言。
さらには金や銀、香辛料などを求めて先住民を弾圧・虐殺しました。
しかし、そこはインディアスではないので、そもそもコショウやクローブなどの香辛料が存在していなかったのです。
スペイン王室の期待に応えられなかったコロンブスは、島の統治をうまく行えなかったこともあり、身柄を拘束され、失意の晩年を過ごすこととなりました。

その後、多くのスペイン人が大西洋を渡り、アメリカ大陸に進出していきました。
その過程で、アステカやインカなどアメリカ独自の文明は征服されていったのです。

  • 落合一泰先生
  • muchachoとmuchacha

明星大学学長の落合一泰先生にうかがいます。

汰雅 「スペインの人々は、なんであんな酷いことをしたんでしょうか?」

落合先生 「先住民は、キリスト教徒ではなかったんですよね。それから、言葉もよく通じない。しかも、鉄砲も持っていないし、服とか食べ物も全然違うと。そういうことから、当時のヨーロッパ人は、先住民のことを人間として認めていなかったんです。
先住民はキリスト教を受け入れなかったり、スペイン人に抵抗したりしますよね。それはカトリック教会とかスペイン国王への反逆だとみなされたんです。ですから“弾圧してもいいんだ”と正当化されてしまったんですね。」

マヤ 「勝手に上陸してきて、“自分たちの領土だ、従え”っていうのは、自分勝手ですよね。」

落合先生 「そうですよね。キリスト教ヨーロッパの基準で上下関係を作ってしまった、というのがあります。今はラテンアメリカでは法律的には誰もが平等なんです。だけど、やっぱり日常生活の中に、そうした古い価値観みたいなものが今でも残っているようなところがあると思うんですよね。例えば、教育のある若い白人系の人が、年上の先住民系の人に対して、スペイン語で『少女』とか『少年』に当たる言葉で呼びかけることがあったりするんです。」

マヤ 「『muchacho(少年)』とか『muchacha(少女)』って言うんですか?普通は、年下の子に軽く声をかける言葉ですよね。」

落合先生 「そうですね。ですから、下に見ているようなところがあるなという感じがします。」

汰雅 「じゃあ、決して『過去の出来事』というわけではないんですね。」

落合先生 「ええ、これは、過去のことではないし、それからラテンアメリカに限った話っていうわけでもないと思うんですよね。
私たちが歴史を学ぶっていうとき、どうしてもここ数百年間の“勝者”である欧米の考え方が基盤になってしまっている。ですから、日本にいる私たちも、やっぱり同じような枠組みを使ってしまうっていうことがあるんじゃないかなと思うんです。例えば汰雅さん、『発展途上国』という言葉を、使いませんか?」

汰雅 「はい、普通に使います。」

落合先生 「だけど、この言葉はヨーロッパとかアメリカ合衆国が『先進国』であって、他の国々とか民族は同じようにそこに向かって発展すべきだっていう、単線的な、一本の線の上で発展するっていう歴史観や価値観、そうしたものが潜んでいると思うんですよ。」

スペインの侵略に対して、先住民は武力による抵抗を試みました。
しかし、それがことごとく失敗に終わると、今度は違う方法を取るようになります。

落合先生 「先住民は、キリスト教を受け入れます。そうすると、今度はそれを独自に発展させていくんです。そして、自分たち先住民のほうが、スペイン人たちよりもずっと優れたキリスト教徒であると主張して、精神的な抵抗というんでしょうか、そうしたことをするようになっていったんですね。それは、キリスト教の受け入れ方っていうのを見ていくと、分かってくるところがあります。」

広がる「ヨーロッパ文化」
  • プエブラ
  • タイル

スペインの人々は、征服した場所に当時のスペインのような街を造っていきました。
メキシコ南部に位置するプエブラも、そのひとつです。
家々を彩るのは、色鮮やかな無数のタイル。
元々イスラーム世界から持ち込まれたもので、13世紀にはスペインの住宅の壁や床を飾るようになりました。
それが、さらにメキシコで再現されているのです。

  • サンタマリア・トナンツィントラ教会
  • たくさんのモチーフが埋め込まれている

こうした街の中心として、キリスト教会が建てられました。

プエブラの郊外にあるサンタマリア・トナンツィントラ教会。
16世紀末に建てられたもので、当時ヨーロッパで盛んだったバロック様式をベースにしています。
しかし、その姿はヨーロッパで見られる教会とはずいぶん違います。

内部に入ると、壁にたくさんの顔や農作物などのモチーフが埋め込まれ、完全な異空間が広がっています。
これらは、村の人々が少しずつ付け加えていったもので、このような過剰な装飾から、「ウルトラバロック」とも呼ばれています。
ここでは、キリスト教と先住民の大地への信仰が融合し、また同居しているのです。

  • ピーナッツチョコ

マヤ 「キリスト教以外にも、ヨーロッパからアメリカ大陸に広まったものは、あるんですか?」

落合先生 「たくさんあります。例えば牛とか羊、それから小麦ですね。こうしたものは、ヨーロッパ人が持ち込んだものなんです。
それから、文化とはちょっと言えないんですけれども、感染症もあります。
天然痘とかインフルエンザとか、はしかですね。こうしたものがヨーロッパからアメリカ大陸にもたらされた。その結果、免疫を全然持っていなかった先住民社会は、壊滅的な被害を受けるということになってしまったんです。
ただ、アメリカ大陸は、一方的にヨーロッパ文化を受け入れたっていうだけではなくて、逆にアメリカ大陸からヨーロッパに広がっていったものも、けっこうあるんですよ。」

マヤ 「そうでしたね。汰雅さん、パスタの話を前にしたのを覚えている?」

汰雅 「トマトですよね。アメリカ大陸原産のトマトのおかげで、パスタのバリエーションが増えて広がっていったっていうのは、やりましたね。」

マヤ「そう、それから、トウガラシやトウモロコシ、カボチャなどの原産地も、アメリカ大陸だったわね。」

落合先生 「他にも、ジャガイモ、サツマイモ、パイナップル、パプリカ、七面鳥、こういうのも全部そうです。それから、私の好物なんですが、これもそうなんですよ。」

汰雅 「チョコレートも、なんですか?」

落合先生 「ええ、これはピーナッツチョコなんですけれども、ピーナッツはアステカの言葉でカカワトル。チョコレート(の原料)は、カカオですよね。これは(アステカの言葉で)ショコラトルって言うんです。
ショコラトルそのものは、飲み物だったんです。だけど、19世紀になってヨーロッパで固形チョコレートというものが発明されたというふうになっています。」

マヤ 「アメリカ大陸原産の食べ物は、今の私たちの生活を豊かにしてくれているものが多いですね。」

落合先生 「そうですね。さらに、アメリカ大陸には銀山があり、銀がたくさんとれたんです。
それがヨーロッパに流入していく。それも、ものすごい量が流入していったものですから、ヨーロッパでは貨幣の価値が下がってしまって、インフレになってしまうということも起きました。ヨーロッパの当時の経済が、アメリカ大陸の銀によって、大きな影響を被ったということになっています。」

マヤ 「改めて、大航海時代を学ぶ意味っていうのは、多いですね。

落合先生 「アメリカ大陸での衝突とか征服の話っていうのは、遠い土地の遠い過去の話のように感じるんですけれども、例えばスペイン人と先住民は異文化同士ですから、“一体どうやって対話したんだろう”とか、“お互いに考えをしっかり伝え合うことができたんだろうか”と。
とすると、“現代の私たちは、異文化とどんなコミュニケーションを取っているんだろうか”と、そういうことを考えていけば、きっと歴史を勉強するいいきっかけができるんじゃないかなと思うんです。」

『アメリカ』という地名
  • アメリカと呼ぶ理由

マヤ 「アメリカ大陸を、どうして『アメリカ』と呼ぶようになったか、ご存じですか?
実は、『アメリゴ・ヴェスプッチ』というイタリア人地理学者の名前に由来しているんです。
コロンブスの後に大西洋を渡ったヴェスプッチは、そこがインディアスではなく、ヨーロッパ人にとって未知の大陸、『新世界』であると発表したのです。
そのアメリゴの名前から『アメリカ』と地図に表記されたのがはじまりと言われているんです。」


それでは、次回もお楽しみに!!

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