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世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第14回

十字軍の時代

  • 世界史監修:一橋大学教授 大月康弘
学習ポイント学習ポイント

十字軍の時代

  • 十字軍

今回のテーマは「十字軍の時代」。

11世紀の末、西ヨーロッパでは、諸侯から民衆までが一致団結して、キリスト教の聖地とされていたエルサレムをイスラーム勢力から奪還しようとする運動が巻き起こりました。
そこで結成されたのが、「十字軍」です。
およそ200年間に、7回おこなわれた十字軍の遠征は、封建制度のもと、荘園での生活を続けていた西ヨーロッパの農民たちの暮らしにも、影響を与えます。

歴史の大きな転換点となった、十字軍の時代をみていきます。

  • 富田早紀さん、政井マヤさん、大月康弘先生
  • 三圃制

それでは、政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、今回も世界史のおもしろさを探っていきましょう。
お話をうかがうのは、一橋大学教授の大月康弘先生です。

早紀 「11世紀の西ヨーロッパって、お城と教会のほかは、ほとんど畑しかなかったんだ…。」

大月先生 「この頃は、人口の90%以上が農民で、ほとんどが領主の荘園で暮らしていたんですよ。土地をめぐる争いもあったようで、(農民は領主に)収穫物、いわば年貢を納める代わりに、外の敵から身を守ってもらっていました。
でも、11世紀ごろになると農業技術も発達して、生産力が大きく向上したんです。」

土地がやせるのを防ぐために畑を3つに分けて、ひとつは3年に一度休ませる「三圃制(さんぽせい)」という農法を取り入れたり、車輪の付いた鉄製の農耕具を開発したりすることで生産力が向上しました。(画像・右)

早紀 「農業生産力が向上すると、余った農産物が農民のものになって、農民は豊かになっていったってことでしょうか?」

大月先生 「農業の生産量は増加したんですが、人口も合わせて増加しました。なので、必ずしも豊かになったというわけではないんです。物々交換で成り立っていた農村社会で農作物の生産量が増大し、余剰が生まれました。それが市場で取引されるようになって、商業が生まれていったのです。」

十字軍の背景
  • 3つの宗教が集まる特別な場所
  • 嘆きの壁

  • 聖墳墓教会
  • 岩のドーム

11世紀、キリスト教徒にとって、エルサレムはイエスキリストの墓があることから、聖地とされていました。
現在もエルサレムの旧市街は、1キロ四方の城壁の中に3つの宗教の聖地が集まる特別な場所です。

ユダヤ教の神聖な祈りの場所「嘆きの壁」。
イエスキリストが葬られたとされる「聖墳墓(せいふんぼ)教会」。
イスラームの預言者ムハンマドが天に昇ったと伝えられる「岩のドーム」。
エルサレムは7世紀からイスラーム勢力の支配下にありましたが、それぞれの教徒はおおむね平和に共存していました。

  • セルジューク朝がビザンツ帝国の領土へ進出
  • ウルバヌス2世

ところが、11世紀後半、エルサレムを占領したセルジューク朝が、ビザンツ帝国の領土へと進出してきました。
セルジューク朝の進出に脅威を感じたビザンツ皇帝は、ローマ教皇に救援を求めます。
要請を受けたローマ教皇「ウルバヌス2世」は、1095年、フランスのクレルモンでおこなわれた聖職者たちの会議で、聖地エルサレムの奪還を呼びかけました。
その言葉に、西ヨーロッパの諸侯や民衆は熱狂し、十字軍が結成されたのです。

マヤ 「当時、ローマ教皇とビザンツ帝国のコンスタンティノープル教会は敵対関係にあったわけですよね。どうして助けることにしたんでしょうか?」

大月先生 「東西の教会は、教義の違いや聖像崇拝をめぐる考え方の違いで、分裂していました。
そこで、ローマ教皇はビザンツ帝国に救援を出すことで恩を売って、教会を統一させるという考えを持ったようです。
そして、ローマ・カトリック教会を優位に立たせようと考えました。
(十字軍には)純粋に宗教心から参加した人たちも、もちろんいました。でも十字軍の背景には、この時代ならではの『さまざまな事情』があったんです。
さきほども話しましたが、11世紀ごろから農業生産力が向上しました。農作物がたくさん収穫できるようになったんですね。すると荘園内の人口も増加し、結果として土地不足という問題が起こります。」

  • レコンキスタ
  • 東方植民

人口が増えていった時代、ヨーロッパでは新しい土地を求める動きが活発となりました。
イベリア半島の国土回復運動「レコンキスタ」。
東ヨーロッパへの「東方植民」。
十字軍の遠征も、同じように外部への進出を象徴する出来事でした。
そして、十字軍は荘園の社会にも変化をもたらします。

  • 領主の家の場合

大月先生 「例えば荘園の領主の場合、長男は家督を継ぎ、次の領主になります。次男は食いっぱぐれのない教会の聖職者になる。しかし、三男には居場所がなく、言ってみれば“ブラブラしている”。そこで騎士が生まれました。彼らは、十字軍で活躍して自身の領地を得たいと願いました。
農民の場合はもっと深刻で、長男は親の農地を継げますが、次男・三男は居場所も食べ物の調達にも事欠く、いわば、あぶれ者。(領主からすると)戦いに出して、外で土地を得られれば最高。もし死んでしまっても、食いぶちを減らすことができるので、それも良しだったんですね。」

  • 第1回十字軍は主に陸路を進んだ
  • 第3回は海路を使った

西ヨーロッパの民衆の歓喜の中、1096年、第1回十字軍がエルサレム奪還を目指して出発しました。
現在のドイツとフランスの諸侯を主力とした第1回十字軍は、主に陸路を進み、ビザンツ帝国を通り、イスラーム勢力と闘いながらエルサレムを目指しました。
そして、多くの犠牲者を出しつつも、1099年に聖地を占領。
「エルサレム王国」を建てました。

この遠征では、財宝とともに、多くのムスリムやユダヤ教徒の命が奪われました。
しかし、その後イスラーム勢力が聖地をとりかえします。
対するローマ教皇も、ふたたび十字軍を招集。
このようにして、およそ200年にわたり、合計7回もの遠征が行われたのです。


マヤ 「この7回に渡る遠征のルートを見て見ると、いろんなことが分かってくるんですよね。」

大月先生 「まず第1回ですけれども、今の国の名前で言いますと、ドイツとフランスからアルプスを越えて、主に陸路でやってきたんですね。
第2回もほぼ同じルートですが、エルサレムまでは至らず失敗しています。
第3回は、ドイツからは陸路、そしてイギリスとフランスからは地中海を抜ける海路を使ってやってきました。」

マヤ 「十字軍の参加者たちは、地中海までやってきて、初めて外の世界を見た人が多かったわけですよね。」

大月先生 「そう。地中海地域の街の豊かさやイスラームの進んだ文化。それは彼らにとって衝撃的だったと思いますよ。例えば、十字軍の物資の補給を担当していた、ヴェネツィアやジェノバといったイタリアの商業都市は、地中海交易で大いに儲けていたんです。物々交換しか知らなかった西ヨーロッパの人たちにとっては、その光景はまさに“目からウロコ”だったんじゃないでしょうか?」

  • 第4回はコンスタンティノープルを攻めた

マヤ 「一方で、十字軍と関わって富を蓄える商人が出てきたことで、奇妙なことも起こるんですよね。こちらは第4回のルートになります。」

大月先生 「第4回の十字軍は、当時、相当の財力を手にして、十字軍の主導権を握るようになっていたヴェネツィアの商人たちの企てによって、聖地エルサレムではなく味方であるビザンツ帝国の都、コンスタンティノープルを攻めて、占領してしまったんです。」

早紀 「ヴェネツィアの商人たちは、なんでそんなことを企てたんですか?」

大月先生 「当時、ヴェネツィアは貿易を行う上でビザンツ帝国と確執がありました。十字軍が攻め落とすことで利益につながったというわけです。」

早紀 「でも、十字軍の本来の目的はエルサレムを奪還することでしたよね。おかしいと思う人はいなかったんですか?」

大月先生 「反対して十字軍を抜けた人々もいました。第4回十字軍を呼びかけたローマ教皇も、最初は激怒したと伝えられています。しかし、ローマ教会としては分裂した東西の教会を統一したいという思惑があったので、結局は認めてしまいました。」

十字軍とフリードリヒ2世
  • 第5回十字軍
  • フリードリヒ2世

1228年から始まった第5回の十字軍を率いたのは、「フリードリヒ2世」です。
フリードリヒ2世は、イスラームとキリスト教が共存していたシチリア王国で育ちました。
アラビア語を流暢に話し、イスラーム文化も理解していた若き皇帝は、武力を使わず、外交交渉による平和的な解決を試みました。

  • アル・カーミル

相手は、度々十字軍の進行を退けてきたアイユーブ朝のスルタン、「アル・カーミル」
フリードリヒ2世はアル・カーミルにアラビア語で書いた手紙を送り、自分の率直な気持ちを伝えようとしますが、イスラームを代表する立場のアル・カーミルはその要求を拒みます。
しかし、粘り強い交渉の末、二人は互いを理解し、キリスト教とイスラームがエルサレムで共存する道を選んだのです。
戦うことなく平和条約を結ぶことに成功した唯一の十字軍でした。
早紀 「これでイスラームとキリスト教の対立は、平和的に解決したんですね。」

大月先生 「10年ほど、エルサレムではキリスト教とイスラームが平和的に共存しました。これまでのキリスト教とイスラームの関係を考えると、二人のしたことは凄いことだったんですが、やっぱりうまくいかないんですね。エルサレムから故郷のシチリアに戻ったフリードリヒ2世は、ローマ教皇から軍隊を差し向けられ、破門されてしまうんです。
ローマ教皇にとっては、イスラームと戦わずして和平を結ぶのは悪魔と手を結ぶのと同じ、ということだったんですね。
残念ながらアル・カーミルも同じように、イスラーム勢力からの厳しい批判にさらされたようです。」

封建社会の変化と中世都市の成立
  • おもな海上交通路
  • おもな陸上交通路

人々の熱狂とともに始まった十字軍でしたが、その結果は、十字軍を呼びかけたローマ教皇は人々の信頼をなくし権威を失い、各地の領主たちは戦費がかさみ没落しました。
一方で、十字軍の物資輸送を担当したイタリアの海港都市は、莫大な富を築きました。
そして、十字軍の遠征をきっかけに、内陸部に交易路が広がり、各地に「遠隔地貿易(えんかくちぼうえき)」を行う中世の商業都市が誕生しました。

  • 地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏とシャンパーニュ
  • プロヴァン

地中海商業圏と北ヨーロッパ商業圏の中心に位置するシャンパーニュ地方は交通の要衝(ようしょう)として大いに発展しました。

堅牢(けんろう)な城壁に囲まれた中世の街プロヴァンは12世紀から13世紀にかけて、遠隔地貿易で栄えました。
この地では「シャンパーニュの大市(おおいち)」という、今でいう国際見本市が開かれ、パリをもしのぐ栄華を誇っていました。

  • 香辛料
  • 毛織物
  • 貨幣が流通するようになった

街の展示場に当時の様子が再現されています。
アジアから運ばれた香辛料。
北欧からは毛皮や海産物。
ほかの西ヨーロッパの都市からは毛織物なども、持ち込まれました。
また、遠隔地からの商品を取引するため、貨幣が流通するようになりました。

人々は経済力をつけるとともに、護衛隊を結成するなど自分たちの手で都市を守るようになりました。
遠隔地貿易は、荘園の中で農業を営んでいた人々の社会や生活も変えていくことになるのです。

大月先生 「十字軍が行われる前の西ヨーロッパでは荘園内で余った物を、地元で売り買いしているだけだったんです。でも、十字軍に参加した人たちが地中海貿易に触れて、“商品を遠くに運べば何十倍もの値段で売れる”ということを学んで帰ってきたんです。そして、彼らの中から商人が起こり、その商人階層が集まって作ったのが『中世都市』なんです。」

マヤ 「以前の荘園の暮らしを考えると、随分と変わったんですね。」

大月先生 「はい。見た目だけではなく、西ヨーロッパの封建社会は変わりました。かつての荘園では、農民は領主かから搾取されるように収穫物を納めて、身を守ってもらっていました。しかし、商業都市で富を得るようになった市民は、王に商業税などを支払う代わりに自治権を得て、対等な関係で自由に暮らせるようになったと言っていいと思います。そして、商人階層から新たな有力者層も誕生しました。」

マヤ 「今回はキリスト教世界から見た十字軍だったわけですけど、イスラーム世界から見たら、全く違うものに写っていたでしょうね。」

大月先生 「そうですね。ヨーロッパでは大きな変化があったわけですが、アラブ・イスラム世界では今でも影響が残っていますから、光と影があったということでしょうか。」


それでは次回もお楽しみに!

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