NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第18回

近世の朝鮮王朝

  • 世界史監修:東京大学教授 六反田 豊
学習ポイント学習ポイント

近世の朝鮮王朝

  • 朝鮮王朝

14世紀の終わり、朝鮮半島では高麗から朝鮮へ王朝が交替しました。
統治の基本となる考えも、仏教から儒教へと大きく変化。
儒教を学んだ「両班(ヤンバン)」と呼ばれる支配階級が、王朝を支えました。

16世紀末、豊臣秀吉による朝鮮侵略を受けて、朝鮮王朝と日本との国交はいったん断絶します。
しかし、秀吉の跡を継いだ徳川家康の強い希望が受け入れられ、外交関係は修復されました。
この時、二つの国をつないだのも儒教だったのです。

  • 政井マヤさんと富田早紀さん

それでは、政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきましょう。

早紀 「朝鮮半島の新羅、高麗は仏教の力で国を治めていましたよね。高麗では国をあげて大蔵経を作ったりして。それが次の『朝鮮王朝』では儒教が中心になるというのは、何があったんでしょうか?」

マヤ 「それは朝鮮王朝の成立にかかわることなの。朝鮮王朝が成立した14世紀には、中国でも大きな変化があったわよね?」

早紀 「元から明に変わったんでしたっけ。中国が朝鮮王朝の成立と関係しているんですか?」

マヤ 「そうなの。朝鮮王朝は500年以上続くんだけれど、その歴史には中国だけでなく日本も大きく関わっているの。」

朝鮮王朝の建国
  • フビライ・ハン
  • 明が中国を統一

朝鮮王朝成立の流れを、詳しく見ていきましょう。
10世紀に朝鮮半島を統一した高麗は、13世紀になるとモンゴル帝国の度重なる武力侵攻を受けるようになります。
30年近く粘り強い抵抗を続けましたが、結局はモンゴルの支配下に入りました。
その後、モンゴルのフビライ・ハンは国号を元(げん)とし、日本へも遠征軍を送ります。元寇(げんこう)です。

元の支配下にあった高麗は、船を作ったり兵士を送ったりと協力を余儀なくされました。
ところが、二度におよぶ元寇が失敗に終わり、高麗も大きな痛手を負ってしまいます。

14世紀、中国各地で元の支配に対する民衆の反乱が起こるようになります。
劣勢となった元を北方に押し戻し1368年、漢民族による王朝「明」が中国を統一しました。
中国での王朝交替をきっかけに、朝鮮半島で、新しい考え方に基づく政治を目指す勢力が出てきます。

  • 李成桂
  • 朝鮮王朝を建国

その中から頭角を現したのが、高麗の軍隊の指揮官だった「李成桂(りせいけい)」でした。
李成桂は、当時、朝鮮半島を頻繁に襲っていた倭寇(わこう)を撃退するなど、武功を重ねて出世し、ついには政治の実権を握るまでになります。
そして、1392年、高麗の国王から政権を譲り受けたのです。
李成桂は、新しい政治を実現するため、国の名前を「朝鮮」とし、都を漢城(かんじょう)に移しました。

  • 景福宮

漢城は、現在のソウル市中心部。
19世紀に再建された王宮(画像)が残っています。

さらに、李成桂は、従来行われてきた仏教の教えに基づく政治を改めて、儒教に基づいて国を治めるという新しい道を進んでいったのです。

  • 六反田豊先生

東京大学教授の六反田豊先生にお話をうかがいます。

マヤ「朝鮮王朝を建国した李成桂は、どうして仏教から儒教へと転換をはかったんでしょうか?」

六反田先生 「高麗では末期になると、既得権益をもった支配層が堕落していました。さらに仏教が大きな権力を握っていて、軍隊などの武力を持つようになっていました。儒者たちはこれを仏教の堕落ととらえました。
建国当時、李成桂は儒教、特に高麗末期に改革派が学んでいた『朱子学』を重視しまして、その朱子学を『国を治めるための教え』として広めていきます。」

  • 孔子
  • 朱熹

李成桂が重んじた朱子学とは、儒教の新しい学問体系の一つです。
中国・春秋(しゅんじゅう)時代の思想家「孔子」が説いた儒教は、「“親愛の情”を大切にし、“家族の道徳”を実践すれば、社会の秩序が保たれる」という教えでした。
12世紀に「朱熹(しゅき)」が儒教の教えに解説を加えて体系化したものが朱子学です。
その特徴は、上下関係を大切にし、身分制度を守ることに重きを置いていることです。
朱子学は、支配階級の存在意義や目指す方向を理論づけるものとして、やがて儒学の主流となっていきました。

マヤ 「政治との結びつきでは朱子学というのはどういう影響を及ぼしたんですか?」

六反田先生 「例えば、君主と臣下との関係、君臣関係というのは非常に重視して、国王を頂点とするそういう政治体制を築き上げていこうというふうにしたんですね。」

マヤ 「李成桂によって登用された朱子学を修めた人たちは、やっと自分たちの国づくりができると意気込んだでしょうね。」

六反田先生 「はい。この当時、登用された新進の官僚たちがいるわけですけれど、彼らを登用する試験のことを『科挙(かきょ)』といいます。
これは中国から朝鮮半島に伝わった制度ですよね。その科挙に合格した官僚のことを『両班(ヤンバン)』といいました。」

  • 両班

朝鮮王朝では、宮殿で儀式などを行なうとき、官僚たちは左右に分かれて並びました。
行政を担う「文班(ぶんぱん)」、軍を指揮する「武班(ぶはん)」が、それぞれ官位の高い順に並ぶ決まりでした。
ここから、官僚のことを両班(ヤンバン)と呼ぶようになったのです。

この両班になるための国家試験、科挙は、朱子学の教えに根差した、とても難しいものでした。制度上は誰でも科挙を受けられましたが、実際には、試験に向けた勉強のできる環境を用意できるのはごく限られた人たちでした。

早紀 「韓国ドラマの時代劇を見ると、両班という特権階級があるのかなと思っていたんですが、官僚のこと指していたんですね。」

六反田先生 「はい、当初、両班という言葉は科挙に合格した官僚を指していました。しかし、朝鮮時代のあとになればなるほど、官僚とそれを輩出する社会階層、支配階級の士族(士大夫)を示す言葉になっていきます。
儒教(朱子学)という学問を修めることができるのは、当時はやっぱり特定の支配階級に限られていました。だから、実際この科挙を受けられる人というのは限られていて、実質的には名門の一族などに徐々に固定化されていく、そういう傾向にありました。」

儒教文化の担い手としての士族・両班
  • 河回村と良洞村
  • 松の木を使用

韓国南東部の慶州(キョンジュ)市郊外に、両班の末裔が住む村があります。
朝鮮王朝時代の建物や文化をそのまま残しているとして、世界遺産に登録されています。
建物には、儒教の精神が込められているといいます。
例えば、一家の末永い繁栄を願って、寿命の長い松の木が使われています。

  • 蝶は子孫繁栄の象徴
  • 孫成熏さん

儒教で貴ばれる「礼」という精神は、客をもてなす心に現れます。
来客用のお菓子にも、ひとつひとつ意味があり、例えば卵をたくさん産む蝶は子孫繁栄の象徴です。
そして、もっとも大切にされるのが、親や祖先をあがめ敬う心「孝」です。

孫さん 「祖先を神としてあがめ敬うことで、我々子孫が団結し一族は一体感を保ち、絆を深めることができるのです。」

祖先への礼を尽くして祈りを捧げる行事が、いまも大切に受け継がれています。

マヤ 「儒教が朝鮮王朝で社会に広まった背景には、どういったことがあるんですか?」

六反田先生 「この儒教、その中でも特に“朱子学だけが正しい唯一の学問である”と定めたことですね。朱子学に限って、科挙制度の試験科目にもこれを採用したため、朝鮮王朝では朱子学が独自の発展をとげました。」

早紀 「朝鮮王朝時代の儒教文化が、今も残っているみたいなことってあるんですか?」

六反田先生 「儒教は支配階層だけのものではなくって、次第に一般の人々にも浸透して行くわけですよね。
私は1980年代に、韓国に住んだことがあるのですが、その時にも普通の一般の人々が「目上の人の前でお酒を飲む時には必ず横を向かないといけない」とか「目上の人の前ではタバコは吸ってはいけない」とか、そういう儒教が定める、儒教でいうところの『礼』という言葉がありますが『礼に基づいた人間関係』というものが残っていたのを記憶しています。」

マヤ 「確かに韓国の人たちは、目上の人や家族をすごく重んじる印象がありますよね。文化的にも深く根付いているということなんですね。」

中国文化の影響が強かった朝鮮王朝ですが、成立から半世紀ほど経つと、独自の文化を花開かせていきます。

  • 宗廟
  • 宗廟祭礼楽

朝鮮王朝歴代の王と王妃を祀る宗廟(チョンミョ)。
毎年5月に、盛大な祭礼が行われます。
演奏されているのは宗廟祭礼楽(そうびょうさいれいがく)という、朝鮮独自の音楽です。
もともと朝鮮半島では、中国から伝わった伝統的な宮中音楽が使われていました。
しかし、15世紀にこの宗廟祭礼楽がつくられ、今も大切にされています。

  • 世宗
  • ハングル

実は、この音楽、ある国王が作ったと言われています。
第4代国王「世宗(せいそう/セジョン)」
歴代の王の中で、特に文化面で大きな功績を残し、今も世宗大王と呼ばれ人々に親しまれています。

世宗の功績としてもっとも有名なのが、「訓民正音(くんみんせいおん)」、いわゆる「ハングル」を公布したことです。
表音文字であるハングルは、漢字と比べて学びやすく、“一般庶民でも便利に使えるように”と考えられたものです。

  • 一万ウォン札

マヤ 「世宗は、韓国でも特に尊敬される人、人気の高い人物ですよね。」

六反田先生 「そうですね。例えば小学校の校庭には必ず世宗の銅像があるとか、あるいは韓国の紙幣にも世宗の肖像が描かれていますね。
どうしてこんなに人気があるのか、それには理由があります。
一つは、民族の固有の文字であるハングルを制定した。これが世宗の一番の功績とされますね。
それ以外にも例えば、世宗は農業を非常に重視しました。中国から輸入してきた農法ではなくて、当時の官僚たちに、朝鮮半島在来の農法を研究させて、半島の気候に合わせた農法で農業を発展させていきます。
農業のための『暦』であるとか、あるいは雨量を測定するための『測雨器』などというのもつくらせています。」

朝鮮通信使と日本
  • 豊臣秀吉が朝鮮に軍を送る

16世紀末、朝鮮王朝を大きな戦乱が襲いました。
1592年、豊臣秀吉が朝鮮に軍を送ったのです。
朝鮮で「壬辰・丁酉の倭乱(じんしん・ていゆうのわらん)」、日本では「文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)」と呼ばれる事件です。
当初、日本が優勢に戦を進めましたが、朝鮮の求めに応じて明が援軍を送ると、戦いは膠着状態になります。
結局、1598年、秀吉の死をきっかけに日本は朝鮮半島から撤退し、両国の国交は断絶しました。

  • 姜ロ
  • 藤原惺

この戦いで捕虜となり、朝鮮から日本に連れてこられた人たちがいました。
その中で、後の日本文化に大きな影響を与えることとなったのが、朱子学者の「姜ロ(きょうこう/カンハン)」です。
姜ロは、両班の家に生まれ、25歳という若さで科挙に合格した秀才でした。
捕虜となった姜ロと出会ったのが、僧侶の「藤原惺窩(せいか)」です。
当時、惺窩は明に渡って、本格的に儒教を学びたいと考えていました。
二人は、言葉は通じないものの、筆談で交流を深め、惺窩は朱子学を体系的に学ぶことができたのです。

そのころ、江戸幕府を開いた徳川家康は、国を治めるためのよりどころとなる思想を模索していました。
そして、惺窩から朱子学を教わり、これを幕府統治の思想として採用したのです。

  • 朝鮮通信使
  • 500人ほどの行列

家康はまた、さらなる権力基盤の強化のため、秀吉の侵略以降、国交を断絶していた朝鮮王朝に国書を送りました。
この時、朝鮮側では、侵略への強い恨みから慎重論も出ましたが、結局は日本側の求めに応じました。
返答の国書を届けるため、国王の使節を派遣したのです。
この使節は「朝鮮通信使」と呼ばれ、その後江戸時代を通じて合計12回日本を訪れました
通信使には音楽家や儒学者、医師などが同行し、道中で珍しい異国の文化を披露したり先進的な学問を伝えたりしました。

六反田先生 「一般の人々は、当時は外国人と接する機会がほとんどなかったわけですよね。朝鮮通信使というのは500人ほどの行列で行進をしてくるわけですけれども、これは大変珍しく興味を引くものでした。通信使の珍しい姿などが民俗芸能に取り入れられたりして、現代に伝わっています。」

マヤ 「国交断絶から10年足らずで、朝鮮通信使が日本を訪れていますよね。家康が朝鮮王朝との国交回復を強く望んだ理由はなんですか?」

六反田先生 「家康は、朝鮮王朝が使節を日本に送ることで、幕府の正当性を国内に示すことになると考えました。
通信使は朝鮮国王と将軍との間の対等な使節なんですけれども、日本国内ではこれを“将軍の下に外国から挨拶に来ると見せかける”ことが目的だったということになります。」

マヤ 「一方で朝鮮王朝が国交回復に応じる理由はなんだったのでしょうか。」

六反田先生 「朝鮮王朝においても、日本との国交を回復しておきたい切実な理由があったんですね。
この時期になると、朝鮮半島の北側、中国大陸の情勢が非常に不安定になってきたので、南側の日本との関係を安定させておきたいと考えた。
それからさらにいえば、また日本が朝鮮半島を攻めてくるんじゃないか、その準備をしているんじゃないか、ということを非常に不安に思って、日本の国情を探索したい、そういう意図もあったと思います。」

早紀 「朝鮮通信使と日本の人たちには交流があったそうなんですが、どんな交流があったんでしょうか?」

六反田先生 「日本では、武士などの知識人が朱子学を学んでいました。そこで、道中の宿舎を訪ねて儒学者たちと漢字を使い筆談などをして、知識を吸収するなどの交流をしました。」

マヤ 「当時の朝鮮王朝と徳川幕府は、朱子学という同じ価値観を共有していたんですね。」


それでは次回もお楽しみに!

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