NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です。

世界史

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今回の学習

第14回

モンゴル帝国 〜草原と海の帝国〜

  • 世界史監修:立教大学教授 上田 信
学習ポイント学習ポイント

1.モンゴル高原と遊牧 2.チンギス・ハンと帝国の成立 3.フビライ・ハンと海のルート

  • モンゴル帝国の領域は、世界史上最大

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「モンゴル帝国」です。

今から約800年前に、モンゴル高原出身の遊牧民が、ユーラシア大陸に巨大な帝国を作りました。草原と海を舞台にした、モンゴル帝国の領域は、世界史上最大と言われています。
今回は、その成立と繁栄について見ていきます。

  • 訪れる場所と時代
  • モンゴル帝国・繁栄の謎

今回のビュー・ポイントは、

1.モンゴル高原と遊牧
2.チンギス・ハンと帝国の成立
3.フビライ・ハンと海のルート

の3点です。

訪れる場所は、中国の東からヨーロッパにかけての、ユーラシア大陸。時代は、13世紀初めから14世紀です。

訪れる広大なモンゴル高原には、かつて遊牧民の巨大な帝国が誕生しました。
強大な騎馬軍団を率いてモンゴル帝国を築いたのが、チンギス・ハン。そして、その全盛を極めたのが孫のフビライ・ハンです。

フビライ・ハンは、モンゴル帝国の都を、現在の中国の首都である北京に移しました。
モンゴル帝国は、どのようにして繁栄したのでしょうか。
草原と海の帝国、モンゴルの繁栄の謎にせまる旅に、出かけましょう!

  • モンゴルといえば元寇

眞鍋さん 「モンゴルというと、中国の文化とはまた全然違うイメージがあるけれど、やはり世界史上最大というだけあって、中国の北京にまで勢力を延ばしていたんだね。」

永松さん 「僕はモンゴルといえば、日本に攻めてきた元寇のイメージを持っていたのですが、実はモンゴル帝国を興した人々は草原の民で、遊牧を行っていたんです。」

眞鍋さん 「遊牧民って、平和で素朴な暮らしをしているっていうイメージがあるんだけど、どんな暮らしだったのかな。」

1.モンゴル高原と遊牧
  • 中国北方にある広大なモンゴル高原
  • 古くから遊牧が行われた

最初に訪れるのは、ユーラシア内陸部、中国の北方に広がる広大なモンゴル高原です。
モンゴル高原は、極度に乾燥した地帯で、冬は寒さが厳しく−40℃にも達することがあります。そのため、農耕には適していません。

古くからヤギや羊、馬などを放牧し、牧草を求めて家畜とともに住居を移動する遊牧が行われてきました。
牧草地の草を食べつくさないように、季節に応じて、生活する場を変えていきます。

  • ゲルは1時間程度で組み立て完了
  • ヤギや羊の乳を使った乳製品が主食

住んでいるのは、ゲルと呼ばれる伝統的な移動式住居です。ゲルは、わずか1時間程度で組み立てることができます。
モンゴルの遊牧民の主食は、家畜のヤギや羊の肉、またその乳を使ったチーズやヨーグルトなどの乳製品です。
モンゴル帝国を興した人々も、こうした生活をしていたと考えられています。

馬を駆って長距離を移動する遊牧民たちは、やがて高い機動力をいかし、強力な騎馬軍団になっていきました。

  • 独特なにおいのモンゴル料理
  • “赤い食べ物” と “白い食べ物”

眞鍋さん 「確かに、乳製品をたくさん食べるっていうイメージは もともとあったな。でも、牛のミルク以外の乳製品もあって、日本人にあまり馴染みのないような独特の風味じゃないかなと想像はしていたんだけど。どんな味なのかな?」

永松さん 「そこで、リーダーのために、モンゴルの伝統的な料理を用意してきました。“羊肉の塩ゆで” と “モンゴル牛のチーズ” です。」

眞鍋さん 「かなり独特の匂いがしてくるね。ちょっとかじってみていい?」

永松さん 「とても固いので、気をつけてください。」

眞鍋さん 「本当に固い!」


モンゴルでは、人は “赤い食べ物” と “白い食べ物” で生きているという考え方があるといいます。赤い食べ物とは羊などの肉のことで、白い食べ物とはチーズやヨーグルトなどの乳製品のことです。
家畜は、移動手段でもあり、食料としても利用されています。


眞鍋さん 「家畜とともに生活をしているんだね。でも遊牧民の素朴な暮らしをしている人たちが、そんなに強い帝国を築いたっていうことが結びつかないんだけど、モンゴル帝国はどのように始まったのかな?」

永松さん 「モンゴル帝国を興したのは、チンギス・ハンです。それでは、チンギス・ハンはどのようにしてモンゴル帝国を興したのかを見てみましょう。」

2.チンギス・ハンと帝国の成立
  • モンゴル帝国最初の都、カラコルム

マジカルヒストリーツアー、続いては、モンゴル高原の中央にあるオルホン渓谷を訪れます。
ここにはかつて、モンゴル帝国最初の都、カラコルムがありました。後の時代に破壊され、現在は町の姿はほとんど残っていません。

カラコルムは、いったいどのような町だったのでしょうか。
その様子を知るために、時間をさかのぼってマジカル・ジャンプ!

  • モンゴル帝国を建国
  • 千戸制で巨大な騎馬軍団を組織

テムジン(チンギス・ハン)は、12世紀後半、モンゴル高原のバイカル湖近くの牧草地で生まれました。彼は有力なリーダーだった父を毒殺され、一族からも見放されて育ちました。やがてテムジンは、自らの行動力と統率力で、次第に勢力を拡大していきました。

テムジンは1206年、モンゴルの有力者が集まる最高意思決定会議であるクリルタイで、全部族の遊牧民を束ねる統一者=ハンの称号を得て チンギス・ハンとなります。
そしてモンゴル系、トルコ系の人々を統一し、モンゴル帝国を興しました。

チンギス・ハンは、遊牧民を千の世帯ごとにまとめる “千戸制” を始めました。
各世帯から戦士を1名出させて巨大な騎馬軍団を組織し、ユーラシア大陸の西へ、大遠征を繰り広げました。

その目的は、交易のルートを拡大し、鉄や絹などを手に入れて国を豊かにしようというものでした。

草原の道とシルクロードに沿って栄えた

草原の道とシルクロードは、モンゴル帝国以前から交易が行われていました。チンギス・ハンは、この2つの道に沿うように領域を拡大します。
ユーラシア大陸の東からカスピ海に至るまで、アジアとヨーロッパにまたがる広大な領域を支配下におき、世界帝国の礎を築いていきました。
遠征は、チンギス・ハンの息子である第2代皇帝オゴタイに引き継がれ、西は地中海にまで勢力を伸ばしました。

  • オゴタイが築いたカラコルム

オゴタイが築いたモンゴル帝国の首都 カラコルムは、草原の道の一大拠点として発展し、多くの外国商人たちがやってきました。

世界各地から訪れる人々のために、イスラーム寺院やキリスト教会も建てられ、モンゴル帝国の中心として栄えたのです。


眞鍋さん 「遊牧民は定住しないで生きているから、国としてまとまれるのかという疑問はあったけど、あのように千単位でまとめたり、そこから戦士を出させたりするシステムを作り上げてあれだけ強くなったんだ。」

永松さん 「そんなモンゴル軍ですが、1日で時に100キロメートル以上も移動できたそうなんです。」

眞鍋さん 「当時の100キロメートルってすごいだろうね。」

永松さん 「そして陸上の交易を手に入れたモンゴル帝国は、さらに富を求め、領土を拡大します。チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンによって、次はなんと海に進出していくんです。」

3.フビライ・ハンと海のルート
  • 初めて北京に都を置いたのはモンゴル帝国

現在の中国の首都 北京は、政治や文化の中心として栄える、世界有数のメガシティです。中国の統一王朝で、ここに初めて都を置いたのは、モンゴル帝国でした。

いったいなぜ、モンゴル帝国は、この地に都をおいたのでしょうか?
その理由を解き明かすために、時間をさかのぼってマジカル・ジャンプ!

  • 13世紀中ごろのゆるやかな連合
  • フビライ・ハンは、さらなる領土拡大を目指す

13世紀中ごろ、モンゴル帝国は、皇帝=大ハンのもと、モンゴル一族の支配する国々がゆるやかに連合していました。
チンギス・ハンの孫、フビライ・ハンは、さらに領土を拡大しようとしていきます。

  • 南宋攻略のため、首都を大都に移す
  • 中国様式の宮殿の横にはゲルも立ち並ぶ

ユーラシア大陸の東西に領域を広げていたモンゴル帝国でしたが、中国の南部にはまだその支配が及んでいませんでした。
漢民族の国、南宋がモンゴル帝国に抵抗していたためです。

フビライは、帝国の都をモンゴル高原のカラコルムから約1400キロメートル離れた、漢民族が多く暮らす地域の町に移しました。この場所は、現在の北京の位置であり、名前を大都とします。
フビライは、この町を拠点として、南宋を攻略しようとしました。

フビライが作った都 大都の宮殿は、漢民族との融合を意識し、典型的な中国様式で建てられています。
1271年、フビライは、国号を中国風の元と定めました。
その一方で、宮殿のすぐ横には、遊牧民ゆかりの移動式住居であるゲルが立ち並んでいました。
この大都を拠点にして、フビライは、さらに帝国を南に拡大していきます。

  • 1279年に南宋を滅ぼし世界帝国に
  • 海の道での交易を盛んに

1279年、フビライは南宋を滅ぼし、中国を統一します。こうして元を中心に、モンゴル帝国は、世界史上最大の領域を持つ世界帝国となったのです。

海に面した南宋を手に入れたフビライは、海の道での交易を盛んにしました。

  • 大都まで運河を建設

さらにフビライは、運河を建設し、首都大都まで海の道をつなげました。

草原の道やシルクロード、そして海の道がつながった大都は、世界各地の物資にあふれ、繁栄を極めました。

  • 東方見聞録を書いたマルコ・ポーロ
  • 繁栄を極めた大都

この頃大都を訪れたイタリアのヴェネツィアの商人 マルコ・ポーロは、旅行記「東方見聞録」でこう述べています。

「日々都にやってくる商人や外国人はおびただしい数にのぼり、世界中のどんな都市よりも高価な商品が売買され、その量も他の追随を許さない……」

遊牧民の軍事力を維持しながら、中国を支配したフビライの時代は、「モンゴルの平和」と称えられています。


眞鍋さん 「モンゴルの歴史について、あまり知らなかったけども、この時代はまさに世界の中心だったんだね。ヨーロッパから来たマルコ・ポーロが、驚くほど豊かだったってことだもんね。」

永松さん 「モンゴル帝国は、陸路ではヨーロッパまで、海の道ではアフリカまでつながり、交易を行っていたんです。」

眞鍋さん 「本当に史上最大の大帝国だったんだね。」

Deep in 世界史
  • 上田 信先生
  • パイザと呼ばれる通行証のようなもの

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、上田 信 先生(立教大学 教授)に歴史の深い話をうかがいます。
今回は、モンゴル帝国が、なぜ広大な土地を治めることができたのかについてです。

上田先生は、その謎を解くための一つの鍵となるという、“パイザ(牌符:はいふ)” と呼ばれるものの実物大の模型を持ってきてくださいました。

上田先生 「マルコ・ポーロが口述したという東方見聞録(世界の記述)は、世界の記と言われています。その中に、このパイザについて非常に詳しく書かれていて、紹介してみたいと思います。」

永松さん 「パイザについて載っているんですか?」

  • 当時の主要幹線道路には駅が置かれていた

広大なユーラシアの主要幹線路には、25〜30マイル(40〜48キロメートル)ごとに駅が置かれていました。各駅には300〜400頭の馬が常に配置されていました。公用の旅をする人は、パイザと呼ばれる通行証のようなものを持って旅をします。このパイザには、木製や金、銀製などいろいろな種類がありました。パイザの種類は、急ぎの度合いなどによって種類が決まっていたといいます。

上田先生 「たとえば、遠方で反乱が起き、早く皇帝の元に情報を届けなければならないとします。そのような時に、本当にすごいスピードで駆けて行って次の駅に着きますと、すでに乗り換えるための馬が用意されている。そして、このパイザを示して、馬を乗り換えて、また次の駅に向かって延々と走っていく。休みなく走って、いち早くその情報をかつての大都、今の北京まで一気に伝わるということになったわけです。」

眞鍋さん 「パイザを持っていれば、通行もできるし、馬の乗り換えもできると。」

上田先生 「そういうことです。」

  • 商人たちがモンゴル帝国を支えた
  • 次回もお楽しみに〜

商用で旅をする人々も、かつては関所や国境線などによって自由な移動が妨げられ、ひと息で旅ができなかったといいます。ところがモンゴル帝国の政策のもとでは、安全に、障壁もなく旅をすることができるようになりました。


上田先生 「そのことによって、交易がユーラシア全体で非常に盛んになるわけですね。すると、交易にたずさわっている商人たちは、『こういうことをやってくれたモンゴル帝国を支えようじゃないか。』という形で財政的に、あるいはアドバイスをしたりという形でモンゴル帝国を支えるようになりました。これによって、あれだけの広大な領地を統治することができたと、いうことになりますね。」

眞鍋さん 「言ってみれば、パスポートとチケットが一緒になったようなものですね。」

上田先生 「そうですね。これを持っていれば、乗り継ぎ乗り継ぎ、いち早く届けることができるようになったわけです。」

眞鍋さん 「やはり広大な土地を治める秘密はこれだったんだね。」

永松さん 「パイザに鍵があるということですね。」

眞鍋さん 「遊牧民族が広い土地を治めるために、どういう風にしていたんだろうって疑問だったけど、その鍵はスピードだったんですね。」

永松さん 「機動力が大きな力となっていましたね。」


それでは、次回もお楽しみに!

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