NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第12回

ビザンツ帝国

  • 世界史監修:一橋大学教授 大月康弘
学習ポイント学習ポイント

ビザンツ帝国

  • イスタンブル
  • イスタンブル歴史地域

今回のテーマは「ビザンツ帝国」。

地中海と黒海を結ぶボスポラス海峡に面した、トルコ経済の中心都市イスタンブル。
海に向かって突き出ているのが、旧市街。
「イスタンブル歴史地域」です。
中心部にある市場には、さまざまな商品を取り扱う店が4000軒以上も立ち並び、昔と変わらないにぎわいを見せています。
この一帯は、かつて“世界の中心”であり、世界中から人や富が集まって繁栄した都でした。
ここで育まれた社会や経済の制度は、その後のヨーロッパ社会、ひいては現代社会の基盤を成すものとなっていったのです。

  • 政井マヤさんと富田早紀さん
  • 東ローマ帝国

それでは、政井マヤさん、富田早紀さんと一緒に、今回も世界史のおもしろさを探っていきましょう。

マヤ 「西ローマ帝国は5世紀に滅んだんだけど、東ローマ帝国は、その後およそ1000年も続いて、現在にまで影響を与えているの。都のコンスタンティノープルは、古くは『ビザンティウム』と呼ばれていたので、そこから『ビザンツ帝国』と呼ばれているの。」

早紀 「たしか皇帝コンスタンティヌスが都を移したからコンスタンティノープル、ですよね?」

マヤ 「そう、“世界の中心”として栄えた都だったの。」

コンスタンティノープルの繁栄
  • 三方が海に囲まれている
  • 堅固な城壁

古くから、東西交易の要衝(ようしょう)として栄えていたイスタンブル。
コンスタンティヌスは、何故ここに都を移したのでしょうか?
それは、帝国の東側で勢力を拡大してきたササン朝ペルシアに対抗するためだったといわれています。
この街は、ローマより東の国境に近く、三方が海に囲まれていて防御力が高かったのです。
さらに、街を取り囲むように堅固な城壁が建設され、難攻不落の要塞都市となりました。

新しい都には、人や富が集まるようになり、“およそ人間が欲しがる物で、この街に運ばれてこない物はない”といわれました。

  • 聖ソフィア聖堂
  • モザイク画

コンスタンティノープルの繁栄ぶりを物語るものといえば、「聖ソフィア聖堂」(現在のアヤソフィア)
特徴的なドーム状の屋根など、古代ローマの高度な建築技術が結集されています。

聖堂の内部を彩る「モザイク画」も、ビザンツ時代を代表する芸術です。
ひときわ目を引くのが、聖母子と2人の皇帝を描いたもの。
向かって右側は、都のコンスタンティノープルを捧げるコンスタンティヌス。
左側は、聖ソフィア聖堂を捧げるユスティニアヌスです。

ビザンツ帝国には、学問や社会・経済の制度など、さまざまな物が集まり、育まれていきました。

マヤ 「一説によると、世界の金の6割がコンスタンティノープルに集まっていたといわれているの。そんなビザンツ帝国で花開いた芸術といえば、モザイク画。」

  • 大月康弘先生
  • 大理石、ガラス、貝殻などを細かく砕き埋め込む

お話をうかがうのは、一橋大学教授の大月康弘先生です。

大月先生 「モザイク画自体は古くからある技法なのですが、ビザンツ時代に洗練されて発展しました。大理石やガラス、貝殻などを5mm〜1cmくらいの大きさに砕いて、それを埋め込んで描いていくという技法です。同じ色の石でも、表面の凹凸によって光の反射の仕方が変わります。それを計算して精密に並べていくんですね。製作期間も費用も、莫大となりました。ですから、世界中の富が集まるビザンツ帝国だからこそ、できるようになったといわれています。」

早紀 「社会が豊かだったからこそ、芸術にもお金がかけられたんですね。」

  • ユスティニアヌス帝

早紀 「ビザンツ帝国の社会って、ほかにどんな特徴があるんですか?」

大月先生 「特に前半は、実力主義の社会でした。才能があって運が味方してくれれば、立身出世がかないました。
例えば6世紀、帝国の最盛期を築いた皇帝ユスティニアヌスは、マケドニア地方の農民出身だったといわれています。ティーンエイジャーのころに、コンスタンティノープルに上京したんですね。
軍隊にいた叔父を頼って、コンスタンティノープルで勉学に励みました。叔父さんも、これを大変サポートしたと伝えられています。その叔父が、たまたま皇帝に選ばれたことから、その片腕となって帝国の経営に参与したということです。そして、皇帝就任への道が開けました。

おもしろいのは、ユスティニアヌスをはじめ、当時のビザンツ帝国の人々は、ギリシア語を話しているのでギリシア人なんですけれども、自分たちのことを、ずっと『ローマ人』と呼んでいたんですね。いわば、ローマ帝国の理想を追い続けたギリシア人だったということです。」

ローマ帝国の継承
  • ヴァレンス水道橋
  • 地下宮殿とも呼ばれる貯水池

イスタンブルの歴史地域を歩くと、ローマ帝国の名残をいくつも目にすることができます。

大通りにまたがるのは、ローマの土木建築の代名詞ともいえる水道橋。
三方を海に囲まれたこの街では飲み水を確保することが難しく、およそ100キロメートル離れた場所から水を引いていました。
引いてきた水をためておく貯水池は、別名「地下宮殿」とも呼ばれています。

  • テオドシウスのオベリスク
  • ヒエログリフ

こちらは、アヤソフィア(聖ソフィア聖堂)近くの公園に立つオベリスク。
柱に彫られている文字は、なんと古代エジプトのヒエログリフです。
これは、もともとエジプトの宮殿にあったものでした。
当時、ビザンツ帝国の領土だったエジプトから運んで、都の記念碑としたのです。

  • 西ローマ帝国の滅亡によって半減
  • ローマ法大全

ローマ帝国の継承をもっとも強く考えていたと言えるのが、ユスティニアヌスでした。
かつて、帝国の領土は、地中海を取り囲む広大なものでしたが、西ローマ帝国の滅亡によって半減していました(画像・左)。
ユスティニアヌスは、ササン朝と和平条約を結んで東の国境を安定させると、西に軍を送ります。
およそ20年の歳月をかけて、北アフリカやイタリア半島を支配していたゲルマン人国家を打倒。
ふたたび地中海を内海とする大帝国を復活させたのです。

一方で、古代ローマ帝国の共和政のころからの膨大な数の法律を、整理してまとめるという大事業を成し遂げます。
この「ローマ法大全」は、その後、近代ヨーロッパ諸国の法整備に大きな影響を与えました。

  • 用益権
  • 所有権

早紀 「ローマ法大全って、具体的にどんな法律があったんですか?」

大月先生 「今の私たちの考え方になぞらえて申し上げると、最初に『用益権』
現代的な例でいうと、アパートの大家さんは、アパートの『所有者』。入居している人は『用益権者』と言います。入居している人は、“用益権を行使している”と言うんですね。ですから、所有者である大家さんは、急な立ち退きを要求することがなかなかできない。入居者の保護、用益権者の保護を図るという法律の体系になっているわけですね。

他方、『所有権』というのは、今申し上げたようにアパートを持っている大家さん。例えば土地を持っている人。ここに植えられているいろいろな作物、これはその土地所有者の所有物ですから、その物を周りの人が勝手に取ってはいけない、ということになります。

ローマ法大全は昔の法律なんですが、ヨーロッパの国々、フランスとかドイツが近代になって法整備をしたときに、このローマ法大全を基礎として自分たちの法律をつくりました。また、明治維新になって日本が法律をつくったときに、ドイツやフランスの法律を基にしているんです。
だから、先ほどの「用益権」「所得権」などのローマ法大全のいろいろな規定が、現代の日本の法律の中にも生きているというわけです。」

キリスト教会の展開と分裂
  • 皇帝は神の代理人

大月先生 「ユスティニアヌスが行ったこととして、もうひとつ大事なことがありました。それはキリスト教をとても大切にしたということです。『皇帝は神の代理人』という立場をとって、モザイク画に描かれたりしています。」

マヤ 「キリスト教がローマ帝国の国教になったのは、4世紀後半ですよね。そこから100年経って、キリスト教は、ずいぶん浸透していたんでしょうか?」

大月先生 「そうですね。ちょうど5世紀の末から6世紀にかけて、この地域に大きな地震がたくさん起こっていたんです。また、飢饉もわりと多く発生していたようです。なので、人々はある種の不安の中に生きていたと言えます。
多くの人の中に信仰心が芽生えたのも、うなずけますね。」

  • ユスティニアヌスと皇后テオドラが同等に描かれている

マヤ 「社会の在り方というものにも、変化は出てきたんでしょうか?」

大月先生 「いろいろと変化があった、影響が出たといわれています。
特に大事だったと思われるのは、個人に焦点が当たるようになったことでしょうか。
ひとつには、個人がそれぞれの意思で財産を教会、神様に寄進するようになったという現象が、多く見られるようになりました。都コンスタンティノープルにも、地方の町にも、たくさんの教会が建てられ、そしてきれいなモザイク画で装飾されました。

イタリアのラヴェンナという町に、サン・ヴィターレ教会があります。その内部には、ユスティニアヌスとともに、皇后のテオドラが同等に描かれているのが分かります。
ですから、女性の地位が向上したということが言えるかと思います。例えば女性にも相続権が認められるようになる。女性も、個人の寄進をしています。それは、ローマ法の歴史の中では、大きな変化でした。」

  • 5つの大きな教会とイスラーム勢力の領域
  • キリスト教の主な分派

ユスティニアヌスの頃、キリスト教世界には5つの大きな教会があり、信仰の中心となっていました。
しかし7世紀、東に新しい宗教、イスラームが生まれます。
イスラームの勢力は瞬く間に領土を広げ、アレクサンドリア、エルサレム、アンティオキアはその支配下に置かれることになりました。

さらに8世紀、ローマ教会がゲルマン人国家との結びつきを強めます。
コンスタンティノープル教会との間で主導権をめぐる対立が深まる中、ビザンツ帝国の皇帝レオン3世が、ある勅令を出しました。
「聖像崇拝禁止令」、イエスなどの絵画や像をあがめることを禁ずる勅令です。
さらに、聖像を破壊することを命令。
従わない者は、目をつぶされ、手足を切断され、顔を焼かれました。

この勅令に反発したローマ教会との溝は次第に深まっていき、やがて11世紀に2つの教会は袂(たもと)を分かちました。
その後、16世紀にローマ・カトリック教会からプロテスタント教会が分離して、現在に至っています。

  • ムハンマドの描かれ方

早紀 「聖像崇拝を禁止して、従わないと手足を切ったりって、想像するだけでぞっとするんですが、なぜそんな命令を出したんでしょうか?」

大月先生 「これは、イスラームが東から台頭したことと関係しています。キリスト教もイスラームも、ユダヤ教を母体としていました。そのユダヤ教では偶像崇拝が禁止されているんです。
早紀さん、イスラームの開祖ムハンマドは、どのような描かれ方をしていましたか?」

早紀 「顔は、白い布をかぶっているみたいでした。」

大月先生 「そう。イスラームも、偶像崇拝を強く禁じています。それに対抗するため、キリスト教の原則に立ち戻ることを目指したのだと考えられます。」

マヤ 「ローマ教会が聖像崇拝禁止令に反発したのは、どういう理由からなんですか?」

大月先生 「イタリア半島には、そのころ再びゲルマン人が侵入していました。イタリア半島にいたゲルマン人の人たちはラテン語が読めない。なので、教会の人たちは、彼らに布教するために聖像、今で言えばイコンを使ったんですね。イコン、絵を見せることで、信仰の内容を理解してもらう、というふうに聖像を使っていました。
ビザンツ帝国の聖像破壊運動は、100年ほどで終わります。礼拝の形式や聖職者の妻帯問題など、考え方の違いというものが、ローマ教会とコンスタンティノープル教会ではかなり違ってきて、それが顕著になった11世紀の半ばの1054年、お互いに破門を言い渡して分裂しました。

  • 1400年頃のビザンツ帝国の領土

ビザンツ帝国は、9世紀以降、東からのイスラーム勢力の攻勢に加え、西の神聖ローマ帝国との争いの中で、領土の増減を繰り返します。
最後は、コンスタンティノープル周辺のわずかな土地を残すだけとなり(画像)、1453年、オスマン帝国に滅ぼされ、1000年を超える歴史に幕を閉じたのです。

  • ソリドゥス
  • ドルマーク

マヤ 「ローマ法大全が近代の法律の基礎となったほかにも、現在の世界に影響を与えていることがありそうですね。」

大月先生 「そうですね。現在の世界のスタンダードを形成しているのは、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国だと思います。それらの国のものの考え方や制度の在り方の根底に、ビザンツ帝国の、特に初期にできあがったものが残っているわけですね。
例えば、ビザンツの貨幣重量単位は『ソリドゥス』と言います。この『S』に、棒を縦に2本ほど引いてみてください。そうすると、アメリカのドルマークになりませんか?」

  • リトゥラ、リブラ
  • ポンドの記号

大月先生 「同じように、ソリドゥスの上位の貨幣重量単位に『リトゥラ』『リブラ』という単位がありました。今のロシアの『ルーブル』という貨幣単位、ないしは昔のイタリアの『リラ』という貨幣単位は、まさにその名残です。それと同時に、イギリスの貨幣単位、お金の単位は『ポンド』と言いますけれども、『L』にちょっと棒を引っ張ると、ポンドの記号なんです。」

マヤ 「地中海地域のヨーロッパだけじゃなくて、イギリスやロシアにまで影響があって、それが現在に続いているっていうことなんですね。」

大月先生 「そうなんです。ほかにも探してみると、“えっ!?”と驚くようなものがあるんですよ。調べてみてください。」


それでは次回もお楽しみに!

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