NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第15回

モンゴル帝国

  • 世界史監修:立教大学教授 上田 信
学習ポイント学習ポイント

モンゴル帝国

  • 政井マヤさん
  • 野呂汰雅さん

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。

  • モンゴル帝国

13世紀、ユーラシア大陸をまたぐように出現した「モンゴル帝国」
その帝国支配により、東西の世界を結ぶ交易路の治安が一気に確保されました。
文化交流が盛んとなり、中国・宋の時代に生まれた三大発明「火薬」、「羅針盤」、「印刷術」などがヨーロッパへと伝わっていきます。
西からも人の移動が活発になったことで、数多くの宗教使節や商人たちがモンゴル支配の中国を訪れました。
人、モノに加えて情報の交流は、東西交流の結びつきを強め、互いへの関心も深めていきました。
なかでもヨーロッパの人々が抱いた東アジアへの憧れは、「大航海時代」など、歴史を動かす原動力になっていくのです。

ユーラシア大陸のほぼ全域を支配し、その後の世界に大きな影響を与えたモンゴル帝国の歴史をみていきます。

  • トゥグルグ
  • チンギス・ハン

モンゴルの紙幣「トゥグルグ」を見つけた汰雅さん。
金額が異なるのに、3枚とも同じ人物が描かれています。
描かれているのは、モンゴルの英雄「チンギス・ハン」

マヤ 「遊牧民族のリーダーとなって、世界史上最大領域となった帝国の基礎をつくった人ね。」

  • モンゴル高原
  • チンギス・ハン

モンゴル帝国の創建者チンギス・ハンは、12世紀後半モンゴル高原東北部で生まれました。
幼名をテムジンといいました。
モンゴルの部族の中でリーダー的存在だった父を幼くして亡くしたテムジンは、やがて自らの行動力と統率力で勢力を拡大していきます。
テムジンは、モンゴル系・トルコ系の人々を統一し、1206年、モンゴルの部族長が集まる最高議決機関「クリルタイ」で全部族の遊牧民を束ねる君主「ハン」の称号を得て「チンギス・ハン」と名乗ります。

モンゴル帝国の成立
  • 金を攻略
  • チンギス・ハン死後も一族による領土拡大路線が引き継がれた

チンギス・ハンは、それまで部族ごとに編成されていた組織を「千戸制(せんこせい)」という仕組みに改め、軍事・行政を統括します。
全遊牧民を、10人の兵士を動員する集団に分け、その集団を10個束ねて100人の兵士を出す集団にしました。
さらに1000人の兵士を出す集団にして、チンギス・ハンを頂点とする中央集権化した体制に再編成したのです。
遊牧民族特有の機動力を千戸制でさらに高め、強大な騎馬軍団を組織します。
ただちに、チンギス・ハンは東へ向かい、金(きん)を攻めると、中国・華北の北半分を占領。
さらに西へと遠征し、支配を広げます。
チンギス・ハンの死後もオゴタイ、バトゥ、フラグなど一族による領土拡大路線は引き継がれました。

  • オゴタイ
  • ウルスが成立

第2代皇帝「オゴタイ」は、金を滅ぼし、中国・華北を支配します。
ロシアなど東ヨーロッパにまで攻め込んだ「バトゥ」は、ポーランドの町を徹底的に破壊したと伝えられています。
「ワールシュタットの戦い」とも呼ばれ、ヨーロッパ諸国に衝撃を与えました。
西アジアに侵入した「フラグ」の遠征軍は、バグダードを占領してアッバース朝を滅ぼし、勢力を伸ばしました。
征服地は、チンギス・ハンの一族に領土として分け与えられ、「チャガタイ」、「キプチャク」、「イル」の、三つのハン国「ウルス」が成立しました。

  • フビライ
  • 南宋を滅ぼす

さらに、13世紀後半、チンギス・ハンの孫「フビライ」が第5代皇帝になると、都を大都、現在の北京に移し、1271年、国号を中国風の「元」と定め、新しい帝国の建設に乗り出します。
そしてついに南宋を滅ぼし、中国全土の支配を成し遂げました。

  • 大ハン

これらモンゴルの国全体の盟主を大ハン(元)とよび、この大ハンのもとで、各国はゆるやかに連合し、世界史上最大の領域を持つモンゴル帝国が形成されました。

  • 上田信先生
  • 直接支配をせずさまざまな恩恵を与える

お話を伺うのは、立教大学 教授の上田信先生です。

汰雅 「東ヨーロッパの町を徹底的に破壊したと聞くと、残虐だと感じたんですけど..。」

上田先生 「そうですね。抵抗する町は、徹底的に破壊したといわれています。しかし先に投降した町については、住民に危害を加えなかったので、自ら進んで投降する町もあったんです。
そのことによって、効率的に支配領域を広げることができたと考えることもできます。」

マヤ 「モンゴル帝国を構成する各ハン国は、『大ハン国のもと、ゆるやかに連合していた』ということなんですが、この『ゆるやかな連合』というのは、どういうイメージすれば良いですか?」

上田先生 「直接支配するということではなく、元朝からそれぞれのハン国にさまざまな恩恵を与えるという形をとりました。例えば銀を渡したり。その銀によってまた元朝の物産を買うという形で大きな循環ができていました。そのことによって、各ハン国が自ら進んで元朝を盟主として仰ぐというように、ゆるやかに社会が構成されていました。同時に、チンギス・ハンの子孫であるということが、権威のよりどころとして重視されました。」

  • 元の国内統治

汰雅 「そんな一族重視のゆるい統治の仕方で、本当に国を治めることができたんですか?」

上田先生 「元朝を中心に考えますと、元朝はそれぞれの出身の民族や宗教を問わず、積極的に有能な人材を登用していきました。
一方、元朝は中国の中ではもともとあった社会制度に大きな変化は与えないという形で統治を行いました。
そういった意味では、非常に合理的な体質を持った帝国だったと言えると思います。」

陸と海をめぐる交易
  • 草原の道とシルクロードに沿うように領土を拡大
  • カラコルム

モンゴル帝国が、草原の道とシルクロードに沿うように領土を拡大していくと、遊牧民族の間で繰り返されてきた抗争が終わり、東西を結ぶ交易路の安全が確保されていきました。
また、交通路の治安とともに、その整備にも力が入れられました。
そのひとつ、チンギス・ハンが創設し、オゴタイの時代に確立した画期的なシステムが「駅伝制(ジャムチ)」です。
支配地域の主要な交易ルートに駅がつくられ、宿泊施設などが設けられました。
また、役所が発行した通行許可証を持つ人には食事や馬が提供されました。
さらに、このルートでは公文書を郵便のように受け渡していく仕組みもありました。
駅伝制により、人やものが盛んに往来するようになっただけでなく、情報も速やかに伝えられたのです。

交易路では、商人たちが通行税を免除されました。
商業活動が活発となる一方、物資が運ばれた先で徴収する商業税により、モンゴル帝国の財政が強化されました。

こうした交通網の中心だった、「カラコルム」には世界各地から人々が訪れ、キリスト教会やイスラームの寺院が建てられました。

  • 海の道での交易

13世紀後半、フビライは南宋を滅ぼしたことで、広州・泉州など海上貿易で繁栄していた都市と海の道の交易路も手に入れます。
陸のネットワークが、海上交易路とつながり、中国の絹織物や陶磁器などが取引され、文化の交流も一気に進んでいくのです。

  • 交鈔
  • 弐貫

汰雅 「モンゴル帝国の駅伝制のおかげで、安心して交易路を通ることができて、東西の交流が活発になっていったってことなんですね。」

上田先生 「この時代、交易活動を保護することによって、経済的に大きな転機をもたらしたと言えますね。」

「交鈔(こうしょう)」と呼ばれる、元が発行した紙幣。
この交鈔は額面「弐(二)貫」と記載されています。
一貫は、一文銭銅貨1000枚に相当します。
銀や銅貨よりも大量に製造が可能で、輸送に便利なので広く流通しました。
紙でできたこの交鈔が、銅貨2000枚の価値を持ったのは元という国の信用に基づいていたからといわれています。

  • 偽造者は死刑に処す
  • 密告者には偽造者の財産を没収して渡す

上田先生 「この交鈔はレプリカですが、ほぼ実物大で作っています。縦が約28cmくらいあったといわれていますね。」

マヤ 「でも、当時は銀が通貨としてあったんじゃないですか?」

上田先生 「交易が盛んになると、銀の補助としてこういう紙幣を発行したということになります。
“偽造した者は死刑に処す”、“密告した者には偽造した者の財産を没収して渡す”と書かれています。」

マヤ 「お金の偽造は大罪になる。それだけ経済に打撃を与えるということですよね。」

上田先生 「そういうことで、新しい経済システムをつくりながら、経済的に大いに発展したということになります。」

  • 新たな運河を建設し、大都への海路も整備

フビライは、江南の豊富な穀物や物産を首都大都へ迂回せずに運ぶために、隋代に開設された大運河を再整備し、新たな運河を建設しました。
さらに、当時発達していた海運を生かすため、大都への海路も整備することで経済が発展していきました。
こうして、モンゴル帝国の繁栄は陸路と海路を通じた商業ネットワークによって支えられましたが。やがてその勢いにもかげりが見え始めます。

モンゴル帝国の衰退
  • パスパ
  • 妙応寺白塔

フビライは、1274年、1281年の2度にわたる元寇で、当時、鎌倉時代の日本に攻撃をしかけますが、失敗に終わります。
日本以外にも、ビルマ・ベトナム・ジャワへと遠征を繰り返しますが、その多くは失敗します。
そして、1294年、フビライがこの世を去ると、帝位をめぐる争いが続き、元の政治は混乱します。

また、経済面では、チベット仏教の高僧パスパがフビライに厚遇されたことなどから、寺院の建立などに莫大な費用がかかり、財政難が引き起こされました。
その打開策として交鈔が乱発され、さらに経済は混乱に陥り、14世紀中ごろから、各地で反乱が起こります。

  • モンゴル高原に退去

さらに、宗教結社白蓮教(びゃくれんきょう)が主導した農民反乱「紅巾(こうきん)の乱」をきっかけに建国された漢民族国家「明」との戦いに敗れた元は、1368年に大都を放棄し、モンゴル高原に退きました。
イル・ハン国は14世紀中ごろに解体、チャガタイ・ハン国も、同じころに分裂します。
キプチャク・ハン国もしだいに弱体化し、16世紀に滅亡します。

  • 交鈔を印刷するための版木

上田先生 「経済的な面では興味深い話もあるんです。当時の中国の経済は、江南の物資によって支えられ、それを大都まで運ぶということをやっていました。運河も使っていましたが、メインルートは海でした。その海で物を運ぶ海運業者は、もともと海賊出身だったといわれています。
その元締めに、通貨の交鈔を印刷するための版木を渡してしまっていたんですね。その版木で海運に必要な費用を印刷して払っていたんです。今の我々からすると不思議ですけれども、国家事業ですので、必要経費をこれで出し、必要以上に刷ってはいけないことになっていたとは思います。しかし、中央がお金の発行量をコントロールするわけではなかったんです。そのために、おそらく勝手に印刷してしまうことがあったと思います。そういうことが、経済の混乱を招くことにつながっていったのだと思います。」

交鈔の発行量を適正に管理できなくなっていた元では、さらにそのことが原因で、江南からの物資が円滑に運搬されないという事態が追い打ちをかけ、経済は混乱します。

上田先生 「ちょうどその折、明朝の軍隊が迫ってきました。元朝の皇室が中国にとどまらず、モンゴル高原へ戻っていくこと(の一因)になったわけです。
そして帝国解体後に、新たな、そして意外な動きがアジアで出てきます。」

帝国の遺産
  • ティムール
  • ティムール帝国建国

西方では、チャガタイ・ハン国の分裂後に中央アジアを統一したのが、こうした混乱から勢力を伸ばした軍人「ティムール」です。
モンゴル帝国の再興を目指し、「ティムール帝国」を建国しました。
その首都サマルカンドは、一度はチンギス・ハンに破壊された地でしたが、ティムールによって、繁栄を極めました。

  • バーブル
  • タージ・マハル

  • ミニアチュール
  • 大航海時代

15世紀末、そのティムールの子孫として、モンゴルの血を継ぐ「バーブル」は、「ムガル帝国」を建国します。
のちに、インドのほぼ全域を支配するムガル帝国では、タージ・マハルに代表される独自の建築や細密画・ミニアチュールと呼ばれる精密な絵画が発展しました。
こうした繁栄により、交易ルートが内陸から海へと移っていくと、インドの綿、東南アジアの香辛料などが船で大量に行き交うようになります。
そして16世紀、このインド洋交易路にヨーロッパ人も乗り出してきます。

モンゴル帝国が結びつけた東西交流は、次の時代に受け継がれていくことになるのです。

マヤ 「モンゴル帝国が世界史に与えた影響は、大きかったんでしょうね。」

上田先生 「元朝が中国から引き上げたあとも、モンゴル帝国の影響はずっと続くわけです。例えば、ムガル帝国。“ムガル”はもともとペルシア語で『モンゴル』を意味する“ムグール”という言葉がなまって“ムガル”になったといわれています。
モンゴル帝国は、ユーラシア大陸全域にまたがるほどの帝国をつくりあげ、そしてヨーロッパやアジアとの関係が緊密になっていきました。そのことによって、新しい局面が始まります。“本当の意味での世界史はモンゴル帝国から始まった”という学者もいますね。」


それでは次回もお楽しみに!

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