NHK高校講座

世界史

Eテレ 毎週 金曜日 午後2:20〜2:40
※この番組は、前年度の再放送です

世界史

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今回の学習

第5回

古代インド

  • 世界史監修:東京大学名誉教授/放送大学客員教授・水島 司
学習ポイント学習ポイント

古代インド

  • 政井マヤさんと野呂汰雅さん
  • 水島司先生

ここは歴史の専門家も来店する無国籍雑貨屋。
政井マヤさん、野呂汰雅(たいが)さんと一緒に、世界史のおもしろさを探っていきます。
今回教えてくださるのは、東京大学名誉教授の水島司先生です。

  • インダス文明
  • 仏教

インドでは、紀元前2500年ごろ、北西部のインダス川流域に古代文明が興りました。
「インダス文明」です。
その後、いくつもの国が興亡を繰り返し、古代インド社会を形成していきます。
その中で、世界三大宗教のひとつとされる「仏教」が生まれ、アジアに広まっていきました。

  • バンレイシ
  • 仏像

水島先生が取り出したのは、「バンレイシ」という果物。
中南米が原産ですが、東南アジアでも人気があるといいます。

水島先生 「これ、実は“シャカトウ”とも言うんです。漢字では“釈迦の頭”と書くんです。すごく似てますでしょう?(画像・右)」

マヤ 「仏教の信仰に厚い東南アジアだからこそ、こういう名前で人気なんですね。」

汰雅 「東南アジアは、仏教になるんですか?」

水島先生 「仏教自体はインドで生まれました。インドから東南アジアに伝わって、現在でも東南アジアでは、仏教がとても盛んです。」

仏教の成立
  • シャカ族の中心地

水島先生 「仏教を始めた人は、『ガウタマ・シッダールタ』(前6世紀〜前5世紀)という名前です。
この地図で、ヒマラヤの下の方に『シャカ族』という人々が住んでいたんですが、彼はそこの王子として生まれたんです。シャカ族の出身ですから、日本ではお釈迦様とよくいわれている、ということなんです。
ある日、彼は国や家族、子どもを捨てて出家し、修行の道を選んだわけです。」

汰雅 「高い身分を捨ててまで、なんで出家しちゃったんですか?」

水島先生 「当時のインドで、いろんな人生の悩みっていうのを、人々が共通して持っていた。それを生み出した社会状況っていうのが、あったわけです。」

  • ヴァルナにおける階級
  • アーリヤ人の移動

古代インドでは、「ヴァルナ」と呼ばれる、身分についての観念が広まっていました。
ヴァルナによって、人々の身分・階級は厳密に分けられました。

最上位は、複雑で厳密な祭式を執り行う司祭者「バラモン」。
その下に、王侯・武士。
続いて、農牧民や商人などの平民。
さらに、征服された人々からなる隷属(れいぞく)民(みん)。
最下位には、「不可触民(ふかしょくみん)」と呼ばれる人たち。
これが、後の「カースト制度」につながっていきます。

ヴァルナを生み出したのは、「アーリヤ人」です。
もともとは中央アジアで牧畜生活を営んでいましたが、南下してインダス川流域を支配。
さらに、東に進んでガンジス川流域で農耕を行うようになります。
その過程で、農業生産に携わらない司祭者や武士などの身分が生まれていったのです。

  • 輪廻の思想
  • 解脱

このような社会状況の中で、インドの人々の間に強く広まっていったのが、「輪廻(りんね)」の思想です。

人は、生まれてから、病(やまい)の苦しみ、老いの苦しみを経て、死に至ります。
死んだ後は、すぐにまたどこかで何かに生まれ変わり、同じ苦しみを味わいます。
それを、過去から未来永劫まで、際限なく繰り返していかなければならないのです。

この輪廻から逃れることを「解脱(げだつ)」といいます。
解脱するには、出家して修行をし、悟りを開くことが必要だと考えられていました。

  • ブダガヤの菩提樹
  • 八正道

水島先生 「同じ時代の『ジャイナ教』という非常に有力な宗教があり、そこではとても厳しい修行をしているんです。シッダールタも、実際には6年といわれていますが、非常に長い間苦しい修行を積んだわけですけれども、どうしても悟りを得ることはできなかったんです。
これではだめだということで、瞑想に入ります。『ブダガヤの菩提樹(ぼだいじゅ)』の下で、ついに悟りを開いたわけです。
これ以降、悟りを開いた人『ブッダ』(”目覚めた人”という意味)というふうに呼ばれています。」

マヤ 「ブッダは、どうやったら解脱できると悟ったんですか?」

水島先生 「人の一生というのは、とても苦難に満ちていますから、その苦から抜け出すには出家しないといけない。でも、ただ出家しただけではだめで、八つの正しい道『八正道(はっしょうどう)』というんですけれども、その道を歩まないといけないということですね。」

  • ガンジス川流域

マヤ 「自分が悟りに至った方法を教えたのが、仏教のはじまりということなんですね。」

水島先生 「そうですね。当時、ブッダと同じように解脱を目指す修行者は、たくさんいました。しかし、彼らはなかなか悟りに至ることはできなかった。
彼らはブッダの教えに従うことで、自分たちも悟りに至ることができるようになると信じて、ブッダの追随者がどんどん増えていって、教団が大きくなっていったわけです。
彼が回ったガンジス川の流域(画像)は、気候がとても湿潤で農業生産力が高い。それで、非常にインド的な文化が生まれた地域だといわれています。」

ブッダは、「悟りを開くのに身分は関係ない」、そして「出家者を支援すれば、悟りに近づくことができる」と説きました。
その教えが、身分を厳しく定めたヴァルナに不満を持っていた人々に受け入れられたのです。

汰雅 「それで、仏教はどんどん広がっていったんですね?」

水島先生 「ただ順調にというわけではないんですね。仏教は、ブッダが亡くなると、教団の中が分裂するとか、ブッダが批判していたバラモンたちが仏教に対する攻撃を深める、というようないくつもの危機がありました。
ところが、ガンジス川の流域に『マウリヤ朝』という、インドの古代の中でも最大の帝国が誕生します。その第3代の王が『アショーカ王』。彼が、重要な役割を果たすんです。」

仏教の隆盛と伝播
  • アショーカ王を描いたとされるレリーフ
  • マウリヤ朝の最大領域

アショーカ王が即位したのは、紀元前3世紀。
この王のもと、支配域はほぼインド全体にまで広がっていき、インド初の統一王朝となりました。
しかし、支配を広げる過程で、近隣諸国で殺戮を重ね、数十万の犠牲者を出したと伝えられています。

アショーカ王は、自らの行いを深く後悔し、仏教に救いを求めるようになります。
仏教を保護し、その教え「ダルマ(真理・法)」に従った政治を行いました。

  • アショーカ王の石柱碑
  • 石柱に載せられていた像

アショーカ王が建てた石柱碑が、今もインド各地に残っています。
この像(画像・右)は、10メートルを超える巨大な石柱に載せられていたもの。
獅子は王の権威を、その下にある法輪(ほうりん)は、仏の教え、仏法を象徴しています。

水島先生 「アショーカ王は仏教を深く信仰して、非常にたくさんの仏塔、仏の遺骨を納めてある塔ですけれども、それを何万と建てたといわれています。
それから、とても熱心にお布施をしたんですね。あまりにもお布施をしすぎて、親族に幽閉されてしまうんです。幽閉されたあとも、とにかくお布施をするので、最後は死ぬ間際にテーブルの上にあったマンゴーの半分をお布施して死んでいったと、そういうエピソードが伝わっているくらい。」

  • スリランカに息子を派遣

水島先生 「大事な仕事としては、仏教の経典の編纂。あちこちに散らばっていた仏教経典を集めるというようなこともやっています。
それから、その後の仏教の展開にとても大事だったのは、スリランカに息子を派遣して、そこに仏教を布教させたことです。スリランカというのは、海のルートの非常に重要な中継地点ですから、この海上交易のルートに沿って東南アジアにも仏教は広まっていく、ということになります。」

マヤ 「東南アジア、特にタイは、今でも仏教の国として知られていますよね。男子は一生に一度は出家するという習慣があって、企業には『出家休暇』という制度まであるんですよ。」

  • 上座部仏教
  • 大乗仏教

汰雅 「日本の仏教とは、全然違うんですね。」

水島先生 「そうですね。東南アジアで信仰されている仏教は、自ら出家して修行して、自分自身の解脱を目指すものなんですね。これは、『上座部(じょうざぶ)仏教』と呼ばれています。
日本に伝わっているのは『大乗仏教』と言います。大乗というのは、大きな乗り物。出家して修行する人だけではなくて、一般の在家の信者、彼らも一緒に救われるという大きな違いがあります。この大乗仏教は、陸を通じて、中央アジア、東アジア、日本へと伝わっていきました。

  • クシャーナ朝
  • 大乗仏教の伝播経路

大乗仏教は、上座部仏教よりあとに生まれました。
その時代背景を見てみましょう。

マウリヤ朝は、アショーカ王の死後、急速に衰退。
紀元1世紀頃には、「クシャーナ朝」がインダス川流域を支配していました。
仏教は、クシャーナ朝でも保護されました。
しかし、“出家した者のみが救われるという考えは、利己的である”という批判が出始めます。
その考えのもとに生まれたのが、大乗仏教でした。

インダス川の上流域は、中央アジアとつながる東西交易の重要な拠点でした。
そのため、大乗仏教は、中央アジアを経て中国へ、そして、朝鮮半島、日本にまで伝わったのです。

  • 弥勒菩薩像
  • 仏塔・菩提樹・仏足石

クシャーナ朝の時代には、初めてブッダの像、仏像がつくられました。
顔立ちや衣のひだの表現などに、ギリシア文化とエジプト・オリエントの文化が融合した「ヘレニズム文化」の影響が見てとれます。
仏像は、大乗仏教の発達とともに盛んになっていき、弥勒菩薩(みろくぼさつ)や阿弥陀如来(あみだにょらい)など、さまざまな仏の像が生まれました。

それまでの仏教では、仏塔や菩提樹、そしてブッダの足を象徴する「仏足石(ぶっそくせき)」などが信仰の対象でした。
仏教の成立当時、“悟りを開いたブッダの姿はあまりに尊く、表現することができない”と考えられていたからです。

  • ガンダーラ地方

水島先生 「仏像が生まれたのは、この地図(画像)で見ますと、インダス川上流のガンダーラという地域だったといわれています。この地域は、国際的な影響が強い地域なんですね。特に、ギリシア・ローマ世界との関係が強くて、この辺りからは、西の世界の金貨とかも出てくるんです。」

  • 3つの地域で考える

水島先生 「インドを理解するときに覚えておいていただきたい枠組というのがあります。北側なんですが、東と西ではかなり性格が違うんですね。
西側のインダス川流域を中心とした地域は、非常に乾燥した地域、砂漠もありますし、お米なんかはできない。小麦が中心の農業なんですね。
例えば、みなさんカレーを食べるときのナン。あれは小麦を発酵させたパンなんですね。
それに対して東の方、ここではコメが中心の地域ですから、カレーもお米で食べることが多い。
それから、南インドにも独自の特徴を持った世界がありました。
ですから、インドを理解するときは、北部の西と東、それから南。この3つの地域でインド全体が構成されていると考えるれば、インドの歴史の動き、王朝の動きもよくわかると思います。」

仏教のインドでの消滅
インドの宗教別人口割合

現在の、インドの宗教別人口割合を示したグラフを見てみましょう。
仏教徒は、およそ0.7パーセント、840万人ほどしかいません。
そのほとんどが、20世紀中ごろにほかの宗教から改宗した人々で、実は、インドでは一時期、仏教が消滅してしまったのです。

  • ヒンドゥー教に変化し影響力を強めていった

マヤ 「確かに、ガンジス川での沐浴(もくよく)とか、インドといえばヒンドゥー教のイメージが強いですよね。」

汰雅 「(仏教が生まれた)インドで、どうして仏教はその後消滅してしまったんですか?」

水島先生 「それは、マヤさんがインドのイメージで持っていた、ヒンドゥー教と関係があるんです。実は、バラモン教がヒンドゥー教という宗教に変化していくんです。
バラモン教は、仏教やほかの宗教に攻撃されて、それまで儀礼中心の、非常に厳しい儀礼をしていたんですが、そういうものから離れて、人々の信仰を自分の中に取り入れていった。
そういう形で社会の中で影響力を広めていったわけですね。
それ以外にも、いろいろな仏教消滅の原因がありますから、そういうことを探っていきますと、インドの歴史のこと、あるいは社会のことがよくわかると思いますね。」


それでは次回もお楽しみに!

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