NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です。

世界史

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今回の学習

第12回

西ヨーロッパ世界の成立

  • 世界史監修:一橋大学教授 大月 康弘
学習ポイント学習ポイント

1.西ローマ帝国の滅亡 2.フランク王国の西ヨーロッパ統一 3.皇帝と教皇による叙任権闘争

  • 今回のミッション
  • スタジオ写真(衣装)

「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは、「西ヨーロッパの成立」です。

前回は、ローマ帝国が東西2つに分かれた後の、東側のビザンツ帝国について学びました。
今回は、ローマ帝国分裂後の西側の地域、つまり現在のドイツ・フランス・イタリア周辺の領域について学びます。
やがて世界の歴史を牽引(けんいん)する存在となっていくこの地域が、成立したばかりの時代を見ていきます。


永松さんは、今回のミッションに関わりがあるという衣装で登場です。

眞鍋さん 「文太くん!今日は、どうしたの?!」

永松さん 「この衣装は、今回のミッションと深く関係があるんです。西ヨーロッパの世界で、重要な役割を果たした王様を意識して、コーディネートしてみました。詳しくは、後ほどご説明いたします。それでは、マジカル・ヒストリー・ツアーに出かけましょう!」

  • 訪れる場所と時代
  • 西ヨーロッパの権力と宗教

今回のビュー・ポイントは、

1.西ローマ帝国の滅亡
2.フランク王国の西ヨーロッパ統一
3.皇帝と教皇による叙任権闘争

の3点です。

訪れる場所は、現在の西ヨーロッパを中心とした地域。時代は、4世紀から13世紀です。

まずは、ドイツ・アーヘンの広場に立つ、フランク王国の王 カール大帝の時代を見ていきます。
カール大帝は、西ヨーロッパ世界成立の立役者です。
その背景には、教会との結びつきがありました。

そして、フランスのクリュニー修道院を訪れます。
ここで修業した修道士の一人が、後に皇帝と争うことになります。

権力と宗教が結びつき、時代を動かした西ヨーロッパ世界へ、出かけましょう!


眞鍋さん 「このころ、東のビザンツ帝国が強大な力を持っていたけれど、西側はどうなっていたのかな。すごく興味がわいてきた。それにしても、どの時代を見ても、権力と宗教というのは切っても切れない関係にあったんだね。」

永松さん 「今回は、西ヨーロッパでの権力と宗教の関係をテーマに、旅のプランを立ててみました。まずは、東西2つに分かれたローマ帝国の西側、西ローマ帝国が滅びるまでを見ていきましょう。」

1.西ローマ帝国の滅亡
  • アーヘンとアーヘン大聖堂
  • カール大帝

旅の出発点は、ドイツのアーヘンです。
ここに、世界遺産「アーヘン大聖堂」があります。
8世紀、フランク王国の宮殿に付属した聖堂として建てられました。
礼拝堂の上にある、八角形の巨大ドームが特徴です。

アーヘン大聖堂を建てたのは、この地域を拠点に勢力を広げていた、フランク王国の国王・カール大帝です。
アーヘンの広場に立つ像の両手には、王の権力を象徴するものを持っています。(右写真)

これらは、いったい何を表しているのでしょうか。
その謎を解き明かす旅に、マジカル・ジャンプ!

  • ゲルマン人の大移動
  • 395年 ローマが東西分裂

4世紀、ローマ帝国の北方には、ゲルマン人と呼ばれる人々がいました。
そして、アジア系の遊牧民族、フン人が西へと進出してきます。

それに追われて、ゲルマン人も西へと移動を開始しました。
この「ゲルマン人の大移動」により、以後2世紀にわたり、数十万人が移動します。

ローマ帝国は、ゲルマン人たちを取り込み、傭兵としてうまく使っていました。
395年、ローマは東西に分裂します。
西ローマ帝国が混乱を深めるにつれ、ゲルマン人たちはそれぞれ自立し、王国を建て始めました。

  • オドアケルにより西ローマ帝国滅亡
  • ゲルマン人の王国とフランク王国

476年、ゲルマン人の傭兵隊長だったオドアケルにより、西ローマ帝国は滅ぼされます。
そして、ゲルマン人の王国だけが残りました。
この中のフランク王国が発展し、アーヘン大聖堂を建てたカール大帝を生み出したのです。


眞鍋さん 「東側に比べて、西側は大分混乱の時代があったみたいだね。その中でも、フランク王国が残って、抜きん出ていったのはどういう経緯があったのかすごく興味がある。それに、カール大帝が両手に持っていたものには、どういう秘密があるのかなあ?」

永松 「それらは、西ヨーロッパの統一と深く関わっているんです。」

2.フランク王国の西ヨーロッパ統一
  • ランゴバルドがローマを侵略
  • 教皇領と勢力図

6世紀、ゲルマン人の王国のランゴバルドが、ローマをたびたび侵略していました。
困ったローマ教皇は、ゲルマン人の王国の一つ、フランク王国に助けを求めます。
フランク王国は、ランゴバルドを撃退し、ローマ周辺の土地をローマ教皇に寄進しました。

  • 聖像破壊運動が起こる
  • ローマ教皇はカールを皇帝に

当時、西ヨーロッパの人々の心を一つにまとめるものは、キリスト教でした。
フランク王国はそのローマ教皇に認められ、数ある王国の中で地位を高めます。

8世紀、ローマ教皇は新たな問題に直面していました。
ビザンツ帝国の皇帝が聖像崇拝禁止令を出し、聖像破壊運動が起こりました。
文字の読めない人が多かったゲルマン人の心を引き付けるためには、聖像は不可欠でした。
ローマ教皇は、ビザンツ帝国の庇護の下から独立することを選びます。

800年、ローマ教皇は、新たにローマ皇帝を誕生させました。
選ばれたのは、フランク王国の王、カールでした。

ローマ教皇に認められたことで、キリスト教を信じる西ヨーロッパの人々の信望を得ることになりました。

こうして、ゲルマン人を支配者としてローマ文化を継承し、キリスト教を基礎とする西ヨーロッパ世界が誕生しました。

  • カール大帝像
  • 3つに分裂したフランク王国

左の写真は、アーヘンの広場に立つ、カール大帝像です。
右手に持つ杖は世俗の権力を、左手に持つ球は神の世界を象徴しています。

フランク王国は、カール大帝の時代に最盛を極めました。
しかし、カール大帝の死後、3つに分割されます。
現在のフランスの元になる “西フランク王国” 、イタリアの元になる “イタリア王国” 、神聖ローマ帝国を経てドイツの元となる “東フランク王国” に分かれました。

  • ハートのキングのトランプ
  • 18世紀 ドイツのカード

眞鍋さん 「西ヨーロッパの皇帝は、絶対的な力でその座に就いたわけじゃないんだね。東のビザンツ帝国の状況とか、ローマ教皇の思惑とか、いろんな関係があったんだね。今日の衣装は、そんなカール大帝の衣装ということでいいのかな?」

永松さん 「そういうことです。トランプのハートのキングのモデルとなっているのは、カール大帝だったんです!(左写真)」

トランプの発祥については諸説ありますが、アジアで生まれ、ヨーロッパにわたり発展していったと言われています。
現在の日本のトランプは、14世紀以降のヨーロッパのカードを元にしています。
そこに描かれたキングは、ヨーロッパの基盤を作った人たちが、それぞれモデルになっているといいます。


眞鍋さん 「実在の人物だったんだね。」

永松さん 「だから、(キングは)全員同じ人ではないんです。右の写真は、18世紀のドイツのカードです。時代順に、旧約聖書に出てくる古代イスラエルの王様、ダヴィデ。次に、アレクサンドロス大王。ヘレニズム文化が生まれる基盤となった大帝国を作った人ですね。そして、ローマ帝国の独裁官、カエサル。最後が、カール大帝です。」

眞鍋さん 「西ヨーロッパ世界を生み出した人だから、カール大帝はすごく重要な人物だということだね。」

永松さん 「そうなんです。ところが、皇帝と教皇の持ちつ持たれつの関係は、その後次第に変わっていきました。」

3.皇帝と教皇による叙任権闘争
  • ブルゴーニュ
  • クリュニー修道院

マジカル・ヒストリー・ツアー、最後の見どころは、フランス・ブルゴーニュ地方です。

10世紀に建てられたクリュニー修道院は、当時、最大の規模を誇った修道院です。
クリュニー修道院は、当時の教会を改革するために建てられました。

なぜ、改革が必要だったのでしょうか。
その理由を探るため、マジカル・ジャンプ!

  • 荘園
  • 叙任権を世俗の者が握った

カール大帝の死後、北方からノルマン人の襲撃などがあり、西ヨーロッパの国々の統治は崩れかかっていました。

異民族の襲撃から土地を守るのは、それぞれの地域の領主でした。
領主は、「荘園」とよばれる土地を所有し、そこに教会を建てました。
そして、教会の求心力を使って、人々をまとめました。

次第に領主などの貴族は、自分の子どもなどを聖職者にして、教会に送り込むようになっていきます。
聖職者に対する人事権「叙任権」を、世俗の者である領主や貴族、皇帝が握るようになりました。

本来、世俗から離れて神に祈りを捧げるはずの聖職者が、世俗の政治に関わる人間ばかりになっていきました。
教会は堕落し、聖職を売買する者まで現れました。

  • グレゴリウス7世が世俗の者の叙任権を否定

この状況に批判的で、世の中を刷新しようと建てられたのが、クリュニー修道院です。
非常に厳しい修道院で、本来の神に仕える敬虔(けいけん)な聖職者を養成しました。

やがて、彼らの中から、ローマ教皇に上りつめる者も現れました。
その一人が、グレゴリウス7世です。
グレゴリウス7世は、教会の堕落の原因になるとして、叙任権を世俗の者が持つことを否定します。
このことが、「叙任権闘争」と呼ばれる、皇帝と教皇の争いに発展します。

  • ハインリヒ4世
  • カノッサの屈辱

神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、グレゴリウス7世を、ローマ教皇の座から引きずり下ろすことを画策します。
これに対し、グレゴリウス7世は、ハインリヒ4世を破門しました。
すると、帝国内の各地の有力者たちは、キリスト教徒でなくなったハインリヒ4世に反旗を翻(ひるがえ)します。

ハインリヒは、破門を解いてもらうため、グレゴリウス7世への謝罪を決意します。
雪の中、グレゴリウス7世が滞在していた、カノッサ城に赴きました。
そして門前で裸足になり、三日三晩断食を行い、許しを請いました。

これが、「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件です。
グレゴリウス7世は、ハインリヒ4世の破門を解いてやります。
この事件をきっかけに、教皇の皇帝に対する優位は、確固たるものとなりました。

  • スタジオ写真

眞鍋さん 「皇帝なのに、キリスト教から破門されると、すぐに力を失ってしまうことに驚いたな。それだけ、宗教や教皇の力が絶大だったということを物語っているよね。」

永松さん 「このころ、ノルマン人の侵入などで社会が混乱していて、国の行政は機能していませんでいた。そこで教会は、現在の町役場のような、地域をまとめる役割を果たしていたんです。その頂点が、教皇でした。政治と宗教が、渾然(こんぜん)一体となっていたんですね。」

眞鍋さん 「皇帝と教皇、どっちが上かというのを、争っちゃうのも分かる気がするね。」

Deep in 世界史
  • 大月 康弘先生

マジカル・ヒストリー倶楽部の歴史アドバイザー、大月 康弘先生(一橋大学 教授)に歴史の深い話をうかがいます。
今回は、カール大帝とイスラーム世界の関係についてです。

  • シャルルマーニュ=カール大帝
  • 「ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし」

大月先生 「カール大帝のフランス語の読みは、“シャルルマーニュ” といいます。そしてさらに、『ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし』という言葉があります。」

眞鍋さん 「ムハンマドは、イスラーム世界の人ですよね。関係あるんですか?」

  • ビザンツ皇帝軍はイタリアに援軍が出せなかった
  • 世界史は周辺との関係を見るのが大切

7世紀、アラブ人の中からムハンマドが登場し、アラブ人の国を作ろうと動き出しました。
アラブ人国家の建設に際し、アラブ人は、ビザンツ帝国の領土を侵略します。
これに対し、ビザンツ皇帝は、アラブ人を撃退するために戦ったといいます。

他方で、今回見てきたように、ランゴバルド人がイタリアに入ってきました。
困ったローマの教皇たちは、コンスタンティノープルのビザンツ皇帝に、これを撃退してほしいと援軍を要請します。
しかし、ビザンツ皇帝軍はアラブ人との戦いで疲れ、イタリアに援軍が出せなかったといいます。


眞鍋さん 「『うちはもう手一杯だから』ってなっちゃったんですね。」

大月先生 「そこで、ローマ教皇は、フランク王国の王様に援軍要請を出したんですね。ゲルマン人の民族移動でたくさんの王国ができましたが、その中で一番力の強かったのが、フランク王国だったためです。
こうした一連の出来事の総決算として800年、カールがローマで冠を載せられて皇帝になりました。それで、『ムハンマドが出なければ、シャルルマーニュ、つまりカール大帝は出なかった』と。そういう繫がりがあります。」

世界史は、その地域の中だけでなく、周辺の世界との関係を見ることが大切であると先生はいいます。

眞鍋さん 「いろんな歴史が一つに繫がりました。」

2人 「どうもありがとうございました。」

  • 次回もお楽しみに〜

眞鍋さん 「西ヨーロッパの歴史は、力だけで制圧したわけじゃなくて、いろんな条件が絡んでいたというのが、人間ドラマみたいで面白かったね。」

永松さん 「独特でしたよね。なんか、西ヨーロッパに行きたくなってきました!」


それでは、次回もお楽しみに!

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